第六章
話が遡るが、幼稚園へ通う半年くらい前に、恵子は観音寺が営む保育所に預けられることになった。静江にべったりな恵子が申し訳なく、康代なりに気を遣ったのだろう。初日、二日目と、毎日のように泣いて保育所の入口で抵抗する恵子を、静江は絹のハンカチを握りしめたまま、ずっと見送っていた。
恵子は集団の昼寝に慣れるのにだいぶかかったが、日中は幼稚園と違って放っておいてもらえるので、ずっと絵を描いて過ごしていた。
その生活にもやっと慣れ、幼稚園に入ることになったが、入園テストなのか、IQテストをやらされた。もとより一人遊びの好きな恵子にはパズル遊びはお手のもの。とんでもない点数をはじき出し、居並んでいた教育ママたちは大騒ぎになった。母親の康代は自分が無学ゆえに期待したが、しかし恵子は、理解は早くてもすぐに忘れてしまう。記憶力が極端に悪い。そう言われて康代は落胆した。
けれど一度抱いてしまった希望は捨てがたかったようで、今度は指が長いから音楽の才能があるはずと人に言われて、小学校へ上がってしばらくすると、康代はどこからか子供用の中古のバイオリンを安く手に入れた。恵子に音楽をやれと言う。だったら絵を習わせてほしいという、恵子の望みを康代がまったく聞き入れなかったのは、康代は自分が音痴なため、音楽家に憧れていたということもあった。それに民雄がクラシック好きだということもあったのだろう。それで康代は毎週恵子をプロバイオリニストの許へ通わせはじめた。
そこはいわゆる音楽教室のように、楽しいレッスンは一度もなく、正しい姿勢が身に着くまでと、バイオリンを顎に当てがい弓を持たせたまま一時間半も立たせておいて、かの気難しい先生はどこかへ行って帰って来ない。先生は偏屈で怖いし、顎は腫れるし、楽譜は何も理解できないし、幼い児童の教材として荒城の月なんて学ばされても、どこが面白いのか判らない。
そうして通っているうち、先生のお宅の近くの公園を歩いていたら、そこで猫を見つけた。恵子は大好きな猫と遊ぶうち、レッスンの時間が来たけれど、その日は嫌だからさぼることにした。黙っていればきっとばれない。次のレッスンの時も猫と遊んでいて、レッスンが終わる頃合いを見計らって帰ってきたが、先生から母に連絡が来ていたらしく、恵子の小さな嘘は簡単にばれてしまった。
康代は結局恵子に音楽をやらせることをあきらめたのだが、その後恵子は荻窪界隈のあるバイオリン好きな両足のない時計技師に出逢い、たまに彼からバイオリンを習った。痩せた小男で彼も偏屈な人だったが、音楽を楽しむコツを知っていたのであろう、彼から教わりながら弾くバイオリンは楽しかった。恵子は彼がルーペを眼に嵌めて店の片隅で修理している姿が好きで、よく遊びに行き彼が時計を修理する様子をはたから眺めていた。
恵子の家は貧乏だったので、恵子が生まれても康代は雛人形すら買ってやることができなかった。それを不憫に思った静江は、自分の持っていた雛を恵子に与えた。素焼きの小さな土雛で、塗りも禿げており、芸者仲間の寄せ集めだったのであろう、お道具も大きさの揃わないものであった。恵子によるとそれは土をただ円錐形に捏ねて色を塗ったようなものであって、これが雛? とがっかりしたという。当時はすでに豪華な七段飾りの雛人形のCMをTVでやりはじめたころであった。けれど、その人形を収めた箱には慶長の文字があり、置屋で受け継いできたものかもしれない。(あるいは慶応かも知れないと恵子は言うが、どちらにしても古い雛であることは確かである)
その静江が年に二三度、恵子を部屋に入れない日があった。それは内縁の夫である松村泰蔵がやって来る日である。恵子はそれを詳しく聞かせてもらっていなかったから、泰蔵についてあまり私もよくは判らないが、どこかの小学校の教頭をしていたという。静江はこの泰蔵のいわゆる「二号さん」であった。
追い出された恵子はつまらないので、静江の部屋をこっそり覗きに行った。すると静江は膝枕をしながら、静かに泰蔵の白髪を染めていた。そんな時の静江は恵子の目から見ても、どんな女性より「おんな」を感じさせた。それを見て、二人は夫婦でもないのに仲がいい、あれを世間では「愛人」と言うのか、と幼いながらも納得した。
しかしそれにしても、泰蔵は小学校の教頭先生と聞いてはいるが、よく芸者の妾を持つだけの甲斐性があったものだと、恵子はのちになって思った。
静江には泰蔵との間に久美子と桃子という二人の娘がいて、恵子が物心つく頃には上の娘、久美子は独立してアパートを出、下の娘、桃子は十代後半の年ごろのお嬢さんだったが平和荘内の別の部屋に住まわせていた。恐らく泰蔵に気を遣ったのだろう。
静江はかつて芸者であったことを秘密にしていたと書いたが、かつての商売道具である三味線も辰巳芸者の証しである黒羽織もなく、大人たちの噂話がなければ子供には芸者あがりだとは判らなかったかもしれない。
静江が恵子を連れて浅草へ行ったのにはわけがあった。芸者仲間か昔贔屓にしてくれた客のものかは判らないが、毎月浅草の奥まった寺へ墓参りに行ったのである。何故そうと判るのかというと、静江の親族の墓は小平にあり、浅草にはなかったからである。
墓参りの後は件のオムそばの店に寄って、雷門で人形焼きを買い、あんこが苦手な恵子のために鮎の形をしたカステラ菓子を買い、浅草寺で鳩に豆をやって帰った。
そういう日の静江は落ちついた黄の地に細い縦縞の粋な着物を着て出かけた。
そう言えば静江は康代のことはちょくちょく叱ったというが、不思議と民雄のことはとやかく言わなかった。大人の静江は民雄の苦悩が理解できたのだろうか。判らないが、それだけでなく静江は他人のことをあれこれ噂することを嫌った。
康代は多忙な上に下町っ子で短気だったので、静江に甘やかされてのびやかに育った恵子を見ているとイライラするらしく、一度銭湯へ連れてゆく時、歩くのが遅い恵子の腕を無理に引っ張って歩いていたら、娘は急に大きな声で火のついたように泣きだした。肩が脱臼してしまったのであって、慌てて接骨医のところへ行き、嵌めてもらった。康代と仲のいい静江だったがこの時ばかりはさすがに彼女をきつく叱った。




