第46話 夢 その4
「何の話だ?」
「"吸血鬼という恐怖"を司る悪魔だよ。余興があって。悪魔界最弱王決定戦の主役として抜擢されてしまってね。
ルシフェルはああいうイジられキャラを見つけていじるのが、それはもう抜群にうまい」
「嫌な特技だな」
「つまりはそのくらい人々の間から恐怖が薄れ、全く存在感のないものになってしまってるということさ。
ここの古文書でもないと吸血鬼化の治療に関する知見は集まらない。まあ古文書を紐解いても集まるという保証はないがね」
「やれやれ。そういうところだぞお前」
「そういうお前も……あ、そういえばお前の悪い噂、私はもう一つ聞いたぞ。
何でもまだ小さい皇女殿下をたぶらかしているそうじゃないか?」
「あの子は勉強熱心で筋もいいからな。よく俺のところに色々聞きに来るんだ。それが何か誤解を生んだみたいだが。
賢い子だ。そういうの理解できない年齢でもないと思うんだが」
「それは私も同感だ。妙な噂が立てば嫁入りも出来なくなってしまう。
まあ別にそれはどうでもいいんだが、お前がここに居づらくなるんじゃないか?」
「まさかあの子は俺のことをここから追い出そうとして……いや、考え過ぎか」
「それだけはないだろう。見ればわかる。あの子はお前にとても懐いているからな。
実の親同様に過ごした乳母と甲乙つけがたいくらいにねえ」
「難しい所だ。俺もお前と同じでそろそろ引き際を考えていたところだからな。
そろそろ研究に目途をつけないと。もうここへきて何年だ。時間の感覚がわからん」
「そんなこと私に聞くな。それと、人間の妻を数年待たして会わないでいても大丈夫なのか、とかも聴くんじゃないぞ?
当然それも私は知らないよ。お前に子供が出来ようが知ったことではない」
「冷たいな、兄弟だろ。それにお前にも妻や子供が出来たこと本当にないのか?
俺と違ってお前はよく女にモテてるみたいだからな」
「あれは周りに合わせてるだけの女性さ。本当に私のことが好きでたまらなくてくっついてくる女性は一部だけだよ」
アクセルは見た目はそこそこ、まあよくいるハンサムで長身で美形なうえ社会的地位と高い実績を持っていた。
モテて当然である。そのことについて嫌味を言ったら自虐風自慢をされてしまったアルベル先生。
しかも、心の底から自虐している風にしか見えないので怒ることも出来ない。
「そ、そうか」
「しかし子供か。私にはまだ早いよ。私はまだ、自分が何故生まれたのかという疑問が解決できていないのだからね。
何故、私は生まれたんだろう。魔術と知恵をこれでもかと集めた帝国中枢の学園になら、何かヒントがあると思っていた。
十年以上ここにいるがまだ答えは出ない。十年といえば……」
「十年と言えば?」
「ビスマルク副長っているだろ? ほら、死神騎士団の」
「ああ、いるな。名門貴族だとかいう」
「彼が先祖から受け継いでる刀剣は死神騎士団結成以来受け継がれてきた血染めの刀剣でね。
何でも、我らが母は死神騎士団に十年もの間、体をいじくりまわされて研究されてボロ雑巾のように捨てられて父さんのところへ戻ったらしい」
「聞いてるよ。しかしなぜそんなことに。オヤジ達には死神騎士団を皆殺しにするぐらい造作もなかったはずだが」
「ビスマルクの先祖は当時も死神騎士団にいたらしい。でね、当時の隊長に頼まれたんだそうだ。
俺の魔法をこめた刀剣で首をはねてほしい。俺は死に値する罪人だから、とな」
「それが話に聞く俺たちの兄貴なんだろ?」
「なんだ、聞いていたのか。そうだ。彼はビスマルクの先祖に刀剣を渡した。
ニコは大恩ある王家に母を引き渡した自責の念から死を選んだのだ。
その事実は知らされず、ニコを人質に取られていると勘違いさせられたまま母さんは実験材料にされ続けた」
「……まさかお前、俺をここに呼んだのは」
別に酔っていたわけではないが、思わずサッと頭から一切の熱や疲労感や滞りの一切が抜け落ちたかのように冷静になったアルベル先生は居酒屋の席で立ち上がっていた。
アクセルはそれを何の感情も持たない目で見つめ、うっすらと笑みを浮かべながらさっきと変わらない調子で答えた。
「そうだよ。図書館にある知見とはその時の実験のデータだ。信頼できる情報だろう」
「よく……先生はそれを許せたんだな。俺だったら……!」
「許しただと。違う。不死身の体、逃げられない状況。
無限に続く苦しみの果てに彼女の精神は二つに分裂した。
辛いことや苦しいことは"あっちの可哀そうな子"の身に起きている状況だと思い込むことによって耐えてきたんだ。
そして、地獄を押し付けられ続けた"魔女"は覚醒した。魔女の蛮行に父は何も言わなかったらしいよ。ああ、そうだ。
お前は孤独の悪魔とは一度も会ったことがないんだったな」
「誰のせいだよ」
「魔女は今でもあの人の心の中にいる。そしてお前はそれを知らない。
知らないから、ただただ優しい母親の姿に似せて人形を作ったんだろう?」
「そいつはお互い様だな。俺もお前もだろ。哀れな作り物の人形は」
「全くだよ。だから求めてるんだ。自分の存在する意味を。しかし何の話だったか忘れてしまったよ。
で、なんだっけか。ああそうそう。思い出した。お前の娘がどうとかいう話だったな。
いや、違うか。ここをやめると言う話だったか。まあどっちでもいいが……お前をここに引き込んだのは私だが、私ではない」
「何を言っている」
「ここへ来たのはそうなる運命に違いないということを言っているんだよ。
いつかは離れるだろうが、それはいつかはわからない。それもまた運命だ」
などと言いつつアクセルとアルベル先生は噛みあわない会話を最悪の空気の中続け、アクセルだけは友人と楽しく飲んでいるかのように口元に笑みを浮かべる不気味な光景を繰り広げた。
その翌日のことである。いつものように授業を終えると、シロル皇女殿下がかなり怒った様子で次の授業のために移動しようとしている先生に大きな足音を立てながら近づいてくる。
まるで小さな火山だ。くわばらくわばら、これ以上怒りを買わないように近づかないでおこう。
といつもなら思うところだが、何の用件で来たかはさすがにちょっと人間関係には鈍いほうのアルベル先生にもわかる。
逃げも隠れもせず正々堂々、正面から迎え撃った。
「どうした姫様。宿題を減らして欲しいなら俺は北風作戦より、太陽的な作戦のほうがいいかなぁ……?」
「ここをやめるなんて言わないですよね。噂になっていますよ。もうここを辞めちゃうんじゃないかって、先生が!」
「なるほど……人間関係、そういう手もあるというわけか?」
「何を一人で納得してるんですか。説明してください!」
「そういう風評を流すことで圧力をかけるってことだ。やれやれ、結構ここになじんできたと思っていたところなんだがな」
「えっ……本当にやめてしまわれるんですか?」
「まさか。学園長にその権限はない。俺は死神騎士団の一員だからな。
学園長はそうじゃないから人事権は持ってないんだ……とか難しい話でも賢い姫様だからちゃんとわかってくれるよな?」
「もちろんです!」
「まあ、仮に俺のほうから辞めたとしても会えなくなるわけでもない。
この空の下、どこまでも繋がっているんだからさ。姫様……俺、話したことあったっけか?
ある地方に残してきた家族の話を」
「先生の家族のことは……アクセル様の話ししか私は、まだ」
「一人娘がいる。姫様とはだいたい同い年くらいかな。何を隠そう俺と一緒に来たあの二人」
アルベル先生は、姫様たちより幾分年上の、だいたい二十歳前後の、現代先進国で言う最後のモラトリアムを満喫する大学生といった具合の連中がたむろしている、食堂の奥の方の席を指さした。
そこには兄妹二人、この年頃にしては仲良く隣り合って座り、若い学友とノートを並べて食事している先生の旧知の子たちがいた。
その子たちというのがビビ少年の親であり、ということはつまり彼の親とはアルベル先生と、それにくっついて孤児院にいた先生は知り合いなのだが、当時はそんなこと誰も知らない事であった。
「娘の面倒もよく見てくれた。もっともあの子は全然手のかからない子だったんだが。
その子の病を治したくて俺はここにいる。治せる目途が立ったら、俺は出ていく」
「そ、そうだったんですか」
実に二十年以上も前の当時のシロル皇女殿下は今とほとんど性格が変わっておらず、また子供とは思えないほど聡明で、自己犠牲の精神を備えていた。
このくらいの年頃は遊び、サボり、わがまま、反抗のことしか考えていないものであるということを忘れそうになるほど皇女殿下はいじらしい乙女心を覗かせた。
むろん、先生には乙女心なぞ全く伝わっていないし、もともとそれを読み取る機能は存在していないに等しく、そんなものを期待するのはまさしく夜に影を追うようなものであった。
「あの、先生。もしよかったら私がそれをお手伝いしましょうか……?」
「気持ちは嬉しいが、遠慮しておく。姫様は自分の勉強に集中し――」
アルベル先生は途中で言葉を止めて生徒と微笑みを交わした。
「――なんて言う必要もなかったな。
非の打ちどころのない自慢の生徒だ。俺は幸せ者な教師だよ」
「ありがとうございます、先生」
「人に教えるのも存外俺に合ってるのかもな。姫様、俺たち死神騎士団。
そしてその弟子であるお前たち生徒は、今後もう必要なくなるだろう。
帝国を脅かす危険はもうほとんどないと言っていいからな。
化学は発達し、もはや魔術師なんかより歩兵のほうがずっと強い」
「私は戦艦にだって負けないですけどね」
「みんなそうってわけじゃないだろ。これも時代の流れってやつだ。
平和な時代に生まれた子は出来れば平和なまま生きて行って欲しい」
皇女殿下は重ねて言うが聡明な子である。
アルベル先生が実は育てた子供を戦わせるために魔術を教えているのに心を痛めていることを理解できる程度には大人でもあった。
そしてそれが分ればあとは彼がどう出てくるかもわかるというものである。
「先生は、魔術の知識を戦うことにのみ使うのがお嫌なのですね」
数百年前までは魔術によって人々は生活を便利にし、人間以外で魔術を扱う種族"魔族"と闘い、暮らしを守っていた。
だが人々は誰でも使える魔法、科学を発展させ、銃などを駆使することで魔族をほとんど全滅させた。
ある意味では、誰にでも魔法が使えるわけではなかったからこそ科学が発展したのだろう。
「参ったな。そこまで言うつもりはなかったのに。姫様が勉強熱心だからな。
時々この子に戦いの術を教えてる俺は一体なんだって自問自答してしまう。娘と同じ年頃の子にな」
「もし私のせいで先生が――」
「姫様は優しいな。とにかく俺が言いたいのは、最後まで責任を持つということだ」
「それって何の中身もないじゃないですか。私は――」
「どうした。寂しいのか。それは俺もだよ。この組織に入ってわかったことは三つある。
一つは姫様に会えてよかったってことだ。もう一つは、意外と教師は悪くないってこと。
そしてもう一つは――」
「もう一つは?」
「考え方の違う組織には入ってもしょうがないってことだ。
おっと、"暗い話はいいからいつものはまだか"って顔だな」
「そんなこと言ってないじゃないですか!」
図星であった。皇女殿下は"いつもの"が大好きであった。
これはいつだったか、かなり前なので筆者も忘れてしまったがとにかくかなり前に前述したように、彼女の生い立ちに深く関係ある。
身分は高いが、かといって女の子だし、物心ついたころには直系の祖父である初代皇帝は退位。
自分と血のつながりのない二代目皇帝が即位していたということもあり、権力の座からはかなり遠かった。
そのため自由にやれるかというとそうでもなく、彼女の場合は魔法の才能が有ったので死神騎士団としての訓練を幼い日から行っていた。
実のところこれに根拠はないのだが昔から"処女のほうが魔力が高くなる"と信じられていたので、結婚の話もほとんどなかった。
そんな箱入り娘にとって博識で色々な人生経験を持つアルベル先生の外の世界での話はほぼ唯一の娯楽と言ってよかった。
彼女は彼とのそんな時間が大好きであったが、彼自身のことまでも愛しているのかどうかは自分でもわかっていなかったのは言うまでもない。




