追放の鉄、再生の炉
五十着のプロテクターを工房の前に並べ終えたとき、空は白み始めていた。完成させた達成感は確かにあった。だが、それ以上に魂がやすりで削られるような消耗が全身を支配していた。何度も繰り返した死の記憶が、現実の肉体を蝕んでいる。立っているのがやっとだった。足元が揺れる。
工房へ戻ると、そこには異様な空気が満ちていた。炉の火は落ち、金槌の音も聞こえない。親方と、古参の職人たちが腕を組んで俺を待ち構えていた。重い沈黙が、俺のわずかな達成感を押し潰していく。
「見ろ、親方。これが奴の仕事だ」
口火を切ったのは、一番年嵩の職人だった。その指が、俺の作ったプロテクターの一つではなく、俺自身を指していた。職人の目には、侮蔑と怒りが宿っていた。
「魂がこもってねえ。ただ数を揃えただけのまがい物だ。こんなもんは鍛冶じゃねえ」
「ああ、そうだ。工程だか何だか知らねえが、鉄と向き合うことを忘れちまってる」
次々と浴びせられる非難の言葉。俺の『精神的鍛冶』は、彼らにとって冒涜でしかなかったらしい。
反論する気力は、どこにも残っていなかった。極度の疲労が思考を鈍らせ、ただその言葉の礫を全身で受け止めるしかなかった。視線は、自然と足元の石畳に落ちる。
親方は、苦渋に満ちた表情で黙って皆の言葉を聞いていた。その顔に刻まれた深い皺が、彼の葛藤を物語る。やがて、職人たちの声が途切れると、親方は重々しく口を開いた。
「……出ていけ」
低く、かすれた声だった。
「お前のやっていることは、もはや鍛冶じゃねえ」
心臓が冷たくなる。予感はあった。だが、直接突きつけられた言葉の重みは、想像を遥かに超えていた。ようやく手に入れた居場所。最低限の食事と寝床。そして、何より鉄を打つ場所。そのすべてが、今、この瞬間、失われた。
俺は何も言えず、ただ頷いた。
親方は俺に背を向け、工房の奥へと歩き出す。その去り際に、カラン、と乾いた音がした。親方が長年愛用していた小さな金槌が、俺の足元に転がっていた。
工房を追われ、俺は夜のエルドニアを当てもなく彷徨っていた。ポケットの中には、なけなしの銅貨が数枚。明日のパンすら買えるかどうか。あとは、親方が最後にくれた、あの小さな金槌だけだ。
肉体的な疲労と、死に戻りを繰り返した精神的な消耗がピークに達していた。足がもつれ、冷たく湿った石壁に背を預けるようにして、路地裏に座り込んだ。
ここで終わりか。せっかく、自警団長に評価され、五十着ものプロテクターを任されたというのに。俺の安全装備は、結局このエルドニアで正当に評価されることはないのか? 工房を追われた俺は、この先生きのこれるのか?
前世と同じだ。働き詰めて、すべてを失って、誰にも看取られず、独りで……。
「ごきげんよう、ユウキ・アキラ君」
不意に、影の中から声がした。見上げると、上質な服に身を包んだ男が、部下らしき二人を連れて立っていた。ヴァルガス商会のゼノス・ヴァルガス。その顔には、すべてを見透かしたような笑みが浮かんでいた。
「少々、難儀しているようだね。素晴らしい偉業を成し遂げたというのに」
彼は優雅な仕草で俺の隣にしゃがみ込むと、視線を合わせた。
「君の技術は実に素晴らしい。あの『リジッド・ウィーブ』は、まさに発想の勝利だ。どうだろう、私と手を組まないか。最新の設備を備えた工房と、潤沢な資金を提供しよう。君はただ、私のために作り続ければいい」
甘い響きを持つ言葉。だが、その裏にある毒を、俺は見抜いていた。これは救いの手ではない。支配だ。俺が目指す『誰もが手に入れられる安全』とは、正反対の道。
「君の生み出す『安全』は、すべて私が買い取ろう」
俺はゆっくりと顔を上げた。
「あんたの金で買える安全に、俺は興味がない」
静かな、しかし、揺るぎない拒絶だった。
ゼノスの眉が、わずかに動く。
俺は言葉を続けた。「……以前、あんたたちが買い占めた素材の代わりにと返してきた革があった。あれ、質が微妙に違ったな。俺を試したんだろう。俺が素材の価値をどこまで見抜けるか」
ゼノスの瞳に、一瞬だけ純粋な驚きがよぎった。すぐにそれは、心の底から湧き上がるような愉悦の笑みへと変わった。ヴァルガス商会のゼノスが俺に何を仕掛けてくるのか、その片鱗が見えた。
「は、はは……! これは驚いた。実にあっぱれだ。君という人間は、私の想像以上に面白い」
彼は立ち上がり、服の埃を払う。
「実に興味深い。君は私の玩具として、実に弄り甲斐がありそうだ。今日のところは失礼しよう。また会うことになるだろうからね、ユウキ・アキラ君」
そう言い残し、ゼノスは部下と共に闇の中へと消えていった。
嵐が去り、再び静寂と絶望が路地裏を支配する。
もう、何もかもどうでもいい。そう思った時だった。
「アキラ!」
息を切らした声が、俺の名前を呼んだ。リリィだった。彼女は工房での一件を聞きつけ、ずっと俺を探し回っていたらしい。その目には涙が浮かんでいた。
「よかった……! どこに行っちゃったのかと……!」
彼女は俺の前にしゃがみ込むと、その拳を握りしめていた。
「聞いたよ、工房のこと! ひどい! アキラのせいじゃない! アキラは、たくさんの人を助けるものを作ったのに! 絶対に間違ってない!」
涙ながらに訴える彼女の言葉が、凍りついた俺の心に、小さな灯りをともした。俺の体から、僅かに力が抜けた。
その時、もう一つの足音が路地の入り口で止まった。
月明かりに照らされたその巨躯は、自警団長グレイ・ストーンだった。彼は静かに俺たちを見下ろしている。リリィが、はっと息を呑んだ。
グレイは工房での顛末を部下から報告されていたのだろう。彼はゆっくりと俺の前まで歩み寄ると、その厳つい顔で俺をじっと見つめた。
「職人たちの言い分も分かる。伝統には、それだけの重みがある」
その言葉は、彼らを断罪するものではなかった。
「だが」と彼は続けた。「お前の作った物は、確かに俺の部下の命を救う可能性を秘めている」
グレイは懐から何かを取り出し、俺の前に差し出した。
古びた、大きな鉄の鍵だった。
「奴らがそれを『鍛冶』と呼ばぬのなら、俺はそれを『安全』と呼ぼう。お前の居場所は、俺が用意する」
言葉が見つからなかった。感謝も、安堵も、声にならない。ただ、震える手で、そのずしりと重い鍵を受け取った。冷たい鉄の感触が、失ったはずの未来の確かさのように、掌に伝わってきた。俺の安全装備は、このエルドニアで正当に評価されたのだ。
グレイに案内されたのは、自警団の屯所の裏手にある、埃をかぶった古い武具庫だった。中には錆びついた武具の残骸や、用途の分からない廃材が山と積まれているだけで、設備らしい設備は何一つない。
だが、そこは雨風をしのげる、確かな「場所」だった。
俺は懐から、親方が最後に残していった小さな金槌を取り出した。長年使い込まれ、木の柄は滑らかに手に馴染む。
リリィが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
俺は彼女に一度だけ小さく頷くと、目の前の廃材の山に向き直った。
「……ここからだ。俺の工房の、最初の仕事だ」
静かな宣言が、がらんどうの武具庫に響いた。
それは、絶望の底から見つけた、再生の炉に火を入れる合図だった。




