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愚かな2人

 魔術師は笑っていた。

 “死者に会える鏡”――ヘレーの鏡。

 その名を聞いた瞬間から、彼女の時間は止まっていた。


 大地が揺れるほどの咆哮が響く。

 薄暗い洞窟の中、割れた天井から差し込んだ光が一体の龍を照らしていた。


 眩く輝く黄金の鱗――。


 目に痛いほどの輝きに魔術師の女は目を細めた。

 そのときだった、死角から竜の尾が振るわれる。


「ラガル、横!」


 魔術師の鋭い喝が飛ぶ。

 危なげなく狩人が避ける。竜の炎が大地を焼き、ちりりと肌を焦がした。

 ふと女の視界の隅でキラリと何かが光る。

 その光を見た彼女は声を張り上げた。


「あったわ!」


 積み上げられた財宝の中、一際存在感を放つ紫の光。

 ヘレーの鏡――それこそが二人の目的であった。


 “死者に会える鏡”を前に、二人は命を賭ける。


 禁断の力を前に魔術師の知への欲が高まった。

 くだらないほどに心が騒いだ。

 ――本物であれば大いなる発見になる。


 けれど、知っている。世界は、正しい形でないことを。

 

 彼女の胸の奥には、誰にも言えないもう一つの願いがあった。それは世界を正すための、あまりに危うい願い。

 壊れた理は誰かが正さねばならないのだ。

 

 彼女はまだ知らない、それが世界を壊すことになると。


 立ち塞がる竜の影の下。一人の狩人と魔術師は宝を見上げる。無謀だと知りつつも、絶対に生きて帰る自信が二人にはあった。


 ――この冒険が始まる少し前。二人はまだ、竜に挑む運命を知らなかった。


 

 *

 


 時は遡り、そこは煉瓦造りの街。人混みの中で詩人が高らかに歌い上げる。

 

 「そして魔女は言った。千年後、大いなる災いあるだろう。闇の王が生誕なされる。」


 重々しい語りと共に演奏が止まる。観客たちは話に聞き入っていた。演目が終わり次の話に差し掛かった頃、舞台を眺めていた市井の女たちがうわさ話をはじめる。

 

「どこに行ってもこの話、ちょうどもう少しで千年だってね。魔獣は確かに増えてきたねぇ。」

 

「獣なんかより魔獣狩りみたいなゴロツキのが嫌さ。ほぅら、例えばあそこの亜人……。」


 言い終わるや否やギロリ、とその男が睨む。ひっ、と縮こまって女たちは逃げていったが、亜人と呼ばれたその男は機嫌が悪そうにその後ろ姿を睨みつけていた。


「睨まないのラガル。なんだか今日は騒がしいのね、お祭りかしら?」


 その様子に男の背丈に隠れていた小さな女がひょこっと顔を出して亜人の男を宥めた。二人の風貌はこの国の人間とは異質であり、何かと目を引いた。女は大きな杖を抱えており魔術師だというのが一目でわかる。魔術師というのは珍しくどこに行ってもその存在は恐れ敬われる。


 そんな魔術師がまだ幼さの残る顔立ちをしている少女ともあれば物珍しさで誰もが振り返るだろう。背丈が人よりも小さくよく目立つ桃色の髪も相まって彼女はどこにいても目を引く存在だ。


 そしてラガルと呼ばれた男は背丈が頭ひとつ分他より大きく、彼もまた先が紫がかった薄水色の明るい髪をしているためこ二人は常に視線を集めていた。

 

「魔術師様だ。」

「本物か?」

「だとしたら亜人は奴隷だな。」


 大通りを少し歩くだけで人々が話を始める、お互いそんなことにはもう慣れっこだった。

 ラガルが大股で人々の合間を抜けて、その横を魔術師の女がちょこちょことついていく。


 ふと魔術師の女が建物の看板に目をやる。

 

「ねえ、ラガル。狩人協会ここにもあるみたい。あっという間に広まるのね。私たちも入った方がいいのかしら。」


「仕事の斡旋、素材の買取なんかもするらしい。魅力的だが入るためには金が入り用だろう、一応聞くが金はあるのか?」


 ラガルの言葉に女は笑って自分の服を指し示して見せた。彼女の服はただの布で出来てるように見える白いワンピース一枚だ。

 

「もはや旅を続けるのさえカツカツなのよ。」


「……お前が魔術書やらなんやらのものを買い漁るせいでな。」


「それが目的だから仕方ないじゃない。」


 ラガルは無言で息を吐く、女の浪費癖を知り尽くしていたからだ。

 

「あなたにとっては旅の目的が違うけど。」


 そして魔術師の女が何の気なしに言った言葉に、ラガルはなにか思いつめた表情をする。首巻きの下にさげた銅の薄板を指先でなぞった。

 鉄よりも軽いはずなのに、触れるたび胸の奥が沈んだ。


 女魔術師はラガルを尻目に焼き鳥の屋台を見つめている。その顔は少しひもじそうで、少し経ったあとにぐぅと腹の音も聞こえてきた。


 ラガルはその音に応えるように口を開いた。

 

「ここら辺に仕事はなさそうだ。大きいモノは全部協会に流れて、他は……そもそもここエポドナフルは全体的に仕事の数が少ない。魔獣被害があまりない。」


「武人の国だもの、前に来たときもこうだったわね。情報収集ありがとう。」


「魔術師限定の仕事はあった……俺は気が乗らないが。」


「あらそうなの。話を聞くだけ聞いてみたいわね。」


「話聞いてたか?俺は気がのらない。」


 ラガルは気乗りしなそうだったが、女に押し切られ依頼人の館へ赴くことになった。そうして二人が訪れた館は全ての窓が木で打ち付けられた奇妙な館であった。

 扉をノックすると使用人ではなく当主本人が出てくる。その姿はやつれており病人のようだ。


 通された先は長テーブルが部屋の中央にある客室というより食卓の場でそこには一人の女性の絵画がずらりと並んでいた。


 二人は妙なものを覚えたが依頼人の手前、顔に出すことはせず胸の内に秘める。


 食卓の上に飾られた小さな花の花瓶はもうずっと手入れされていないようだった。

 

「どうかお力になっていただけないですかな、メフェル様。」

 

 一通りの話を済ませたあと男が魔術師の女、メフェルに尋ねる。ラガルは椅子に座って話す二人の会話をじっと後方の壁際で聞いていた。


 「魔獣に盗られた荷物の回収...それくらいならいいですけれど目星はあるのでしょうか。」


「本当ですか!さすがは魔術塔の魔術師様だ!」


「え?いえ私は。」


 何か言いかけたメフェルを遮って男は間髪入れずに言う。それは興奮した様子で喜色に溢れていた。そのままの勢いで男は目星を告げる。

 

「もちろん目星はついておりますとも。黄金竜です。」


 それを聞いたメフェルの顔色はすぐに変わった。

 

「お断りするわ。」


「ま!待ってください!最後まで話を聞いてください。」


 そこでやっと壁際にいたラガルが口を開く。

 男の静止の声はお構いなしだった。


「おかしいと思った。荷の回収くらい普通の魔獣狩りに依頼すればいい話だ。おおかたどいつにも断られたんだろうが。」

 

「そんな……メフェル様しかもう頼れないのです。」

「大金を積め。それなら人が来るだろう。」


「退治してほしいのではありません。ただ荷を取り返してほしいのです。お金なら出します!どうか、長年追い求めてきた品なのです。一度でいいから……もう一度……妻に。」


「そのお金で討伐隊でも組むことね。」


 メフェルが無慈悲にそう告げると男は声を荒げた。先程までの悲痛な面持ちとは打って変わってその表情は怒りに満ちている。

 彼の手は震えていた。鏡に映るのは、きっと妻の笑顔だと信じていたのだ。それを叶える為にはメフェルの協力が必要だった。

 メフェルは少し気圧されながらも部屋を出ようとしたとき。


「いいえ!できません。私が取り返して欲しいのはヘレーの鏡なのです。きっとゴロつきどもを雇えば盗まれてしまう。」


 その男の言葉にメフェルは動きを止める。

 一方ラガルは何が面白いのかニヤニヤし始め、楽しそうに男に詰め寄った。

 

「俺たちもそのゴロつきだ。魔術塔の魔術師と言ったのは俺だが確かめもしないで迂闊だな。流れの魔術師とそのお付きの魔獣狩だ。」


「な!貴様、嘘を……メフェル様は塔の魔術師じゃないのか!」


 胸ぐらを掴み上げる勢いで食ってかかる男と、それを嘲笑うラガルにメフェルが割って入る。その声色は場にそぐわず明るかった。

 

「待って、ヘレーの鏡?それ本当なの?」


 ヘレーの鏡――その言葉に、ラガルの指が僅かに震えた。一瞬ラガルが顔を顰めて、すかさず『偽物だ。』と言い放つ。しかしメフェルは聞いておらず、急に早口になって喋り出した。その瞳は爛々と輝いている。


「死者に会えるという古の魔道具……伝説の魔法!もっと詳しく聞かせて頂戴。安心して、確かに私は塔の魔術師じゃないけどたしかにエルトリの生まれだわ。ほら。」


 一寸も置かず、早口で捲し立てるように話すメフェルに男は圧倒されていた。一方ラガルはまたかと言ったふうに額を抑えている。


 メフェルが一呼吸置く。


 どうしても確かめたい、その衝動に息が浅くなっていた。

  

 ――あの日の約束が果たせるかもしれない。

 鏡の向こうの失われた笑顔を思い浮かべる。

 顔も思い出せなかったが、彼女は忘れない。

 

 腰につけたバッグから何かを取り出して男に渡したが、それを男が確認している間にもメフェルは喋り続けている。

 

「専門は古代魔法よ、もちろんその仕事引き受けるわ。死者との邂逅、その魔法は色々あるけれどそれは限定的で実際に姿形を捉えるとされるのはヘレーの鏡だけなのよ。竜の巣穴ね?それくらい私たちにかかれば楽勝よ。なんとかするわ。」


「おい!馬鹿!」


 気安く竜退治の仕事を受けたメフェルにラガルが怒りの声をあげる。メフェルの心臓は高鳴っていた。


 冥府の力の前に彼女の暗い欲望が湧き上がる。彼女の探究はもはや善悪の外にあった。

 未知の知識はメフェルを蝕む。

 それは恋でも恐怖でもない――探究への快楽だった。


 メフェルはラガルの罵倒を気にした様子もなく、男を見つめる。

 一方、男の視線はメフェルから手渡された物に向けられていた。それは紋章入りの小さなメダルであった。その紋章を確認すると男の表情が変わる。


「確かに魔術塔の紋章、でも塔の魔術師ではない?」


「私は興味なくて所属してないのよ、でも後ろ盾……えーと塔のお墨付きはいただいてるわ。」


 男がメダルをよく見ようと裏側を確認したときだった。さらに男の表情が驚愕の色に変わる。それはどこか嬉しそうでもあった。

 

「これはアグロム家の家紋!お願いします!どうか!」


「ふふ、任せて頂戴。絶対になんとか鏡を手に入れてみせるから!」


「ありがとうございます!」


 彼女がアグロムの者だとわかると男は是非にと依頼をお願いする。ラガルはその様子を面白くなさそうに見つめていた。二人のやりとりが終わるや否や怒涛の勢いでメフェルに罵倒を飛ばした。


「おい、馬鹿女、魔女!気が狂ってるんじゃないのか。どう考えても無理だ。」


「私は魔術師、魔女って呼ばないで。」


 メフェルは魔女と呼ばれた部分にだけ反応をし訂正する。罵倒の他の部分は気にならないようだった。そして二人は口論の姿勢に入るが、それを見た男はすかさず懐から一枚の鱗を取り出した。そしてラガルに向かって語りかける。


「あの竜がなぜ黄金と呼ばれるのか、ご存知ですか。それは全身が金でできているからなのですよ。」


 ごとりとその鱗を卓上に置く。鱗は溢れんばかりの輝きを放つ金の鱗であった。その重みは置いたときの音でもわかるように、手のひらほどの大きさに対してかなり重いものである。


 ラガルの目はその鱗に釘付けで男の言葉に揺れ動いていた。


 ――――――――――――――――――――――



「……あなたって本当お金のことになるとダメね。」


 場面は変わって二人は屋敷を出て外にいた。そこでメフェルはおかしそうにラガルへ語りかける。

 結局、ラガルは依頼を受けることに同意した。


 あの輝きを見せられた以上、合意せざるを得なかった。


「黙れ、金は命に変えられる。」


「ああ出た、あなたの口癖ね。」


 ラガルはメフェルに目もくれず、貰った前金の袋を開き勘定を始める。そこには家が二軒ほど買えるぶんの金額があった。


「これだけ用意できるなら腕のある竜殺しでも雇って討伐隊を組んだ方がいいと思うがな。」


 そう言いながら金貨を数えるラガルにメフェルは得意げに言った。


「知らないの?黄金竜って竜殺しの間では不落の竜って有名なのよ。」


 そう言うとラガルはようやくメフェルに顔を向ける。続けて彼女はこう話した。

 

「エポドナフルから南東へ三日の街、ナザレム。その郊外のカンサク山に根城を構えてる竜で、よく街道の荷馬車を襲うので有名なの。ちょうど十六年前だったかしら?竜殺しの英雄と名高かったバルデンスが散って以来、誰も挑戦してないらしいわよ。」


 沈黙するラガルにメフェルは笑いながら答える。


「今から断るのは絶対なしよ。」


 その揶揄うような声に強がったのかラガルはムッとして言う。


「たかだか人間の強い、怖い、恐ろしいほど当てにならないものはない。」


「お金に浮かれてるわね。さて、そうときたら当分の目標は竜退治になるわね。頼りにしてるわよラガル。」


 ぴょんと弾むような動作をしたあと振り返って後ろのラガルに彼女は語りかける。


「行きましょう、ナザレムに!」


 黄金の鱗の輝きが、まだ目に焼き付いて離れなかった。彼らの旅は、この日から災いの時代へと歩み始める。

 今,二人の運命は動き出した。

 世界を壊すための、最初の祈りとして。

誤字脱字訂正→モルガ家をアグロム家/ラガルの髪色描写に抜けがあったのを修正

話が冗長だったので肉屋のくだりをカットしました。

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