打音の残る夜
その夜、ラガルは眠れなかった。
火の匂いが、喉に残る。
目を閉じると、金槌の音が反響した。
——誰に教わった。
その声が、やけに鮮明だ。
彼の赤い瞳が、脳裏に残る。
それが、消えない。
ラガルは眠れなかった。
*
メフェルはサンオドアルの空を見上げていた。
星空が瞬いて、今にもこぼれ落ちそうな夜だ。
こんな夜に思うのは、自らの使命のことだ。
熱い風が火の匂いを運んで、メフェルは思わず心が安らぐ。
(……あの人の匂いがする。)
確かに隣に立っていたはずなのに。
その続きを、思い出せない。
あの日から、何かが途切れている。
(ヘレーの鏡が必要だわ、ラガルの為にも私の為にも。
冥府への手掛かりはきっとそこにある。)
窓辺に腰をかけて想いを馳せた。
そして隣の部屋を見つめながら、すぐ側にいるはずの人のことを考える。
「ラガルは……こんな夜に思い出すのかしら。」
もしも彼が自分と同じであれば、いいと願う。
どんなに変わってしまっても彼は彼だ。
旅をする中で想いは募っていった。
頬が熱い。
火のせいだと、自分に言い聞かせる。
蹲っていると部屋の扉が不意に叩かれた。
ミムラスは熟睡しており、全く気づいてないが、こんな夜中に誰が訪ねてきたのだろう。
メフェルは警戒しつつ扉の前に立つと、イーヴァの声が聞こえてきた。
「……起きてるか?」
「ええ、起きてるわよ。」
メフェルが返事をすると扉がそっと開かれた。
そこにはイーヴァが立っている。
「こんな時間にどうしたの?」
「ああ……話があってな。ほら、前にサンオドアルに金の民……アルダ一族が住むという話をしただろう。覚えているか?」
メフェルはそう言われて記憶を辿る。
それは王宮、エイシュの銀の塔での会話だった。
精神を操る魔法を持つ――アルダ。
ラガルの呪紋を消せるかもしれない、望みの一族。
「覚えているわ。」
メフェルが強く頷く。
「イルネスがそいつらとの繋がりを持ってるんだ。
顔合わせを頼めないか聞いてみる。」
「彼が?聞いてくれるの?」
イーヴァは一瞬だけ視線を逸らした。
「さあな。だが、あいつは借りを返す男だ。」
「借り?」
「……まあ金だな。」
それ以上は語らない。
火の匂いが、廊下を流れていく。
メフェルはイーヴァの横顔を見つめた。
「ラガルは、知ってるの?」
「いや。まだ言ってねぇ。」
その言葉に、メフェルの胸が僅かにざわつく。
「言うつもりは?」
「様子見だ。」
短い。
だが、その短さの奥に躊躇いがある。
イーヴァは腕を組み、低く続けた。
「イルネスの目がな。」
「……ええ。」
あの鍛冶屋が何度もラガルを見ていたことに、メフェルは気づいている。
「あの人、ラガルを見てたわ。」
「見てたな。」
火の粉が、遠くで弾ける音がした。
「ラガル、気づいてるのかしら。」
「気づくわけねえだろ、あの鈍感が。」
「どうでしょうね、視線には敏感だもの。」
窓の外をメフェルは眺める。
サンオドアルの夜は僅かに赤かった。
くり抜かれたような景色が目に飛び込む。
「ラガルはまだ起きてるの?」
「ああ、部屋に来るか?」
「ううん、乾いた氷は音なく割れるのでしょう?
なら今、会うのは違うもの。」
「そうか。」
静かな夜に、メフェルの短い笑い声が響く。
イーヴァはため息を吐くと言った。
「明日、イルネスに話を振る。
だが、ラガルには、まだ言わねぇ。」
「……そうして。」
短いやり取り、だがその中に緊張がある。
イーヴァは踵を返す。
「寝ろ。」
「努力するわ。」
扉が音もなく閉められた。
それを確認して、メフェルは窓辺に戻る。
そして、また隣の部屋を見つめる。
灯りは、まだ消えていない。
*
皆が寝静まった後の部屋で、ラガルは天井を見つめていた。
眠る必要はないが、思考が止まらない。
——母に似たせいだ。
なぜ言った。
必要のない言葉だった。
金槌の音が、遠くで鳴る。
本物だ。
夜の鍛冶場で、誰かが打っている。
ラガルはゆっくりと身を起こした。
足は、無意識に火の方へ向く。




