魔獣と野獣
「なあ、教皇様からのご指示にあったのは、この辺りだよな?」
「ああ、間違いない。この雪だ、奴さんの到着が遅れてるのかもな」
ハラハラと雪が舞い散り日も若干傾く頃合い、二人の兵士がそんな会話を交わす。
侵入を試みる間者を捉えるために派遣された分隊は、『神託』が示した通りに山の際までやってきていた。
彼らが待ち受けているのは、ジュラスティンからの侵入者。
山脈を挟んで位置しているためまともに通っている街道もなく、直接的に来るならば数少ない山道を使ってこの辺りに出てくるはずだ。
「しっかし、本当に来るのかねぇ。最近じゃ当てにならないって話じゃねぇか」
「バカヤロウ、滅多なこと言うんじゃねぇよ。
万が一聞かれたら、当たる当たらない以前に俺らの首が飛んじまわぁ」
「ははっ、ちげぇねぇ。それこそ、触らぬ神になんとやら、だ」
軽口を叩きながらも、二人は周囲に油断なく視線を向けていた。
目の配り方、身のこなし。いずれをとっても、それなりに場数を踏んでいる者の動きである。
あるいは、経験を積み自信を持っているからこそ、適度に緊張感を持たずにいられるのかも知れない。
「ま、神様は当てにならねぇが、こいつらは当てになるからなぁ」
そう言いながら、分隊に随伴する狼型の魔獣へと視線を向けた。
確かに、普段と変わらぬ様子であり、敵に勘付いた、だとかいう様子はない。
「それもそうだ。こいつらが何も勘付いてないんなら、まだなんだろうよ」
「もしかしたら、この冬山で遭難してるのかも知れねぇなぁ」
そう言いながら、兵士の一人が視線を上に上げる。
見上げた先にあるのは、雪を被った巨大な木々の茂る森。
さらにその向こうには、人間というものを拒絶するかのようにそびえ立つ山が白く染まっていた。
アマーティアの地に教団ができたのも、この人知を超えた山脈が神の御座す場所に見えたから、という説もあり、そのことに説得力も覚える光景。
とはいえ、初めて訪れた巡礼者などはさぞかし感動するだろうが、見慣れてしまっている兵士達には、もはや何の感慨もないようだ。
「遭難されててもそれはそれで、いつ切り上げりゃいいのかわかりゃしねぇなぁ」
「ま、そんときゃここで気楽にキャンプでもして、一晩明けたらでいいんじゃないかねl」
「流石にこの時期じゃ、気楽ってわけにもいかねぇがなぁ」
応じる兵士も、そう言いながらどこか気楽な口調で応じていた。
比較的高地で、冬ともなれば雪が降りしきるこの土地では、哨戒部隊にとって冬場のキャンプ、ビバークは必須の技能。
むしろ、その技能に長けているものでないと哨戒部隊は務まらないくらいだ。
「んじゃ、火を焚いて茶でも飲むか?」
「バカヤロウ、そうしたいのは山々だがな、火が見つかったら逃げられるだろうが」
「ああ、それもそうか」
はは、と笑い合う彼らの声を、吹きすさぶ風が時折かき消していく。
つまりは、音が頼りにならない。
そんなことは彼らとてわかっている。
ただ、経験も豊富な自分達の傍に鼻の利く魔獣もいるという状況で、わずかばかり気が緩みすぎていた、ただそれだけだったのだ。
そんな彼らからわずかばかり離れた、風下の位置。
匂いで察知されにくい位置の茂みの中に彼はいた。
『随分と歓迎されたもんじゃなぁ』
そう心の中で一人呟きながら、特殊な香をもう一度顔に塗る。
魔獣の脂と様々な香草を組み合わせて作ったそれは、魔獣の鼻にすら、人の匂いを感じさせない。
彼らの同類であるかのような匂いに塗れながら、彼はそのことを全く気にした様子がなかった。
十分に香を塗り終えれば、次は武器の準備。
懐から大きなスプーンのような道具を取り出し、大ぶりの槍を一本手に取って、その道具と組み合わせる。
準備を整え、視線の先で動く兵士と魔獣達の動きを観察することしばし。
おもむろに槍を振り上げ、道具を用いて槍を投擲した。
投槍器。
槍を投げる際の飛距離と威力を格段に向上させ、少しの訓練で槍を100m以上先の的に当てられるようになるという。
なお、道具なしで100m以上飛ばせた人間は恐らく存在していないし、弓の有効射程も100mを越えないケースが多い。
それだけ槍の性能を上げる道具を、彼が使えばどうなるか。
「ゴァァァァアァ!!!」
ゴゥ、と唸りを上げた槍が、魔狼の横っ腹に突き刺さり貫通。
急所を貫かれたらしい魔獣が悲鳴を上げながら倒れた。
「なっ、なんだ!?」
「敵襲、敵襲! あそこだ、あっちから飛んできた!」
一人が指さした先の茂みから、ゆっくりと大柄な老人が進み出て来た。
背中に一本、右手に一本、併せて二本の槍を持つその姿には、明確な戦意が溢れている。
何よりもその表情。実に楽し気で獰猛な笑みに、兵士たちは足が竦みそうになっていた。
「く、くそっ、いけ、あいつに食らいつけ!」
我に返った兵士が魔狼をけしかければ、仲間を殺された恨みか、それとも怯えかわからない唸りを上げながら彼へと突進する。
並みの狼よりも二回り以上大きい魔狼が、その巨大さに見合わない俊敏さで襲い来るのを、彼は笑みを崩さず迎え撃つ。
右手には、先ほどの投槍器。
即座にまた槍を組み込めば、今度は大きく振りかぶり。
「ふんぬぅぅ!!!」
と気合の声高らかに、それを投じた。
どずん、と鈍く思い音とともに狙い過たず狼の頭部を貫けば、魔狼は断末魔の声を上げることすらできずに力なく崩れ落ちる。
瞬く間に、たった二撃で頼りの魔獣が倒された。
その事実に、取り巻く兵士達は呆然と立ち竦む。
「さて、通らせてもらうが、構わんな?」
背負っていた槍を手にしながら、彼、ボブじいさんが問いかければ、はっと我に返り、どうする、と互いに顔を見合わせた。
どうすれば、と迷いはするが、しかしこのまま通してしまえば、自分たちの怠慢など『神託』にすぐに見抜かれてしまう。
言葉を交わさずとも、その結論は同じだったらしい。
悲壮感漂う表情で、全員がボブに向かって襲い掛かってくる。
「やれやれ、宮仕えは難儀なもんじゃのぉ」
憐れむようにつぶやきながら、ボブは両手で槍を構えた。
穏やかに、規則的に刻まれる蹄の音。
さざ波のような悪意は、津波のような魔力に押し流されていく。
平穏無事に馬を進める二人を、揺るがせる者はここになく。
次回:嵐の前の静けさ
そして、そこを越えた先に待ち受けるものは。




