魔獣と少女
街道沿いの森を2人は歩いていた。ナザレムに向かう道中、宿泊の場所として近隣の村を選んだのだった。これは依頼とは関係ないただの寄り道だ。
それまで無言で歩いていたラガルが口を開く。
「ナザレムに着いたら人を雇いたい。今のままじゃ戦力不足だ。」
それもそうだった。たった二人は竜に挑むのは無謀にも程がある。メフェルは二人で挑む気だったようだが、ラガルのもっともな意見に流される。
「依頼人はいい顔しないでしょうね。」
「知るか、黙ってればいい。そろそろ村に着くぞ。」
二人にとってはただの休息であったが、まだ知らなかった。その日、思いがけない小さな出来事に巻き込まれることになる。
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村に着くと最初は誰もが訝しげにこちらを見ていたが、大きな杖を持ったメフェルを見かけた途端に態度が変わった。魔術師が村にやって来たということでざわついている。
やがて村長らしき初老の男が出てきてメフェルをもてなし出した。
「こ、これはようこそ魔術師様。」
「今晩ここに泊めていただけないかしら。」
「もちろんそれはいいですが......ただ横の亜人は。」
村長が渋るとずいとラガルが前に出て威圧する。
ラガルは身長が高く、男と並ぶと頭2つは違った。ひょろっとした体型でも、そんな大男が凄んだとなれば迫力は凄まじい。村長は怯えたように下がる。
「やめなさいよラガル。」
その様子を見てメフェルが彼を咎めた。
そんなやりとりをしていると村の子供たちが集まってきて二人の観察を始める。子どもというのはときに裏表がない素直な声をぶつけてくるものだ。
「あれが亜人?はじめて見た。」
「魔獣と人間の子どもって本当?」
「あっちに行ってなさい。」
大人の一人に追い払われたがそれでも子どもはお喋りをやめない。そのうち一人の子がラガルではなくメフェルを指さして純粋な疑問を口にした。
「魔術師様も亜人なの?変な髪の色。」
「こっ、こら!聞こえたらどうするの。」
大人は焦り、魔術師様の目が届かない場所に子どもをいかせようとする。メフェルはそれらを気にした様子もなく、ただふふと笑って言った。
「とって食べたりしないのに。」
「お前ら魔術師は魔術のためならやるだろう。」
「流石にそんな蛮行しないわ。」
「俺にはやった。」ギロリ
「ラガル.......。」
ただの他愛ないやりとり、その空気が一気に冷える。ラガルの鋭い睨みがメフェルを貫いた。
そんな重苦しい空気は小さな子どものうち一人が近づいてきて切り裂かれた。
その子どもは他の子どもの輪とは別のところにいた少女だった。随分とボロくさい格好をして痩せこけた頬をしている。
少女は何か迷っているようだったが意を結したように口を開くとメフェルとラガルに尋ねた。
「お姉ちゃんたちは魔獣狩りなの?」
「ええ、そうよ。よくわかったわね。怖い魔獣を倒してまわってるの。魔術研究のついでにね。」
汚らしい子どもだったがにこりと愛想よくメフェルは笑って答える。優しく答えたつもりだったが何故か少女は思い詰めた表情をして自らの手を握りしめた。
それはどこか不安げで焦りを見せているようだ。
「魔獣を倒す...。」
「なにかあったの?」
メフェルが問えば、バッと顔を上げ一目散に駆け出す子ども。
「あっ!行っちゃった。可愛いけど子どもってよくわからないわね。」
「どこが、汚いガキだろうが。」
どこか腑に落ちなかったがメフェルは子どもだからと気にせず流すことにした。ラガルは小さな背を凝視してじっと動かない。そんな彼を不思議そうにメフェルが見上げていると先程の初老の男、村長が話しかけてきた。
「すみません、魔術師様。」
「いいのよ、今の子は?随分と痩せてたけど。」
「み、孤児でして...村で面倒を見ている子でございます。」
「へえ。」
孤児というのは珍しくない、それが村で面倒を見られているのもたまにある光景だった。多くは口減しで殺されてしまうが、ここは温情にとんだ村なのだろう。少女がいかにボロでも生きてるだけマシだった。
それまで少女の背を眺めていたラガルだったが、その背中が森の中に消えるとすぐにメフェルへ声をかけた。
「おい、それよりも追うぞ。」
「え?」
「あのガキ、匂う。」
ラガルは低く唸るように言った。
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村の外れ、少し人の手が入った森の中。少女は茂みの側でうずくまっていた。その影には小さな黒い生き物が隠れている。
「ミア出ておいで...逃げなくちゃ。」
「くう。」
ミア、と呼ばれた生き物は小さく鳴き声をあげると少女の手をペロペロと舐める。
「ふふ、いい子。」
そのくすぐったい温もりに少女が笑顔を見せたときだった。後ろから足音がして振り返るとそこには二人の魔獣狩りがいた。
「やはりな。」
ラガルが確信を持って呟く、その視線は少女の側にいる小さな黒い生き物に注がれている。少女は慌てて生き物を隠そうとするがもう遅い。
ラガルとメフェルはずんずんと近づいて、その生き物をはっきりと視界にとらえた。
「これは魔獣の子!?今すぐ離れなさい!」
「きゃっ!」
メフェルの剣幕に少女が怯える。すると先程まで穏やかな様子だったミアが毛を逆立てて、ラガルとメフェルを威嚇した。
ぐるると唸り声を上げるその獣に身構える二人。
先に口を開いたのはラガルであった。
「どうりで魔獣臭いと思った。おいお前、そこを退け。」
「ど、どいたらミアになにをするの!」
「みあ?名前までつけて人形ごっこか?それは魔獣だ、人間が飼い慣らせるものじゃない。」
「や、やめて!ミアをころさないで!」
「退けろ。」
ラガルは強引に少女を引き剥がそうとする。今にも魔獣は襲いかかりそうだ。悲痛な声を上げる少女にメフェルは耐えきれなくなって声をかける。
「待ってラガル、話を聞きましょうよ。」
「は?何を言っている。子を探しに親がやってくるかもしれないんだぞ。」
「こ、こない!この子の親は死んじゃったから!私と同じなの。」
少女は悲しげな瞳でそう言った。経緯は不明だが親を亡くした境遇を重ねて少女が魔獣を庇っていることは明白だった。メフェルはそんな少女の様子に声を柔らかくして話しかける。齢5つか6つの少女が肩を震わせながら訴えている言葉に耳を傾けないわけにはいかなかった。
「そう、同情したのね。あなたここでずっと匿ってたの?」
「お願い村のみんなには言わないで殺されちゃう。」
「獣の心は気まぐれだ、いずれ人を襲う。」
少女の懇願など関係ないとラガルは剣を抜き、獲物へ向けて構える。
「ラガル待ちなさい!」
咄嗟にメフェルがラガルを静止する。その声にチラリと目線だけで彼は答えた。
「その魔獣を殺してはいけないわ。」
「なぜだ。」
「なぜってわかるでしょう。今殺してしまえばこの子はきっと...。」
「関係ない、殺す。」
いかにもラガルらしい簡潔な答えだった。そこに一切の迷いはない、ただ標的を見据えて刃を振るわんとする意思があった。
そんな彼にメフェルは強い声を発する。
彼女は知っていた。優しさはときに誰かを殺す。
それでも命じなければならなかった。
「これは命令よ。」
そういうとようやくラガルは諦めたようで舌打ちと共に剣をしまう。
「ありがとう魔術師のお姉ちゃん。」
「メフェルよ。たしかに彼のいうことも一理あるけど全ての魔獣が人を襲うわけじゃないわ。でももうその子に構っちゃいけないわよ。」
「どうして。」
「自然の中で生きれなくなってしまうわ。」
「もう遅いだろうが。」
「黙りなさいラガル。」
「い、嫌...ミアには私がいないとダメなの。私もミアがいないと...また一人。」
そう呟く少女は俯いて泣いてるようだ。メフェルにはかける言葉が見つからず、そんな彼女を見ているだけだった。
少女を村まで送り届けたあと、二人は会話する。
ラガルはメフェルを馬鹿にしたような態度で呆れていた。
「どうせまた会いに行くぞ。いつか食われる。」
「あの魔獣は積極的に人を襲うわけじゃないって前にあなたが言ってたわ。」
「人を襲わないとも言ってない。」
「目の前で殺すのはやりすぎよ。」
「知らん。」
口論に近い会話だったが二人とも冷静に話を進めていく。メフェルはラガルの先ほどの行為を良くは思っていなかった。
「あの魔獣は彼女に懐いていたわ。」
「だからなんだ。お前はあのガキが死んだら責任を取れるのか?他の人間を傷つけないとでも?」
「あなたは正しいわ。でも可哀想よ。」
「お前と話してるとイライラする。可哀想だからなんだ?感情で動いて何になる。」
ラガルの痺れが切れたところで遠くから男の声がする。それは次第に大きくはっきりと聞こえてきた。言葉に詰まっていたメフェルもその方向に向き直り、何事かと様子を伺っている。
「魔獣だー!」
そう男は叫んでいた。すぐに二人は同じことを思い浮かべる。そう、ミアだ。先ほどの少女とのやりとりを思い出して騒ぎの場へと駆け出していった。
そして村の中心部に行くと予想通りミアがいた。
「魔獣の子だぞ!」
「魔術師様が来ていただろう、呼んでこい。」
村人たちが代わる代わる叫んでいる。魔獣の子がいるということは親もいる。村の中に魔獣が出たということで騒然としていた。
「ミア、どうして来ちゃったの!やめて!」
そんな騒ぎの中、少女が魔獣の子を守るため前へと躍り出た。一人不可解な動きをする彼女に疑惑の目が集まる。
「どうして庇う......まさか連れて来たのはお前か孤児!」
誰が言ったかわからないがその言葉を皮切りに罵声が飛び交う、気づけば少女と獣は村人たちに囲まれていた。
「やめなさい!一体何事?」
そこへ丁度メフェルとラガルが辿り着いた。メフェルが大声で村人たちを止め、少女と村人たちの間に割って入る。
「よかったな、見逃したおかげで死骸が2つできるぞ。」
ラガルの場違いな冗談にメフェルは目線で釘を刺す。
少女は大勢の前で震えながらも精一杯の抵抗の声を上げた。
「この子は何もしてない!なんで殺そうとするの!」
「罪だからだ!それはこの世の穢れだ!闇より生まれた獣だからだ!」
「庇うお前も同じだ、魔族なんだろう!死ね!死んでしまえ!」
熱量を増した村人たちが少女へ石を投げる。その一つが少女の額にあたり、魔獣の子はグルルと唸り声をあげた。そして怒りのままに村人へ飛びかかった。
「ミア、だめぇ!」
魔獣を止めようとした少女をすり抜けて、周囲にいた村人へ飛び掛かる。深く牙が刺さったところで魔獣は一度口を離すが、その口からは涎が滴っていた。
すぐさまラガルは腰につけていた剣を抜いて、魔獣に飛び掛かる。魔獣は迫る剣を避けるために後ろへ飛んだ。開いた間合いはラガルの一歩で詰められた。
食いかかろうと魔獣が牙を剥く、ラガルは大きく右脚を振りかぶって魔獣を蹴り上げた。
息を吐いたような獣の悲鳴、同時にごぎゃりと嫌な音がして、どさりと体が落ちる。見れば魔獣の体は変な方向に折れ曲がっていた。血があたりに広がる。
「ミア!ミア!いやあああ!」
まだ温い魔獣の体に少女が重なる。
その体が赤く染まろうとも離れなかった。
ただその場に立ち尽くすメフェル。ラガルは何事もないように少女を見下ろしていた。
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「俺の言ったとおり最初に殺しておけば、あのガキは怪我をしなくてすんだ。」
「そうね。」
「優しさは傷を生む、あのガキも学んだだろう。」
ラガルの目線の先には小さな墓の前でうずくまる少女がいた。彼は爪先で地面を抉る、その横顔は唇を噛んでいるようでもあった。
「余計な情けを掛けなければあの魔獣は少なくとも今死ぬことはなかった。あのガキもこれから村で制裁を喰らう。」
「全部あなたが正しいわ。助けなければ良かった話ね、でもあの子にとっては違うのよ。」
「なにがだ?」
「正しいことをしたのよ。優しい気持ちが間違ってることなんてないわ。」
そう述べるメフェルにラガルはわからないという顔をして答える。
「お前は何を言ってるんだ?どう考えても間違ってただろう。」
「そうね、間違ったわ。私もあの子も正しいことをして間違ったのだわ。」
「お前は頭が悪い。もうこの話は終わりでいい。そろそろ行くぞ。」
話していても埒が開かないと判断したラガルが切り上げようとしたとき、後ろから声がかかった。そこにいたのはボロの女だ。
「待ってください魔術師様!」
「え?」
「どうか私の息子を助けてください!」
困惑したのも束の間、話を聞くと病の息子を抱えた母親は隣村から魔術師の噂を聞きつけはるばるやって来たらしい。
「隣の村?ナザレムから逆方向だ。無視するぞ。」
「そんなことはできないわ。助けないと。」
「はぁ?つくづくお前といると苛つかせられる。今日の一件で学んだばかりだろう余計な情けは......。」
「損や良くない結果になってもあとで後悔するのなんて嫌よ。」
「お前勝手だな、要は誰かの恨みや悲しみなんかを背負いたくないだけだ。」
「そういう解釈でもいいわ。今この人を助けないときっと私は後悔するし、この人は一生悔やんでも悔やみきれないかもしれない。だから行くわよ、ラガル。」
そう言ってメフェルは歩き始めた。ラガルは苛だった表情を隠そうともしていなかった、それでもメフェルの決定に従うほかないのか後を付いていく。
女の先導によって隣村に着いたのは夜のことであった。
「戻ったよ、ぼうや。」
「お母さん、ごほ...ごほ!」
「坊やって年齢なのかこの人間は。」
「熱が下がらないんです!この子は昔から病弱で!」
「だとよ、魔女。どうにかしてやれよ。」
「魔女じゃないわ、魔術師よ。薬も多少なら知識があるわ、熱覚ましを作りましょう。ラガルお湯を準備してそれから......。」
「待った、なんで俺が手を貸さなければならない?」
「じゃああなた達の誰でもいいわ。今から言うものを用意して。」
メフェルは周囲にいた村人に的確に指示を出すと鞄の中から薬草を取り出し準備を進める。ラガルは端に追いやられ、ただ作業を眺めてるだけとなった。やがて湯の準備も整い、薬が煎じられる。
「さぁ、これを飲ませてみて。次第に楽になるはずよ。」
そして一刻が経つころには男の寝息が静かになっていた。母親はメフェルに感謝をし、母親の代わりに息子の面倒をみていた村人たちは帰っていく。
「この子をどうにか普通の体にできないでしょうか。」
「普通の体っていうのは?」
「普通に走ったり笑ったり、他の子らと変わらないような体にしてやりたいんです。」
「残念ながらそんな魔術は存在しないわ。」
メフェルの言葉に母親は涙を滲ませる。一縷の希望だった魔術師もダメだと言えば、もう頼れるものはなかった。
「もしもそんな奇跡を起こせるとすれば神様くらいなものよ。」
「エイシュ様にはもう何度も祈っております。それでもこの子は変わらない。神よ、どうしてこの子に過酷な運命をお与えになったのですか。」
「ふん、恨むならそういう風に産んだお前を恨め。」
「ラガル!」
「息子にも同じことを言われました。私は...私はどうすればこの罪を償えるのでしょうか。」
「罪なんてそんなことないわ。」
「教えてください魔術師様!」
「そうね、どうにかできないかよく調べてみましょう。原因が魔術的なものであれば私がなんとかできるわ。」
男が寝る寝台へと手を伸ばすメフェル。その衣服をめくったところで手が止まる。
「これは。」
男の体は薄紫色の結晶で覆われていた。呼吸を繰り返す体に合わせて皮膚に這った結晶が上下する。
試しにメフェルが爪で引っ掻くとそれは皮膚から簡単に剥がれ落ちた。
「魔石か。」
結晶を見て、そう呟いたのはラガルだった。本来魔石というのは魔の者しか持たない、魔獣の核たる部分だ。それが全身に広がっている、通常ではあり得ない光景だった。
「私たち人間は魔石を持たないから魔力を持たないわ。だから代わりに自然にある魔素を杖に集めて魔術を使うの、でも時折こうやって体の一部が魔石になってしまう人間がいるの。」
「治せないのでしょうか。」
「魔術的なことじゃなくてこれは魔法的なこと。詳しい原因はわかってないわ。でも最期は全て同じ、魔獣になって死んでしまうのよ。」
「そんな!嘘でしょう、魔獣になるなんて。」
「いずれ魔に魅入られて狂ってしまうわ。そうなる前に殺さないと。」
メフェルがゆっくりと告げる。母親は今にも泣き崩れてしまいそうだった。
「情は見せないんだな。」
「人間の尊厳を保ったまま死ぬ、それがせめてもの情けよ。最期に二人きりの時間があったほうがいいわね。席を外すわよラガル。」
メフェルとラガルが小屋から出て二人きりになる親子、メフェルとラガルにも同じように二人きりの時間が流れる。
「嫌なことって続くのね。」
「さっさと終わらせてさっさと行くぞ。」
「あなたには悲しむって感情がないの?」
「ない。」
キッパリと言い切ったラガルをメフェルは見つめる。満月のような大きな瞳がラガルをまっすぐ捉えた。
「いいえ、違うわ。忘れてるだけなのよ。きっと。愛も優しさも。ぜんぶ思い出せる日が来るはずよ。」
空に浮かぶ満月が二人を照らす。風の音も聞こえないくらい静かな夜に、静寂が広がった。なぜだかラガルはメフェルから視線を外せずにいた。
目の前の少女は幼さの残る顔をしているはずなのにずっと大人びて見える。
「あなたの記憶もきっと、いつか取り戻せるわ。そのときには知るのよ、愛を。」
「何を馬鹿な。」
そうラガルが答えたときだった。小屋から呻くような声と獣のような声が聞こえた。勢いよく二人がドアを開けるとそこには1匹の魔獣と倒れた母親がいた。
「いいタイミングだな!」
「嘘でしょう!」
二人が声を上げると横たわっていた母親が小さく呻く、息はあるようだが混乱のまま動けずにいるようだ。
男であった魔獣は醜い化け物に変貌していく、ボロボロの毛皮、露出した皮膚は木のように枯れ、大きく口の裂けた、鱗のある、悍ましいキメラに。
自分の息子が目の前で変貌していく様を見て母親は震えが止まらない。
そして変形が終わったころ、目の前にいた彼の母親目掛けて鋭い鉤爪を振り下ろした。
「こっちだ化け物。」
ラガルがすかさず剣を差し込む、鉤爪が弾かれ火花を散らした。そのまま刃を上へと振り上げ、追撃するラガル。この攻撃で魔獣の注意はラガルに注がれた。
魔獣の突きを後ろへの飛びで交わすとラガルはそのまま小屋をでて広い野外へと誘い出す。
何事かと村人たちが出てきて、悲鳴があたりに響き渡る。
「燃え散れ!」
メフェルの声と共に勢いよく炎の玉が発せられ、魔獣を捉える。命中すると共に焦げた匂いが広がった。魔獣は腕で庇い体への直撃を避けたのだろうが、明らかに動きが鈍っていた。
そこへラガルの体重の乗った回し蹴りが入り、吹っ飛ぶ魔獣。倒れ込んだまま動かなくなった。
歓声などない、そこにあるのは終わったのかという安全を確認しようとする空気だった。それを破ったのは魔獣の母親だ。息子の名前を叫びながら駆け寄っていく。
「まだ近づかないで!」
メフェルの静止の声も届かない。
ゆらりと魔獣の腕が持ち上がり母親へと伸びていく、誰もが母親の死を覚悟した。
しかしそのときは訪れない。
「かあさん......産んでくれて......ありがとう......ごめ......。」
掠れるような声が聞こえた。同時に腕が下がる。
事切れたのだ。この瞬間、長い間母親を苦しめてきた呪いが途切れた。
荷が降りたように肩を下げ、ただしくしくとなく姿を見たメフェルは声をかけるのをやめラガルと共に立ち去った。
「最後の最後で理性を取り戻したか。」
「そっとしておきましょう。ラガル。」
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夜が明けて出発の時間になったとき、母親は見送りに来た。泣き腫らしたであろう赤い目をして。しかしその顔はどこかスッキリとしていた。
「ありがとうございました。あの子はちゃんと人間でした。」
「そんな、何もできなかったわ。」
「息子の最後の言葉を聞けただけでも十分です。」
「愛が呪いを生むけれど、呪いを解くのもまた愛よ。きっと息子さんは後悔していたのでしょうね。」
村人たちの見送りで二人は去っていく。
その頃、離れた土地で一人の少年が旅立ちのときを迎えようとしていた。
――彼の瞳にも同じ満月が映る。




