第四章
戦後間もなく、昭和二十年代の若かりし頃、民雄はベレー帽を斜にかぶり、新聞記者として全国をまたにかけて飛び回った時代もあったようで、康代はその頃の父に岡惚れし、押しかけ女房同然で二人は一緒になったという。しかし、じきに結核は悪化し、一時久我山病院のサナトリウムにもいたが、結局肺を片方切除する身となり、第一線を退かざるを得なくなった。
久我山病院の結核病棟は病院の奥にあり、白い建物であった。水仙、沈丁花、金木犀などが植えられていて、病院のナースが花の間を歩いていた。恵子は幼かったため中へ入れてもらえなかった。母は恵子を連れて病院の外で待った。
民雄は暗くなると浴衣のまま、兵児帯をして病院を抜け出してきた。この時の父は穏やかで機嫌はさほど悪くなかった。浴衣姿の民雄は作家のような風格を感じさせた。誰かに似ている。そうだ、父はどこかしら太宰治に似ていると恵子は後にこの時のことを回想して思った。井の頭公園の夜の茶屋で幼い恵子はお団子を買ってもらって食べた。その間夫婦は井の頭池を見つめながら、しずかに語らっていた。
久我山病院の近くに当時民雄が懇意にしていた公認会計士のお宅があり、恵子が母と、父の見舞いに行くとクラシック好きな父は恵子を連れて病院を抜け、たまにそのお宅に寄った。お金持ちで、当時珍しいステレオなどがあるお宅であって、民雄はレコードを聞かせてもらうために行ったようだった。
やっと小康を得て、退院は叶ったものの、もう体力的にも第一線には戻れない。民雄はやけになって深酒をした。だが、酒癖が悪いからあちこちの居酒屋で出入り禁止を食ってしまう。そんな酒の上の失敗が重なって、どんどん閑職に追い込まれてゆく。いいことなど一つもない。何も報われない毎日を女房に食わしてもらう。プライドが傷ついてさらに酒量が増える。もうどうにも行き場のない悪循環。
ある時康代が「猫のおばさんの家に行くよ」とたびたび恵子を夜中に連れ出すことがあった。恵子は猫を抱かせてもらえると思って喜んでついて行ったが、幾度か通ってそこが高利貸しの家であることに気がついた。つまり母親は恵子をいわば、同情を引くための「出し」に使ったのである。高利貸しの女性はある時母に言った。
「なんでそんな男と別れないのかあたしにはまるで判らないね。あんたほどの女ならこんな小さな子の一人ぐらい、楽に養えるだろうに。これはあんたの働きっぷりを信用して貸すんだからね。あの男には鐚一文渡すんじゃないよ。わかったね」。
恵子はかたわらで話を聞きながら子供心につくづく大人の世界のいやらしさを思った。恵子を出しに使った母。母に父民雄と別れろと言う猫のおばさん。彼女もいやだったし、母親もいやだった。なんていやな世界だろう。それ以来恵子は「猫のおばさん」の家に行くのを渋るようになった。
民雄はリベラリストを気取っていたが、故郷鹿児島は男尊女卑のお国柄であったため、たとえそれに反撥していたとは言え、その思想は彼の心にも強い影響を与えていた。酒で失敗するたびに学も教養もない女房に尻ぬぐいをさせる羽目に陥り、その度にプライドは傷つき、酒に走る。それとやはり特攻に行けなかったために、自責の念に駆られるということはあった。結局行きつく先はお決まりの「アルコール依存症」。
アルコール依存症患者は一度なってしまうと、一滴でも酒が入れば条件反射で血中のアルコール濃度が跳ねあがる。だから完全に酒を断たねば完治の見込みはない。
先述の通り、あちこちで出入り禁止を食っていた民雄だが、アパートから教会通りの間に酒屋が一軒あり、仕事帰りにそこで一杯だけ立ち飲みをして帰った。長居をすると酒癖が悪いので、またああでもないこうでもないとうるさいことを言われるからだ。店には薄暗い裸電球が点っていて、古い酒樽や醤油樽がいくつか並んでいた。瓶を持って行けばその栓を抜いて注いでくれる。恵子は父の使い走りでよくこの店へ行った。その度酒屋の主人に「また来たか」と言われるけれど、嫌だったが我慢した。飲んでいる父を迎えに行ったこともあった。立ち飲みの時は一回桝に酌んでから、コップになみなみ注ぐ。それを民雄はうっとりと見ている。これが法悦の眼、という奴だろうか。溢れるとその下に陶器の白い受け皿があって、その皿に溢れた酒をどの客もみな嬉しそうな表情でちゅうちゅうと啜る。なんていやしい飲み方だろうと思うが酒飲みにはこれが妙なる悦びなのだ。
また、民雄が家にいる時はこんな具合である。康代は仕事から帰ると民雄のために大急ぎでつまみをまず一品何かしら作り、それから子供のための夕飯を作る。子供が食べるようなものを民雄は酒の肴にしないのだ。そんなものが出れば出たで不機嫌になる。康代は料理上手だったけれど、ガスコンロは一台しかなかったから何かと大変だった。
民雄は神経質なたちで、箸の作法が悪いと自分の箸をひっくり返して持ち、恵子の手の甲を叩いた。また彼は巨人軍が大嫌いだった。夫婦喧嘩の仲裁を隣の大工の篠原さんがしてくれるのだが、この人が根っからの巨人ファンなので、夫婦喧嘩が収まった後、今度はこのことで大工さんと口論になることもあった。
民雄は巨人が連敗している時と、田舎から臭い芋焼酎が送られてきた時、そしてラジオからクラシックが流れている時だけ機嫌が良かった。あれほど箸の作法で叱っておきながら、大好きな曲がかかると箸を指揮棒のように振り回し、酔った身体をゆらゆらさせて唸り、指揮を執る真似事をした。恵子はこんな父が何だか恨めしかった。
小山家の晩餐は、だから子供にとってもあまり楽しいものとは言えない。それゆえであろう。恵子がどれほど静江の部屋に遊びに行くことを楽しみにしていたか。




