第45話 夢 その3
「……"今は"殺しきれないか」
負け惜しみのような捨て台詞を吐いたアクセルは、事実上降参を申し出たに等しい。
さっきアクセルの分身の一人を倒した炎を再び彼へ向けて発射した皇女だったが、アクセル本人は次元の狭間へ姿をくらましてしまった。
その際には、ボマーことフリッツは爆発を浴びせてその隙に魔女の生首を奪った。
そしてもう一つ、彼にはやらなければならない仕事があった。
彼が何をやったのか、数秒経過してみるまでビビ以外の誰にもわかってはいなかった。
「なんだ!?」
「ついに来たんだ」
爆弾男の言葉の通りであった。この町に艦隊からの砲弾が降り注ぎ始めたのである。
そして本来であればもうとっくに体の頑丈なアベルを除き、この場にいる人間は砲弾によって消し炭に。
運がよかったとしても吹き飛んだ瓦礫の下敷きになるなどして身動きがとれなくなっていたことだろう。
「完全に忘れてた。おい爆弾男、あの剣を俺に貸してくれ!」
「持っていかれた! それよりここを切り抜ける!」
爆弾男はビビを小脇に抱え、もう片腕には魔女の生首を抱えたではないか。
「ちょっ、待て。俺はともかくモードを置いてくのかっ!?」
「そいつは裏切りものだ。仲間じゃない。お前と一緒に居られて満足だろうよ」
何と恐るべきことに、爆弾男はこれを言い終わると小脇に抱えていた魔女の髪を口にくわえたではないか。
そのような冒涜的所業を行う理由が一瞬アベルには不明だったので眉をひそめた、というよりも顔を大きくしかめたと言ったほうがむしろ正しいか。
彼は顔を歪めて激しい非難の色を示したのだが、どうやらその理由というのが魔女の悪魔に殺された少女の遺体を腕に持つためらしかった。
もはや、それに文句は言えまい。アベルは静かに目を閉じた。
「すまん二人とも。どうしようもないこの状況……死んだらごめんな」
命がいくらあっても足りない鉄火場には似つかわしくないほどアベルの声は静かで落ち着いていた。
今にも命を落としかねない死地に動揺を隠せないでいたモードレッドと皇女の両名が、逆に平静を取り戻すほどにである。
そうこうしている間にも、笛の鳴るような音ともに艦砲射撃が続き、悲鳴と業火が街のあちこちで上げがっていた。
「先生、私には覚悟も責任もあります」
「私だって!」
爆弾の悪魔との契約者だけあって、少年たちを守っている男の周りはまるで砲弾の雨など降っていないかのように静かで落ち着いていた。
むしろ彼らにとっては大好物のようなものだ。爆発の力を逆に利用し、自由落下に逆らって浮上したかと思うと、何とそのまま空の彼方へ消えてしまった。
これと変わらないくらい驚くべき展開も、もう一方では起きていた。
残された三人は肩を寄せ合い、押しくらまんじゅうのようにぴったりと密着していた。
男の右腕側に陣取ったモードレッドはさっきアクセルに切断された彼の右腕を切断面に押し付けて癒着するのを待っている。
モードレッドと寸分たがわず同じだけの覚悟を持って彼に寄り添っているのは左側にいる皇女だ。
寸分たがわずというのをわざわざ説明するのも野暮なのだが、つまりどういうことかと言えば、彼のそばで命を落としても構わない、との覚悟だった。
この攻撃を命じさせたのは皇女である。彼女には初めからその覚悟があった。
町の人口、およそ五万人を全員巻き添えにしてでも魔女を倒すと心に決めていた。
「こっちをみろ、小僧」
アベルもバカではない。ここに先生がいないことなどは百も承知である。
だが反射的に聞き馴染みのある声のする方を向いてしまった。
そしてその瞬間見えたのは、やはりこれも馴染みのある顔。
「お前に夢を見せる。安心しろ、ガキはおらぬから妙なことは起こったりせん」
「先生とおなじことができるのか?」
応答する必要すらない、とばかりに魔女の悪魔はアベルの視界から消えていった。
そして彼が次に気が付いた時には肉体という名の牢獄にとらわれた意識としての自分を認めていた。
これは、過去である。昔、確実に起こった過去である。それがどこであるか、いつ頃のことであるか。
アベルは身に覚えこそないものの知識としてある程度は知っている。
ここは二十二年ほど前の帝都・ベルンシュタインベルク。
その中心街にある宮殿の中にある非常に広大な庭である。
庭というか、牧草地のようなものである。皇族はそこで馬を走らせ、動物を飼い、茂みや森には一定数の野生動物すら生息している。
想像を絶する広さだが、想像しやすくすると、宮殿の敷地はだいたい東京二十三区と同じくらいの広さだ。
言うまでもないが、これは帝都のサイズではなくその中心に位置する宮殿の敷地の話だ。
さて、そのように必要以上に広大な敷地を持つ宮殿の庭園なので各地に点在する森、丘、湖。
それぞれに縄張りがあり、皇帝一族が自分勝手に所有しているが、皇帝直轄地には重要な建物が集中している。
もっとも、本当に重要な建物は宮殿の外にあるのだが。
たとえば帝都を守る近衛兵団と、のちに警察機構として組織される治安維持部隊の駐屯地、立法府、高度に官僚化された行政官が働く様々なオフィスなど。
帝都の話はその辺で置いておこう。重要なのは、皇帝直轄地の外れには学校と図書館があるということである。
その日、アベルという本名を偽ってアルベル・ストラスブール先生と名乗っている謎の怪しげな男が、学園長と話をしていた。
「ご用件というのは?」
当時のアルベル先生は、今とは違ってかなり大人な性格をしており、そのうえ先生という衣をも纏っているのだから、それはもう大人でダンディで知的な仮面をかぶっていたのである。
ただ知的で大人な先生というのも決してただの演技というわけでもなく、王立魔法図書館に入り浸っては様々な調べものや研究を暇を見ては行っていた。
それもそのはず。当時の彼には妻と子がいた。
二人は彼の母である魔女・イザベルによって命を救われた代償に不老不死に近い体になってしまっていた。
しかも日光を浴びると肌が石化してしまう"石化病"にかかっていたのだ。
これは当時、吸血鬼がほぼ完全に絶滅しており、吸血鬼が日光に触れた際に起きる症状と同じことが起きている、ということが知られていなかったために石化病という名前で便宜上呼ばれていたものだ。
しかも悪いことに彼の娘は妊娠中にその影響をうけてしまったものだから、成長、つまり老化が著しく遅くなってしまったのである。
具体的には生まれてから三十年以上の時が経ってもまだ姿は赤ちゃんのままである。
母体であった占い師も三十数年前に二十代後半だったので現在は還暦近いはずだが、見た目の年齢は女性に対して特有の気遣いを抜きにしてもせいぜい三十歳そこそこでしかない。
だから時間だけはいくらでもあった。
もっとも、運命が彼をゆっくりとこの地にはとどめてくれなかったのだが。
そのアルベル先生はというと、当時の学園長であり、昔は死神騎士団に在籍したこともあった学園長に呼び出されているところだった。
学園長、というとなんだかほのぼのとした響きではあるが、彼もれっきとした帝国への魔術的テロを企てる魔術師を討伐する、いわば対テロ特殊部隊のトップに近い位置づけだ。
「君がこれまでわれわれに貢献してくれていたことを想えば、そう思って目をつぶっていたのだがね。
この論文を見たまえ。これがどういうことか、わかっているのか?」
「これと言われましても。何か問題があるとは思っていませんが」
学園長が問題にしているアルベル先生が書いた論文が何故気に入らないかを子供に教えるように説明することは、引退した男にとっては難しい仕事ではなかった。
「いいかねアルベル先生。引用された参考文献は王立魔法図書館の禁書が含まれている。
それだけではない。禁書以外にも門外不出の文献が多数見受けられる。よく勉強しているようだな」
「それほどでも」
「皮肉も通じないのかね。いいか、これは大問題になりかねないのだよ?」
「だから何がですか?」
「王立魔法図書館というのがそもそもなぜ存在してるのか知らないわけではあるまい」
「だからそれは、すべての知を集約した場所は学者にとって恰好の研究の場となる。
それが巡り巡って王政のためにもなるわけでしょう。
だから当時の王たちは税を惜しみなく使って書物や学者を集めさせたわけで。名君と呼ばれるアレクシオス一世と二世の時代に」
「半分は正解だ。王立魔法図書館とは、知を独占するためにある。知識とはそういうものだ。
情報とは非対称な存在。このような論文を書いて秘伝の書の内容を広めてはならないのだ」
「それを教職である方が言いますか。矛盾を感じてならないですけどね」
「とにかくこれは決定だ。君は金輪際論文など書いてはならん。
そもそもの話だが、キミとアクセル団長はどこでその魔法を習ったのだ?
場合によってはそのことも詮索していかなくてはなるまい」
「まあまあ学園長。その辺にしておいてやってくださいよ」
相変わらず胡散臭い空気を纏い、笑顔の仮面をつけて登場したのはもちろん当時死神騎士団の団長を務めていたアクセルその人だった。
彼は何を考えていたのかは不明であるが、とにかく事実として、弟を自分の立場を利用し、宮廷へ招き入れた。
しかしこの秘密主義からも想像がつくように、学園長らは元死神騎士団の育成メンバーだったわけでもなければ、帝国貴族の出身でもないこの兄弟のことを不審がっていた。
どこでそんな高度な魔法を身につけたというのか。
むしろ、秘伝を継承している自分たちすら足元にも及ばないほどの高みに達しているではないかと。
「まあアクセル団長がそういうなら。だがこれ以上問題を起こせばキミの責任問題にもなりかねないぞ?」
「別に私はこの地位にそれほど興味はありませんが」
「なんですと!? 皇帝陛下から賜った大切な職務を侮辱するお積もりか?」
「滅相もない。では行こうか。下らないことで呼びつけられて説教とは、生徒に示しがつかないな、アルベル先生?」
「一応礼は言っておこう。学園長、よく考えたらごもっともな意見です。
闇の魔術師たちに王立魔法図書館の知識を盗まれたら大変だ。私が浅慮でした」
などと心にもないことを言って頭を下げたアルベル先生は、兄に肩を抱かれて学園長室をすごすごと退出していった。
時間帯は夕方、子供たちは帰った時間帯である。逆に夜の町は活気づいてくる時間帯だ。
夜と言っても女の子と飲みに行くような夜の店ではなく普通の居酒屋が城下町にあるので、他の教師たちとの付き合いもあり、兄弟はこのくらいの時間帯になるとよく顔を出す。
この日もお説教が終わって反省会を安い飲み屋で行う二人。
一見すると仲の良い同僚のように見えるが実際には、これまでのストーリーを見ていればわかるように不倶戴天の敵同士でもあった。
「しかしまあ、お前が目をつけられていなくても潮時だったかもなぁ」
いくら飲んでも酔わない酒のジョッキを口から離してアクセルがぼやいたのにアルベル先生がこう答えた。
「どういうことだ。やめる気か。十年以上はいるんだろ?」
「それがだね、十年もいるからこそだよ。肌ツヤが昔と変わらないだの、毛根の数だのと噂がね。
確かにわが学園の教師はお年を召していて、ハゲた方が多いが」
「つまり、やめると?」
「まあそうだね。これ以上やるべきことがあるとは思われない。準備はもうだいたい済んでる」
「よかったな。俺はまだもう少し残らないと。お前の言う通りならここの書庫が役に立つはずだが……?」
「要は母さんの……というかお前が変なもの作ったせいでそうなったんだろ?
石化病、だったか。吸血鬼化の症状だ。もう何百年も前に彼らは死に絶えた。
この間、ルシフェルが開いたパーティーのメインゲストがいたんだ。誰だったと思う?」
「何の話だ?」
「"吸血鬼という恐怖"を司る悪魔だよ。余興があって。悪魔界最弱王決定戦の主役として抜擢されてしまってね。
ルシフェルはああいうイジられキャラを見つけていじるのが、それはもう抜群にうまい」
「嫌な特技だな」
「つまりはそのくらい人々の間から恐怖が薄れ、全く存在感のないものになってしまってるということさ。
ここの古文書でもないと吸血鬼化の治療に関する知見は集まらない。まあ古文書を紐解いても集まるという保証はないがね」




