弐
「んっ……んん!」
私は目を覚ました。どうやら少しの間、寝ていたようだ。横向きになっていた身体をゆっくりと起こす。身体が重い。ここは一体どこなのだろうか。細目になりながら目を開ける。
「……え?」
目覚めた私が視界に捉えたのは工場の跡地だった。
鏡があったその場所に私はそのまま気を失っていたようである。
なんだ、悪い夢でも見ていたんだ。母が死んだとか全部夢であったに違いない。
どれ程私はここに眠っていたのだろうか。時間の感覚が掴めない。辺りは明るくなっていたということは一晩ここで過ごしていたということになる。本来であれば母は仕事から帰ってきている時間になる。私がいないことに気づいて今頃、捜索願が出されている可能性だって充分ありえる程だ。とにかく早く家に帰らなければ。
立ち上がった私は服に付いた土や埃を払って歩き始めた。工場の跡地を抜けて街に飛び出す。
歩く度に私はある異変に気付く。
現在の時刻は分からないが、恐らく午後に入った時刻であろう。太陽は真上に昇っている。それは問題ない。
信号や街の明かりは正常に動いている。それも問題ない。私が異変に感じているのはたった一つ。
「なんで? なんで誰もいないの?」
そう、街には私以外誰もいないのだ。歩行者も車道には車は一台も走っていない。街は街として成立しているが、人の存在がどこにもない。まるで私以外の人間が絶滅してしまったかのように。
ここは別の世界なのだろうか? いや、そんなはずはない。どこからどう見てもこの街は私の知っている街そのものである。生まれてからずっと住み続けた街なので見間違えるはずもない。確かにここは私の住んでいる街で間違いなかった。一体何がどうなっているのだろうか。
街を歩くにつれて更に不可解な光景を目にする。
信号機の向きが逆である。車道の信号機は左から青、黄、赤というのが一般的であるが、私の目の前にある信号機は左から赤、黄、青である。逆さまになっていた。それは一つだけではない。全ての信号機が逆さまである。
信号機だけではない。周りにあるものは全て逆さまなのだ。店の看板の文字も物の配置も何もかも逆さまなのだ。これはまるで……
「鏡の世界」と、私は呟いた。
誰もいない。モノの見える向きが逆。その違和感が私を不安にさせる。とにかく、今は早く家に帰ることが優先的だ。
不安をかき消すように私は走った。全力で走った。走って、走って、走り続けた。
そして、私は自宅のマンションにたどり着く。私は慌ただしく扉を開けて言った。
「お母さん! お父さん!」
私は大声で叫んだ。部屋中に響き渡るように。しかし、返事はなかった。
中に入り部屋中を探しても誰もいない。部屋中の物を散乱させてありとあらゆる場所まで隅々探したが住んでいた形跡は残っているが誰もいなかった。
テレビを付けてみるが砂嵐で継らない。家の電話で至るところに電話をかけてみるがコールは鳴るがすぐに留守電に切り替わる。頼みの綱である一一〇番にかけてみても誰も出てくれない。冷静になろうとしても身体はそうはいかない。
本当にこの街には……いや、この世界には誰もいないのだろうか。不安がピークになり、家を飛び出す。ジッとなんてしていられなかった。
「すいません! 誰か! 誰か居ませんか? すいませーん!」
私は大声でマンションの住民にむかって叫んだ。扉にむかってドンドンと叩いて「すいません」と言う。一部屋ずつ同じことを繰り返すが誰も返事をしない。マンションに誰もいないと分かった私は近所まで大声で助けを呼ぶ。だが、私に答えてくれる人はいなかった。ここには私以外誰もいない。一人ぼっちだ。交差点の中心部にきたところで私は膝を付いた。本当に誰もいないんだ。そう感じた私は涙が溢れ出した。声が出る限り大声で泣き叫んだ。私はこれからずっと一人なんだと。涙を擦っていた時、周囲の異変に気づく。
「……え? 何?」
突如、私の周りの地面からモクモクと煙が立ち込めるのに気が付いた。煙のせいで視界を奪われて周囲の景色が見にくくなっていく。
それと同時に「ガルルルル」と、動物の唸り声が聞こえ始めた。
煙で視界を奪われた私は煙の向こう側に動物のようなシルエットが映っていた。赤い点が二つあり、目のように見える。それは一つだけではなく、よく見ると私の周囲にいくつか赤い目のようなものに囲まれていた。
これは只事ではない。直感で分かった。身の危険を感じたのだ。煙の向こうにはどんな恐ろしい生物がいるのだろうか。
しかし、逃げようにも三百六十度、私の周りに何かがいるのだ。逃げようがない。怖い。どうしたらいいのか分からず足が竦む。
「……いや」
そう呟くのがやっとだった。唸り声は次第に大きくなる。絶体絶命であった。
その時だった。私の周辺に花が咲いた。それと同時に私の正面に誰かの後ろ姿が映った。
これはもしかして……
「お怪我はありませんか?」
私を前に背に後ろを向いたまま声をかけてきたのは今朝、歩けば花を咲かせるあのタキシードを着た男性だった。
「はい。あなたは……?」
私はか細い声で言うのがやっとだった。聞こえているのかどうかも怪しい。
「今はそれどころではありません。怪我がないのであればお逃げなさい。話はここを逃げ切ってからです」
「逃げるってどこへ? 周りは変な奴に囲まれているんですよ?」
「はっ!」
男性は突然、右手を前に掲げて圧を入れた。すると花の道筋が正面にむかって広がった。周りの動物たちは花を避けるように交わしていく。
「この道筋を真っ直ぐ辿りなさい。その先にいるジンダイという人に会えば助けになってくれるはずです」
「え? 誰? ジンダイ?」
「迷っている暇はありませんよ。敵は近いです。さぁ、走りなさい」
「で、でも……」
「あなたには後で話があります。さぁ、早くお行きなさい! ここは私が食い止めます」
私は男性に急かされて訳も分からず言われた通りに花の道筋に向かって走り出した。
男性を置き去りにした罪悪感の中、私は無我夢中で走った。
「なんなのよ。あいつ。訳分かんないよ!」
頭では状況がイマイチ理解しきれていなかった。
怖い。怖い。怖い。
なんで私がこんな目に合わなければならないのだろうか。一体ここはどこなのか。あの化物はなんなのか。あの男性は何者なのだろうか。何もかも分からないままだ。
五分ほど全力で走った私は息を切らしたので徒歩になる。花の道筋はまだ終わらない。一体どこまで続くのだろうか。いつの間にか私の知らない道を歩いていた。ここは森林である。随分と殺風景なところまで来てしまったようだ。
「……あれ?」
私は異変に気づき、立ち止まった。ここで私が目印にしていた花が途絶えたのだ。行き止まりということなのだろうか? しかし、ここにはジンダイという人はいない。男性に私は騙されたのだろうか?
だが、周辺をよく見渡すと十メートル先に小さな小屋のようなものがある。人が住んでいるとは到底思えない。しかし、行かずにはいられなかった。
私は小屋の正面まで近づく。この距離でもやはり人の気配は感じられない。
「はーふー。はーふー」
胸に手を当てて呼吸を整える。気持ちが落ち着いたところで私は勇気を振り絞って扉を二回コン、コンとノックする。
「ごめんください! 誰か居ませんか?」
五秒ほど待ってみるが、中からの返事はない。ドアノブを回すと鍵は開いていた。中に入れそうだ。
「開けますよー?」
誰に許可を取ればいいか分からないが一応、声をかけておく。
「お邪魔します」
私はドアノブを回して扉を開けた。
中は全て木造で作られた敷地で一LDKほどの空間だった。ベッド、ソファ、テーブル、キッチンと生活するには充分の家具が置かれていた。外見から見たのとは裏腹に中には生活する分には充分な環境であった。それにキッチンの方にはシチューの香りが広がっていた。やはりついさっきまでここに誰か居たのは間違いなさそうだ。
私は悪いと思いながらも小屋の中に足を踏み入れた。土足で入っても良いのだろうかと思ったが玄関なんてないから仕方がなく土足で踏み入れる。小屋も綺麗とは言えないので靴を脱ぐのも抵抗があったのだ。
小屋に入って一番先に目が付いたのはタンスの上にあった写真立てであった。私はそれを手にとって見る。
写真には白髪のおじいさんが小さな女の子を肩車して楽しそうにしている様子とその横には柴犬がはしゃいでいる姿が映っていた。幸せそうな一枚の映真に私は見とれる。
「ワン! ワン!」
写真に見とれていると犬に吠えられた。威嚇している様子だ。
「どうした。ラッキー」
犬の飼い主と思われる人が慌ただしく扉の前に近づく。
「な、なんじゃお前は! どこから入った?」
白髪の老人は声を荒らげながら私に怒鳴る。
「えっと……普通にそこの扉から?」
「ふざけるな。小娘が! さてはお主、ドッペルゲンガーじゃな? 今すぐ始末してやる」
そう言うとおじいさんは狩りに使うライフルを肩から外し、私に向けようとする。
「ま、待って下さい。私は見ての通り、ただの中学生です。それに私はジンダイという人に助けてもらおうとわざわざここまで来たんです」と、私は早口になりながら両手を左右に振って待ったをかける。
「な、何? ジンダイじゃと?」
おじいさんはライフルから手を放し、聞き耳を立てる。
「はい。知っているんですか?」
「知っているも何もわしがジンダイじゃよ」
「え? あなたがジンダイ……さん?」
「そうじゃ、わしに何か用か?」
「教えてください。ここは日本ですよね? 私、気がついたら自分の街にいるはずなのに周りには誰もいなくて一人ぼっちで怖くて、そしたら化物みたいな生物が私を囲んで……そしたら変な人が私を助けてくれて、それで、それで」
「落ち着け! そんな一変に全部話そうとしてもわしがついていけない。まぁ、茶でも飲んでゆっくり話せば良い」
ジンダイさんはそう言うとキッチンの方へ行き、お茶を沸かし始めた。
柴犬のラッキーという犬はフローリングにうつ伏せで気分を落ち着かせていた。ジンダイさんは数分後、湯呑に入った熱いお茶を持ってきてくれた。
「飲みなさい」
「いただきます」
私は差し出された湯呑を手に取り、一口飲んだ。
「お嬢ちゃん、名は?」
「茅ヶ崎真白です。真っ白と書いて真白です」
「真白か、良い名だな」
「ありがとうございます」
「ここに来たのはいつじゃ?」
「ついさっきですけど」
「ここにいるということはミラーゲートに入ったのか?」
「ミラーゲート?」
私は首を傾げる。
「あぁ、古くて骸骨があって変な古代文字が記された大きな鏡の扉じゃよ」
「はい、入った感覚はあります。私、鏡に手を触れたら引き込まれたような。そして気づいたら何故か誰もいないところに来てしまって――ここはどこなんですか?」
「ここは鏡の中の世界じゃ」
「鏡の中の世界?」
「あぁ。現実とはあべこべであり、ここには人はいない。いるのはミラーゲートを通った者とドッペルゲンガーだけだ。ここを出るには再びミラーゲートを通るしかない」
「なんだ。そのミラーゲートを通れば元の世界に帰れるのね。簡単じゃない。で? そのミラーゲートはどこにあるんですか?」
「ない」
「え? ないってどういうことですか?」
「正確に言えばあると言えばある。しかし、扉を開くにはある試練を乗り切らなければ扉を開くことはできないのだ」
「ある試練?」
私は首を再度傾げる。
「自分自身を殺すこと――それがミラーゲートを開く為の条件になる」
「え? 自殺しないと元の世界に帰れないってこと? そんなの意味ないじゃない」
「いや、殺すのは自分の分身だよ。ミラーゲートに映ったら必ず分身が現れる。わしらはドッペルゲンガーとも呼ぶ」
「ドッペルゲンガーですって? そういえば私を見た時もそのようなことを言っていたけど、なんですか、それは」
「この鏡の世界のどこかに自分のドッペルゲンガーが存在する。そいつを消滅せんと二度と帰れない」
「そんな……」
「本来、ミラーゲートは悪魔の鏡とも言われている。映し出されたら最後、ドッペルゲンガーは本人であるオリジナルを殺してその身体を乗っ取ろうとするのじゃ。化物を見たと言ったな。あれはオリジナルがドッペルゲンガーによって取り込まれた姿じゃ。ドッペルゲンガーとの戦いに敗れたらあのように化物になって死ぬ。一生、化物となって生きているようで死んだ生涯を過ごさなければならない」
「そんな……ありえない。嫌だよ、そんなの。帰りたい。お家に帰りたいよ」
私は頭を抱えて悔やんだ。
「帰ることはできないが、死なない方法はある。わしみたいにひっそりと誰にも目の届かない場所で一生生活すれば死ぬことはない」
「ジンダイさんもずっとこの鏡の世界にいるんですか?」
「あぁ。かれこれ十年はここにいる」
「じゅ、十年? たった一人で?」
私は驚くように言った。長い間、元の世界に帰れない生活をしているのも驚きだが、ずっと一人で無人島のような生活をしている方が驚きだ。寂しくて息が詰まりそうである。私だったら絶対に無理だ。
「一人ではない。私にはこいつがいるからなんとかやっていける」
ジンダイは柴犬のラッキーを撫でながら言った。
「帰りたくないんですか?」
私は寂しそうに言う。
「帰りたくないと言えば嘘になる。しかし、見ての通りわしはただの老いぼれの老人だ。戦うような気力なんて残っていない。それに残りの人生も僅かじゃ。それならここで少しでも長くひっそりと生きて寿命が来るのを待つのが賢明だと思うんじゃよ」
「……その写真に映っている女の子、お孫さんですよね?」
「そうじゃ」
「会いたくないんですか?」
「もう、会えない。あの子はもう死んだんじゃ」
「そんな……どうして死んだんですか?」
私は失礼であると思いながら聞かずにはいられなかった。
「ドッペルゲンガーのわしに殺されたんじゃ。まだ、将来が約束されていたにも関わらず一瞬で命が消えた」
ジンダイは拳を強く握って歯ぎしりをした。
「孫を守ってあげられなかったわしに帰る場所なんかない。わしは、本当は生きていちゃいけない人なんだ」
「そんな……。ジンダイさんは悪くない。悪いのはお孫さんを殺したドッペルゲンガーのせいです!」
私は否定するように言った。
「確かにドッペルゲンガーが殺めたが、孫から見たらどのように見えていたと思う? 大好きだったおじいちゃんが私を殺した。どうして? なんでこんなことをするの? 憎い、おじいちゃんが憎いとあの世で恨んでいるに違いない。そうじゃろ?」
「…………」
私は何も言えなかった。お孫さんの気持ちを考えれば確かに恨む対象はジンダイさんに向く。実際は偽物がやったのに。死んでしまった今となっては言い訳にしか聞こえないだろう。ジンダイさんの気持ちを考えれば考えるほど胸が痛くなる。
「ジンダイさん。そのドッペルゲンガーの弱点って何かありませんか? 私がジンダイさんのドッペルゲンガーを殺してみせます」
私は戦う覚悟を決めた。ずっと鏡の世界に閉じ込められているなんてダメだ。身体が動く限りは戦い続けなければならないんだ。
「何を言っている。相手は人間の形をした悪魔じゃ。お主のような子供に敵うはずはない。それにわしのことよりも自分のドッペルゲンガーを倒すことを優先するべきだ。ここでは他人の気遣いをしていたらいくら命があっても足りん」
「それは充分に分かっております。でも、こんな理不尽なことってありますか? 大切な人を奪われた上に自分に怯えながら生活をするっておかしいと思います。一緒に元の世界に帰りましょう。その為には自身のドッペルゲンガーを殺すことであるなら私は戦います。だから、教えてください。ドッペルゲンガーの弱点を!」
「若いというのは素晴らしいことじゃな。真白は優しいな。じゃが、弱点という弱点は難しいところじゃ。あるとすれば……」
「自分自身の苦手なもの――それが弱点になります」
ジンダイさんが答えようとした時にふと、後ろで答えを言ってくれた人がいた。私は振り返り、その人物の顔を伺う。
その人はあの花を咲かせるタキシードの男性であった。
「おぉ! バージルか」
「ご無沙かしております。どうやら無事にここまで来られたようですね」
バージルという男性はジンダイさんに挨拶をした後、私に言った。
「真白。紹介しよう。彼はこの世界と元の世界を行き来できる唯一の人物、バージルだ」
ジンダイさんは男を紹介してくれた。
「あ、初めまして。茅ヶ崎真白です。さっきは助けてくれてどうもありがとう……と、言いたいところだけど」
そこまで言ったところで二人は首を傾げる。確かに私は化物から助けてくれたことには感謝している。だが、それ以前に私は物申すことがあった。それは……
「そこのイケメン! あんたに付いてきたらこんな訳のわからない世界に来ちゃったじゃないの! 元の世界と行き来出来るですって? だったら今すぐ私を元の世界に連れて行きなさい! さもないとあんたのその自慢のシルバーの髪を引っこ抜くわよ!」
私は淡々と強気な発言で脅す。バージルは怯えるかと思ったが、真逆な反応を取った。
「はっはっは!」
バージルは腹を抱えながら面白おかしく笑いだした。冗談に見られたのかもしれない。私はそのつもり全然ないが、捉え方の問題だろうか。
「イケメンとは光栄ですね。真白さん。しかし、あなたを元の世界に返すには難しい相談ですね」
「なんでダメなのよ。行けるんでしょ? だったらついでに私を連れて行ってくれればいいじゃない」
「残念ですが、私の役目は元の世界の偵察のみ。それが魔女と交わした契約です」
「魔女って?」
「この鏡の世界の支配者がその魔女です。ここでは魔女の出された使命は絶対。破れば化物となって死ぬだけです」
「どういうこと?」
「ミラーゲートは魔女の所有物の一つです。見た通り、あれはただの鏡ではない。自身のコピーを呼び出す恐ろしい鏡です。それに映ると自分の分身――つまり、ドッペルゲンガーを生み出す。ドッペルゲンガーは本体を殺そうとしてきます。生き残るのはどちらか一人。もしもドッペルゲンガーが勝てば身体を乗っ取られて化物としてよからぬ事をするのです。もしも乗っ取られた場合、知り合いや無差別に人を殺していくかもしれません。幸い、ここは鏡の世界なので乗っ取られても周りの人間は死ぬことはない。ここで勝てばそれでいい話。良かったですね」
何が良いのかちっとも分からないがとりあえず頷く。バージルは続けて言う。
「私はドッペルゲンガーとの戦いを避ける為にある条件を飲んで生きることを約束された。それが偵察。魔女の指示の元、食料調達、元の世界に出たドッペルゲンガーの監視。それとドッペルゲンガーとの戦いをされる人の適任者を探す。それが私の役目と言えるでしょう」
「適任者ってあんた、自分が助かる代わりに他人を売っているってこと?」
「……そういうことです」
バージルは小さく頷きながら言った。
「最低! あんたなんか人でなしよ」
私はバージルに向かって吐き捨てるように言った。軽蔑そのものであった。自分が助かるために他人に残酷な戦いをさせるその神経が分からない。
「私もあなたの安全が確保できるために適任者に選ばれたって訳?」
「それは違います。私はあなたをこの戦いをさせるつもりはなかった。偶然、後を付けられて扉を見つけられた。そして鏡を覗かれた時点で真白さんはこの鏡の世界との繋がりが生まれてしまった。それだけのことです」
「何よ。自業自得だって言いたいの?」
「いえ、そんなつもりは……」
「あるんでしょ。何よ、私の人生をめちゃくちゃにしてくれた責任取ってよ」
「いえ、しかし私はあなたのような中学生と愛を育む訳には」
「ちっがーう! 私を元の世界に返せと言っているの」
「いえ、ですから私にはそんな権限はないですよ」
「使えないわね。自分さえ良ければそれでいいのね。あんたは」
「もしも逆の立場ならわしだってバージルのようにしていたかもしれん。人間なんだ。誰もが死ぬのは怖い」
話を聞いていたジンダイさんは間に入って言葉を投げかける。
「でも、他人を売ってまで自分が生き残ろうなんて私にはできない。それだったら死んだ方がマシ」
「返す言葉もございません。でも、私にはまだ死ぬことは出来ません。目的が果たされるまでは」
「目的……?」
「真白さん。あなたは元の世界に帰りたいのですよね?」
「それは勿論よ」
「直接的には助けてあげることはできませんが、アドバイスやサポートをすることは可能です。あなたが望むのであれば攻略する為の手ほどきをしてあげましょうか?」
自己紹介で自分の長所と短所を言うこともあると思うが、私はすぐに言えと言われたら言葉に詰まってしまう。
私の長所と短所って一体なんだろうか? 改めて考えると難しいものである。そうだ! 私の長所と言えば元気で明るい。行動力があり、いつも前向きである。私は物事に興味が沸けばすぐに行動に実行するタイプだ。バージルを追いかけていったのも行動力の一つである。
短所はと言えば、せっかちでそそっかしいというところであろうか。いつも考えなしに行動するので今回みたいに鏡の世界という訳のわからないトラブルに巻き込まれてしまったという訳である。
次に好きなこと(または好きなモノ)と嫌いなこと(または嫌いなモノ)について考えたい。好きなことと言えば私だったらソフトテニスになるだろうか。中学から始めたのでまだ経験は浅いがソフトテニスをしている時は自然と心が安らぐ。そして、そして、私の嫌いなこと――これは考えなくてもすぐに答えられる。それは数学だ。勉強自体が全て嫌いであるがその中でも特に嫌いなのが数学である。数字を見るのが嫌いでテストでは悲惨な結果を生み出す。この世界から数学という科目を消し去ってほしいくらいだ。
何故、このようなことを言っているのかと言えば、バージルにドッペルゲンガーを倒すための秘訣に繋がるということだったので考えながら出したのだ。それを聞いたバージルは「なるほど」と頷く。
「では、真白さん。休日は何をして過ごしていますか? または自分にとって楽しいと思う場所はどこですか?」
「休日と言えば、部活かな? 本当の休日だったら家で漫画を読んだり、ショッピングモールで友達と遊んだりしているかな?」
「ふん。普通ですね」
あれ? 今、鼻で笑われた? 別に中学生なんだからそれが普通でしょ! と私は心の中で呟く。
「その行動にあなたのドッペルゲンガーは潜んでいます」
「はい?」
「つまり、ドッペルゲンガーとはあなた自身のコピーを作るということ。なので、外見も同じであれば中身も同じということです。ここまではお分かりですか?」
なるほど。私がもう一人そのままできてしまったということであろうか。それなら考え方も私と全く同じであるということだろう。
「居場所はこれでほぼ分かったと言えるでしょう。次に倒し方です。ドッペルゲンガーの命を奪えば勝てる訳ですが、これはちょっとしたコツがいります。真白さん、人を殺したことはありますか?」
「はぁ? ないに決まっているでしょ。あったらやばいでしょ」
中学生で人を殺していたらまともな生活を送れるはずもない。質問がそもそもおかしい。
「ですよね。そこでこれをあなたに渡しておきます」
そう言ってバージルが渡したのは髑髏の柄が入った手袋だった。よく見るとその手袋はミラーゲートの中央にあった骸骨と同じモノであった。
「これは?」
「私が独自に作り出したドッペルゲンガーを倒す専用の手袋です。これを付けてドッペルゲンガーに触れれば消滅――つまり倒すことができます」
「おぉ! 楽でいいじゃん。首を絞めたり、ナイフで突き刺したり、焼却したり自分自身に残酷な殺し方をせずに済むってことでしょ? ありがとう! 使わせてもらうわ」
「ただし、使用には条件がありますので注意してください」
「条件?」
「はい。使う対象は必ず本人に限ります。誰か別の人が使っても消滅することはありません。次に直接肌に触れることです。服の上からでは効果がありません。そして、これが最も重要です。触れてから一分経たないと効果がありません」
「一分? 長いよ」
「はい。その間に抵抗されて手が離れてしまえば意味を無くします。なので、使用する際は意識を失わせる――もしくは抵抗できないように拘束するというのがベストなやり方です」
「そんなのどうやってやればいいのよ」
「そこはお任せします。頑張って下さい」と、バージルは拘束の方法は教えてくれなかった。
「あっ……」と、私はジンダイさんの方に顔を向けた。
「それだとこの手袋じゃ、ジンダイさんのドッペルゲンガーを倒すことができないんじゃ……」
「わしのことは気にせんでいい。その手袋で自身のドッペルゲンガーと戦えば良い」
「ダメ。ねぇバージル、ジンダイさんのドッペルゲンガーも倒す方法はないの?」
私はバージルに意見を求める。
「そもそも、この戦いは本人がドッペルゲンガーを倒さなければ意味がない。他人が倒したところで元の世界には帰れない。ただ倒された本人としてはクリアとはなりますがペナルティがあります。それは身体の一部を失うという条件が出てきます」
「そんな、残酷過ぎる」
「ただ、それでも元の世界には帰れますよ。健全な状態で元の世界に帰るのであれば拘束して本人に殺させるか、もしくは魔女を殺すか」
バージルは言う。
「わしもバージルから手袋は貰っているが拘束するとなれば難しい。おそらくこれを使うことはないだろう」
ジンダイさんは髑髏の手袋を見せながら言った。
拘束か。そんなのどうすればいいのよ。一分も無抵抗な状態にするって厳しくないか? と、私は頭を悩ませる。
「後はあなたの苦手なことで隙をつけばいいのですよ。私からの手助けはここまでになります。検討を祈ります」
「え? 一緒に戦ってくれないの? か弱い女の子を放置で放り出す訳?」
「私のできることはここまでです。後は真白さん。あなたが元の世界に帰りたいという強い気持ちで戦うしかないのです。これは一種のゲームなのですから」
「ゲーム? そう言えば、ここの主催者は魔女って言っていたわよね? その魔女って何者なの? 何が目的でこんな残酷なゲームを始めたの?」
私がそのように言った後、バージルは難しい顔をして考える素振りをした。言ってもいいのかといった様子である。
「言ってもいいんじゃないのか? どうせ言わなければ納得がいかないだろうし」
横でラッキーに餌をあげながら聞いていたジンダイさんはバージルに提案した。
「ジンダイさんが言うなら教えてあげますか」
バージルはやれやれといった感じで話す決心を固める。私は先生の話を聞くように真剣に聞く耳を立てる。
「魔女の名は穏婆。この世界を作り上げた人物です。この世界では穏婆の権力で成り立っていていわばこの世界では神様のような存在。穏婆の目的はこの鏡の世界でもう一つの地球を作り出し、オリジナルの世界を作り上げること。ここはまだ地球のほんの一部でしか成り立っていないのです。領土を増やすには兵士がいる。そこで元の世界の人々のドッペルゲンガーを生み出し戦わせることを始めた。最終的には全人類をドッペルゲンガーに変えてその人になりきり自分の理想的な世界に塗り替えること。それが穏婆の目的と言えるでしょう」
「待って! 理想的な世界? そんなくだらないことで多くの人の命を奪うって言うの? そんなの勝手すぎる! 許せないよ。そんなの納得いかない」
私は拳を強く握る。
「確かにそう思うのも無理もありませんが、ここでは元の世界のような法律で守られていません。いわば、穏婆の言うことが法律になります。私たちはゲームのコマのようなもの。逆らえば一瞬で死にます。どうしようもないのです」
「何かくい止める方法はないの?」
「止めるとすればこの世界の全てのドッペルゲンガーに打ち勝つか、はたまた穏婆を排除するかしかないですね」
「排除できる方法あるの?」
「殺すしかありません。穏婆ラスボスのような存在。穏婆が死ねばこの世界はなくなることは間違いないです」
「穏婆を倒せば私もジンダイさんも健全な状態で元の世界に帰れるってことよね?」
「まぁ、そうなりますが」
「なんだ! 簡単じゃない。なら今すぐ倒しに行こう!」
「簡単に言ってくれますね。できるのであればやっていますよ。穏婆は魔女であることを忘れないでください。魔法を使うので触れることすらできませんよ」
「そっか。じゃ無理だね」
私は諦めモードに入った。しかし、しばらく考えて思いついたことを口にする。
「じゃあさ、こういうのはどう? ミラーゲートって穏婆の所有物って言っていたわよね? だったらそれをこっそり奪い取って元の世界に帰るの。名案じゃない?」
「穏婆の目を盗んでミラーゲートから元の世界に帰るということですか。仮にそれが成功したとしてもあなたのドッペルゲンガーは残ったままです。そうなればドッペルゲンガーはあなたを殺すために元の世界に乗り込んできます。そうなれば関係ない人も巻き込まれて事態は悪化すると思われますが」
そうだった。自分だけ帰っても意味がないのだ。それをすればジンダイさんや他の人も助かることはない。と、なれば他に方法はないのだろうか。
「話し合いは? このくだらないゲームを辞めて私たちを元の世界に還してくださいって交渉するの。どう?」
「無理ですね」
即答された。
「穏婆は話が通じるような相手ではありません。そんなことを言えば殺されますよ?」
バージルは冗談混じりに笑いながら言った。
「ドッペルゲンガーさえ倒せれば自分は安全地帯に入れます。今は倒して生き残ることを考えることをオススメします」
そう言われて私はムッとする。なんだかスッキリしない。倒せばそれでいいのだろうか。なんだか違う気がする。
「ところでずっと気になっていたんだけど、バージルが歩くと花が咲くけどなんで?」
これはずっと気になっていたことだ。早い段階で聞きたかったが聞くタイミングをずっと逃していた。
「ん? あぁ、これは穏婆がかけた魔法でいわば私の動きを知るための目印です。穏婆にとって私は忠実な下僕であるので通った後を分かるようにするのが大きな目的です。まぁ十分ほどでこの花は消えます」
そういえば、いつの間にか花は消えていたのもそのせいだろう。
「最初は枯葉でしたけど美しさがないということで花に変えてもらいました」
話が通じないと先程言っていたのに穏婆に交渉したのか? と疑問が浮かぶ。
「私はこの世界の代理で管理もしていますのである程度は目が聞きますよ」
「いいの? 私にこんなペラペラ喋って」
「盗聴とかされている訳ではないのである程度は大丈夫です。ですが、ここでの話はあまり口外しないでくださいね。さもないと私、殺されちゃいますので」
「あなたも随分命懸けね」
「お互い様ですよ」
バージルはニッコリと微笑んだ。
話が纏まったことで一段落として私はジンダイさんお手製のシチューをご馳走になっていた。
「このシチュー美味しいわね。ジンダイさんって料理上手なんですね」
「そうかい。それは嬉しいね。沢山作ったからおかわりするといいよ」
「やった! ありがとうございます」
私は子供のようにはしゃいだ。中学生は子供と大人の栄目とよく言うが私的にはまだ子供でいたい。大人の考え方はどうも好かない。
「あれ?」と、私はデジタル時計を見て呟く。
「あの時計壊れていますよ」
私はデジタル時計の時刻にツッコミを入れる。今はまだ空が明るいのに時計は二十二時と示されている。
「いや、合っているよ。ここは鏡の世界。ここではまだ明るいかもしれないが元の世界では真っ暗になっているはずじゃよ」と、ジンダイさんは教えてくれた。
なるほど、そこまであべこべなのか。そういえば、私が鏡に入る前は真っ暗だった。ここでは朝と夜が逆転しているということのようだ。
「ところで真白さん。この後はどうするつもりですか?」
一緒にシチューを食べていたバージルは聞いてきた。
「分からない。とりあえず私のいきたいところに行く」
「忠告しておきますが、必ずしもドッペルゲンガーは本人にしか攻撃を仕掛けないという訳ではありませんよ。他人のドッペルゲンガーが攻撃してくることも充分に考えられる」
「なんで? 他人を攻撃しても意味ないじゃない」
「はい。あくまでも標的は本人になりますが、本人を狙ったつもりで他人を攻撃して殺してしまったという事例も過去に何度も起きています。なので、常に周りを警戒する必要があるということです」
「そんな!」
「一番良いのは仲間を作ること。協力することで自分のドッペルゲンガーをより高率よく倒すことだってできます」
「仲間って他にも鏡の中に来てしまった人もいるの?」
「それはいるはずです。私の知っている限りは二、三人はいるはずですよ。まぁ既にドッペルゲンガーに殺されたかもしれませんし、行方はわかりません」
「それは困ったわね」
私は難しい顔をして頭を悩ませる。
「ご馳走様。ジンダイさん、シチュー美味しかったです」
「そうかい。また、食べに来てくれよ」
ジンダイさんは気前よく言った。
「ジンダイさん。私、そろそろ行くね。必ずドッペルゲンガーを連れてきてあげるから待っていて。必ず元の世界に一緒に帰りましょう」
「頼もしいな。うん。期待しているよ。真白」
ジンダイさんは頷きながら言ってくれた。
「ラッキー。行ってくるね」
「ワン!」
私はラッキーの頭を撫でるとお座りした状態で尻尾を左右に振っていた。まるで私を送るかのように。
「では、私もそろそろ行きますかな。用事の途中でしたので」
と、バージルは席を立ち上がりながら言う。
「え? 行くってどこに?」
「魔女のところです」




