第二十七話 アメイシャ
その日の夜は雲が分厚かったのか、星々は見えなかった暗い夜の下でイリスは一人、クラーテルの街中を歩く。周りには誰もいなかった。既に町は眠るように静まり返っており、獣の不気味な声が聞こえるだけだ。
何故なら歓楽街は外れにあるからだ。それも大都市と比べるとそう大きくはなく狭いものだ。だから遊びに行く冒険者たちはここから蒸気機関車にて数時間かかる隣の町に行く者が多い。さらに深夜は殆ど営業していないので、クラーテルの町の夜から人はいなくなる。
イリスはナダと別れた後、浴びるようにワインを飲んで一人で帰宅についていた。顔はアルコールによってほんのりと赤く、足も少しだけ千鳥足だ。
だが、どこか仏頂面で不満げな様子だった。
「――イリス先輩! 大丈夫ですか?」
そんなイリスに駆け寄ったのが、うねりのない腰まである長い髪が特徴的な女性――アメイシャだった。派手な赤い口紅に似合うシャープで綺麗な顔立ちをしており、迷宮外では縁のない眼鏡をつけるのである。イリスとは違い、体の線を隠すようにゆったりとした赤いワンピースに身を包んでいた。首元には火のように赤いルビーのネックレスをつけており、常に炎を纏っているかのようだった。
「大丈夫よ――」
そんなアメイシャは、酔っているイリスを支えるように横についた。足元がおぼつかなかったからである。
「イリス先輩、何があったんですか? 帰りますよ」
アメイシャは心配そうな顔をしていた。アメイシャの知る限り、このようにイリスが酔っぱらうまで飲む姿を見るのは珍しかった。普段は殆ど酒を飲まず、付き合いなどで飲むときも上品に嗜むことが多いのである。
手を離せば泊っている宿とは別のところへ行ってしまいそうなイリスをの手を、導くようにアメイシャは誰もいない夜道を進む。アメイシャがここにいるのは、いくら待っても帰ってこないイリスを迎えに来たのである。
「ナダと会っていたのよ――」
イリスは包み隠さず言った。
「ナダって、“あのナダ”ですか?」
アメイシャは驚いたように言った。
彼女の知る限り、ナダという名前を持つ者は一人しかいない。こう言うのはあまりよくないが、“ナダ”とは縁起の悪い名前である。あまり子供に進んでつけるように名前ではない。だから同じ名前を持つ者を、他に見た事がなかった。
「そうよ。あの、ナダよ。アメイシャちゃんの同級生で、私達よりも早くに学園から巣立っていったあいつよ――」
「もちろん、覚えていますけど、ナダがこの町に来ているんですか?」
アメイシャはどうやらナダがこの町に来ていることを知らなかったようで、目を見開いて驚いていた。
「そうよ。最近、この町に来たみたい。どうして急に来たかは知らないけど」
イリスは拗ねた様に唇を尖らせていた。
かつてはずっと面倒を見ていた後輩も、既にイリスの手から離れている。ナダについて彼女の知らない事も増えて来た。どうにもそれがイリスにとっては、妙にむしゃくしゃするのである。
「……確かあいつって、四大迷宮に挑戦したんですよね?」
「そうよ。ナダもそう言っていたわ」
「どうして急にここへ来たんですか? 他の迷宮を攻略している時だと思いますけど」
アメイシャは四大迷宮について、全ての情報を集めていた。どの迷宮も完全攻略された、という情報は聞いていない。それどころか、他の迷宮は遅々として攻略自体があまり進んでいない、というのが現状だと記憶している。
「さあ? 諦めたんじゃないの?」
その辺りの詳しい事情について、イリスはあまりナダから聞いていなかった。それよりも大切な話があったからだ。
「あいつがそんな事をするとは思えないですけど、イリス先輩が言うならそうかも知れませんね」
「そうよ! きっとそうよ! あいつ、きっと他の迷宮が辛くて、逃げだすようにこの町に来たのよ! それなのに、それなのに……」
イリスは泣きそうな顔になりながら口を押えると、アメイシャが勢い良く離れて道の隅で盛大に吐いた。きっと飲み過ぎたのだろう。とても辛い顔をしているようにアメイシャには見えた。
アメイシャはそんなイリスを見ても見捨てるような真似はせずに、心配そうに背中を摩る。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわ。話を戻すけど、あいつ、私の誘いを断りやがったわ! なんという恩知らず!」
イリスはアメイシャから借りたピンクのハンカチで、口を拭いながら恨み言を言う。
「断ったって、クランに誘ったんですか?」
「そうよ!」
「いいんですか? フォカオンさんに許可を取らなくて? クランに新しい冒険者を入れようと思えば、クランリーダーに話を通すのが筋だと思いますけど」
アメイシャの言う通り、クランに合わない者、もしくはクランの規律を乱す者が現れないように、『アルシャイン』ではクランリーダーが認めた冒険者しか入れないようになっている。
「いいのよ。私だから。フォカオンにも逆らわせないわ――」
だが、そこはイリスだった。アルシャインでも、イリスは実家の力と冒険者の実力の両方を兼ね備えており、それなりの地位を獲得している。フォカオンも無視できない存在となっていた。
「またそんな事言って。フォカオンさんに叱られますよ」
アメイシャはそんなイリスを宥めるように言った。
「……そんなの知らないし」
イリスは何度かフォカオンから注意される事はあったため、少し気にするように声が小さくなった。
「またまたー、前も勝手な事して怒られてましたし。まあ、フォカオンさんも甘いからすぐに許すんでしょうけど」
アメイシャの知る限り、直近でフォカオンにイリスが注意されたのは冒険中に勝手に仲間と共に深層の入口へ挑戦した事である。その時にイリスに任されていたパーティーは中層の調査と、新たな道の発見だったのだが、イリスの突発的な発想により、当初予定していなかった深層への挑戦を行ったのである。そのパーティーでイリスに逆らえる者がいなかったため、無理やり強行したらしいが、どうやら後から注意されたらしい。その時の冒険はうまく行ったが、もしも失敗したらどうするのかと。
フォカオンの心情として、いい冒険にはしっかりとした準備が必要だ、という提言がある。学園でも教え込まれる事だ。イリスは暫し、それを破るのでよく注意されていた。
「別にいいでしょうがー! それはアギヤの伝統なのよー!」
「また怒られますよ」
アメイシャは宥めるように言った。
「いいのよ。別に。私は追い出されないから」
「それはそうでしょうけど、ね。でもほどほどが一番ですよ」
「知っているわよー! でも、そんな事より、ナダよナダ! あいつ、私の誘いを断りやがって。あいつへの温情から誘ってやったのに!」
イリスはアメイシャにつられるように帰り道を急ぎながら、怒った寄りに両手を空へと掲げた。
「どうして、ナダは断ったんですか? この町で攻略をしようと思ったら、クランに入るのが一番だと思いますけど」
アメイシャは不思議そうだった。
「あいつー! もう『アーザ』に入ったとか言いやがったのよ! 全くむかつくわー!」
「アーザって、コルヴォのクランでしょう?」
アメイシャもそのクラン名は当然のように知っていた。過去に誘われた事もある。もちろん今後の冒険者人生を考えて、未来性があって、イリスと言う縁者もいるアルシャインに入ることを選んだのだが。
「そうよ! コルヴォに先に誘われたからそっちにいるって、移る気はないって言いやがって。あいつ。そうだ! 殴るのを忘れていたわ! テーラちゃんたちを置いて行ったあいつを殴ろうと思っていたのに!」
「それは犯罪ですから、しない方がいいと思いますけどね」
アメイシャは宥めるように言った。
ここでもやはり、冒険者の私闘、もしくは誰かに手を出すことは犯罪である。町には冒険者を取り締まるための騎士もいる。例えフォカオンであっても、彼らには頭が上がらない。
とはいえ、ナダならイリスの拳も甘んじて受けると思うので、殴ってもいいと思う心の片隅でアメイシャは思っていた。
「自由にできるから、アーザがいいんだって! 絶対にアルシャインの方が、もっといい冒険が出来ると思うのに!」
うがー、と夜空へ向かって叫ぶイリス。
「もう近所迷惑ですよ。そんなにも叫んで。でも、そんなにナダと冒険したかったのですか?」
アメイシャには不思議だった。
イリスは散々ナダと迷宮に潜っている筈なのに、これ以上を望む事が。一度は手放した存在であるパーティーメンバーをもう一度望む事が。アメイシャが知る限り、ナダとイリスの冒険は、イリスのアギヤ脱退を経て一段落済んでいるからだ。あれから二人はお互いの道を歩んでいる。
「ええ、そうよ! だって、あいつとの冒険は刺激的でしょ? アメイシャちゃんも一緒に潜ったから知っているでしょ?」
「ええ、まあ――」
アメイシャは思い出す。
彼との“二度”の冒険を。どちらも死ぬ思いで、今も生きているのが不思議なほどの苛烈な冒険だった。
「あいつは、そういった点では、とても“アギヤらしい”と思うわ。最も過激で、最も厳しい冒険。でも、それは必ず成功して、冒険の跡には他では得られない充足感を得る。あいつは、私よりもアギヤの血が濃い冒険に愛されている――」
イリスはアルコールのせいか、もしくはナダへの思いか、上気した顔で言った。恋する乙女のように頬が紅色に染まっている。星明りの下で、うっとりと微笑むイリスの姿は、思わずアメイシャが恋に落ちそうなほど可愛らしかった。
「そうかもしれませんね――」
アメイシャは、同じ町にいるナダの事を思う。
――新たな風を、その肌で感じていた。
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