幕間:少年シーナ
「やーいやーい、泣き虫シーナ。」
「蛆虫シーナ。」
少年2人が自分より背の低い少年をいじめている。その手には小さな少年のものと思われる兵士の人形が握られていた。
「返してよぉ!」
小さな少年は背伸びをするが届かない。それを見た2人のうち片方がニタニタと笑いながら言う。
「へへ、返して欲しかったら犬の真似でもしてみな!」
「__!」
瞬間、頭に血が上った小さな少年は、いじめっ子を押し倒してその顔を殴った。子どもとは思えない力で殴られて歯が折れた少年は血と共に悲鳴をあげる。
「ひっ!うぁああん!」
もう片方のいじめっ子は大人を呼びに逃げ出して、その場にはいじめられっ子といじめっ子だけが残った。
シーナが家に帰ると祖父が待っていた。
祖父はシーナを叱るでもなく怒るでもなくただ嗜めた。
「いいかいシーナ、お前は人よりも力が強いんだ。だからもう決して誰かを殴ったりしてはいけないよ。」
「だってだって...あいつが僕のこと。」
「馬鹿にされても手を出したらいけない。お話の英雄様はそんなことをするかい。」
「...ううん。」
「だろう、シーナ。お前も強い男になるんだ。」
シーナは涙を流しながら祖父の話を聞く。祖父の言葉に硬く拳を握りしめた。
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時はすぎてシーナも大人になった。12年後の夏のことだ。この翌日、シーナは旅立つことになる。
シーナは庭で枯葉を集めていた。後ろで一つに束ねた黄色の髪が、箒を履くリズムに合わせてぴっぴと揺れる。
「掃除よし!」
シーナが最後の確認に明るい声を出したそのとき庭の、鶏がけたたましく鳴き声をあげた。ばきりと大きな音がする。見ればシーナの手元にあった箒が折れてしまっていた。
「何だい今の音は、あんたまた箒を折ったんじゃないだろうね!今度で何本目だい!」
「ごめんなさいおばあちゃん。」
その音を聞いて家から飛び出してきたのはシーナの祖母だ。彼女は大層怒りながらシーナの元へと寄ってくる。
「全くお前は掃除もまともにできやしないのかい。」
ぶつぶつと文句を言い、シーナの手元から折れた箒を奪う。そして箒を投げ捨てた先には無惨な残骸となった歴代の箒たちが転がっていた。
老婆の怒りの声を聞きつけて家からもう1人の人物が現れる。温和な笑みを浮かべた祖父だ。
「そう怒るな婆さん。」
「まったく、あんたはシーナに甘いんだよ。」
「なにを、婆さんのほうこそ甘いじゃないか。」
そう爺さんが言うと婆さんはそっぽを向きながらシーナに言う。
「ほれ、シーナ肉屋に使いにいっておくれ。」
「え?うん。」
「今日はシチューだよ。」
それを聞いたシーナは目を輝かせた。何を隠そう祖母の作るシチューはシーナの大好物なのだ。先程まで怒られてしょげてた表情を忘れさせるほど喜色に溢れた顔になる。
「またシチューか。シーナの好物とはいえ多すぎないかね。」
祖父がそう笑うと祖母はやはり明後日の方向を向いたまま『たまたまだよ』と答えた。
「いってきます!おじいちゃん、おばあちゃん!」
祖父と祖母のやりとりを傍目にシーナは家を飛び出す。12年のときを経てシーナは明るく素直な少年へと育っていた。
「気をつけて行くんだよ。」
祖母が少し笑いながらそうシーナに言った。
「明日であの子も16歳か、大人になるのは早いもんだね。」
「ふん……まだまだあの子は半人前だよ。」
祖父の言葉に祖母は鼻を鳴らして答える。シーナは元気よく肉屋への道を下っていく。途中で農作人に出会い挨拶をしながら肉屋に辿り着いた。
肉屋に入る前に立ち止まりスゥッと息を吸うシーナ。
店主が気づいて先にシーナへ挨拶をした。
「あれ、シーナおはよう。」
「お、おはようございます!」
「今日はお使いか?」
「は、はい、おばあちゃんに肉を買ってくるように言われて。」
「そうか、それならいい肉があるから持ってきな。」
「いいんですか?」
「いいもなにも明日はお前の誕生日だろ、お祝いだよ。お祝い。」
「ありがとうございます!」
ガバッと勢いよく礼をするシーナ、見れば顔は真っ赤だった。もういつもの事なので村人たちは慣れてしまったが、彼は人と話すとすぐに汗が止まらなくなって赤くなってしまうのだ。
「ところでお前はこのまま農場を継ぐのかい、それとも旅でもするのかい。」
「え?あ、いや……。」
そのとき奥から声がして店主は呼び戻される。シーナは肉を受け取って家路についたが、店主からの言葉を思い返していた。
「これからか……考えたこともなかったな。」
(お爺ちゃんの農場をついでずっと過ごすんだと思ってたから。でも、もし……夢があるとすれば。)
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シーナは自室の中の何年も使われていない宝箱を開く。そこには玩具の剣や盾、兵士の人形が入っていた。宝箱の縁をなぞりながらシーナは思う。
(僕は泣き虫で弱虫でビビリで御伽話の英雄みたいに強くなることはできないけど、英雄の物語を語ることはできる。)
宝箱の隣に立てかけてあった小さなリュートを取り出すとシーナは奏で始めた。
丁度そのとき居間から祖母の悲鳴にも似た声が聞こえる。
「爺さん!」
「うわぁあ!」
ぶちんと音を立ててリュートの弦が外れた。
「あ、ま、またやっちゃった。」
それよりも気になるのは祖母の突然の声だ。弦の切れたリュートを置いてシーナは声の元へと向かった。
「どうしたのおばあちゃん。」
シーナが居間に入ると何やら玄関の方が騒がしい。
急いでそこへ向かうと祖父が足から血を流していた。その傍には自警団の男が付き添っている。
「お爺ちゃん!!血!!」
シーナは驚きを隠せず祖父の足に釘付けだった。祖母は青ざめて何度も祖父の名を呼んでいる。
「はは、大丈夫さ。ちょっと小鬼にやられてな。いてて。」
「あのシグルスさんももう歳だな。」
祖父の言葉に自警団の男が冗談めかして返す。しかしその顔はどこか寂しげでもあった。祖父はそんな様子にも気づかずに続けた。
「ああ、小鬼程度に遅れを取るとは不甲斐ない。へ、ちょっと自警団に呼ばれて魔獣退治に行ってただけだ。心配ない。」
「はぁ、あまりアタシを心配させないでおくれ。」
「悪い悪い。」
祖父が怪我の訳を話すとようやく祖母は落ち着いたのか、ホッとため息をついた。場が少し和んだところでシーナを見た自警団の男が言う。
「おう、シーナ大きくなったな。もう16か、お前もそろそろ自警団に。」
入るんだろ、と男が言いかけたところで婆さんがギロリと男を睨みつける。
「シーナに余計なこと言うんじゃないよ。あの子は剣もまともに握れないよ。おまけに極度の怖がりで魔獣を見ただけで震えあがっちまうよ!」
「そ、そうは言ってもなぁ。」
この国では16を迎えた青年はみな自警団に入る必要がある。それは祖母も知っての通りだった。だから強く反対するのだ。
バシバシと男の背を老婆とは思えない力強さで叩く。
「さぁ!もう出とくれ!帰った帰った!」
「婆さんやめないか......悪いな。」
「は、はぁ。」
そそくさと自警団の男は帰っていく。爺さんは婆さんに対して何か思うところがあるようだった。大きくため息をついて祖父は祖母に向き直る。
「今のはよくないんじゃないか。」
「ふん。」
「シーナももう大人だ。自警団には入らないといけない。」
祖父がそう言うと白羽の矢はシーナに立った。そのの鋭い眼光がシーナに突き刺さる。
「シーナ、あんたはどうなんだい。魔獣は怖いぞ恐ろしい爪や牙を持ってお前なんか一飲みなんだよ。」
板挟みになってしまったシーナは困ったように肩を窄める。萎縮したまま2人の顔に視線を行ったり来たりさせるばかりだ。
「えっと...。」
「はっきり言っておやりよ。入らないって。」
「シーナ、村で暮らす以上は義務だ。それに婆さんの顔色なんて伺わなくていいんだぞ。」
「うんと……は、入らない。」
「よしっ!」
そう聞いた瞬間、婆さんの顔色がパアッと明るくなる。それ見たことかと爺さんに息巻くがシーナの次の言葉でその表情は固まるのだった。
「ぼ、僕、村を出たいって言ったらダメかな。」
「そ、それは……どうして。」
「なんで!」
「ぼ、僕、詩人になりたいんだ。英雄譚を語る。」
思わぬ孫の発言に2人とも度肝を抜かれる。まさか気弱で泣き虫のシーナがそんなことを言い出すと思っていなかったからだ。
「ダメ!ダメダメダメ!絶対にダメ!」
祖母は顔を真っ赤にしてワナワナと打ち震えた。怒りにも似た表情でシーナに詰め寄って言う。
「外は危ないんだよ!ずっとうちにいればいい!お前まで出て行くことはないんだよ!そうさ、ずっと家にいればいい。そうしたらあんたの父さんと母さんみたいに死んじまうこともないんだよ!」
「ご、ごめんなさいお婆ちゃん。でも危ないこととはきっと無縁な……はずだから。」
「ダメだよぉ!行かないどくれ!」
決意を固めたような表情のシーナに祖母は泣いて縋る。それは祖母の力一杯の懇願だった。
対して祖父はただ冷静に孫の言葉を受け止めていた。かつての自分を、息子を思い、目の前の男に目を向ける。
「......お前もこの家の男だな。」
「止めとくれアンタ!」
「婆さん、あの子も聞かなかっただろう。それにこんな日が来ることはわかってたはずだ。」
「あ……ああ!」
途端に祖母はその場に崩れ落ちる。
シーナは申し訳なさそうに祖母を眺めていた。小さい頃はあんなに大きく見えた背丈が途端に小さく見える。
シーナが物思いに耽っている間に祖父は奥の部屋に行って荷物を1つ運んできた。
「シーナ、少し早いが誕生日おめでとう。これをお前に。」
「え!」
その手に握られていたのは新品のリュートだった。
艶やかな表面は光沢を帯びてシーナの驚愕の顔を映し出す。
「リュートは壊れやすいがお前は馬鹿力だろう。だから知り合いに頼んで丈夫なものを作ってもらったんだ。まさか詩人になりたいなんて言い出すとは思ってなかったが丁度よかったな。」
「お爺ちゃん!」
勢いよく抱きついたシーナの締め付けで爺さんから変な音が鳴った。
「うぐっ、ぐ、とにかくよく決めたな。明日は早い今日は早く寝なさい。」
「ありがとう!ありがとう!おじいちゃん!」
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夜も更けてシーナが寝静まったころ。
居間には祖父と祖母の2人が小さな蝋燭の灯りの元、話し込んでいた。
「あの子が死んで16年になるのか。月日は早いな。」
揺れる火の灯りが年老いた祖父の皺をくっきりと映し出す。16年という歳月は長いようで短いものであった。
「あの日、嫁がシーナを連れてきたときどうなるかと思ったが、ここまで何事もなく無事に育てられたのは婆さんのおかげだよ。」
沈黙で答える祖母に優しく祖父は語りかけた。
「あの子の夢をわしらが邪魔しちゃいかん、もういいじゃないか。見守ってやろう。」
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翌朝、陽の光は高く登っていた。日差しは暖かくこれからの旅路を祝福するように照らしている。
「じゃあ行ってくるね、おじいちゃん。」
「おう、達者でな。ワシらのことは気にするな。」
そう言った祖父であったが目元は僅かに潤んでいる。シーナが家の方を見ても祖母はどこにもいなかった。
「婆さんは……仕方のないやつだ。」
「おばあちゃん……。」
「気にするな、アイツはなお前が大好きで仕方ないんだ。それはわかってやってくれ。」
「うん、僕もおばあちゃんが大好きだよ。」
見送りに来ない祖母をシーナは想う。怖いけれど大好きな祖母だ、最後に一目会いたかったなと思いつつシーナはナザレム行きの馬車に乗った。
これからは1人になるのだと思うと急に心細く、恐ろしく思えた。
馬車が出発する前、もう一度祖父に挨拶をしようとシーナは後ろを振り返る。
「シーナ!シーナ!」
そこには祖母の姿があった。
「夜寝るときはちゃんと歯を磨くんだよ、危ない場所には行くんじゃないよ!それからそれから!」
伝えたい事が溢れているのか祖母の言葉は纏まらない、シーナは涙を堪えて笑顔で祖母に向かって手を振った。
「行ってきますおばあちゃん。」
「絶対に生きて帰ってくるんだよ!」
そうして荷馬車は旅立った。
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ゆれる荷馬車の上、シーナは物思いに耽っている。
「もう村があんなにちいさく。」
故郷の村はいつの間にか指先に乗るほど小さくなった。初めて生まれた世界を飛び出して大きな外へと飛び出した少年は怖さとワクワクがない混ぜになった不思議な感覚を覚えている。
(勢いで来ちゃったけどどうにかなるかな。お爺ちゃんとお婆ちゃんは大丈夫かな……。でもこれから始まるんだ……僕の、僕だけの物語が!)
少年は羽ばたいていく外の世界に。
こうして物語が1つ幕を開けた。
少年の背を押したのは、愛という名の風だった。……けれど、その風がどんな運命を運ぶのかを、誰もまだ知らない。




