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次に目を覚ました時、私は工場の跡地で倒れていた。そう、私が鏡の世界に入ったあの場所だ。ここは鏡の世界なのか、元の世界なのか判断が付かない。そして、私の隣では未来ちゃんが寝ている。しかもずっと私の手を握っているのだ。

「未来ちゃん、起きて」

 私の呼びかけに反応がない。

 仕方がないと私は未来ちゃんを背負う。

 時刻としては夕方の時間だ。空は夕焼けで赤くなっている。少し歩いて街の方まで行くと人がいた。勿論、全ての建物は左右対称になっていない。元のままだ。

 ということは、だ。

「帰れたんだ! 私たち! しゃー!」

 興奮が抑えきれずに私は大声で叫んだ。すると、周囲の人達からは痛い目で見られる。そんなのはどうでもいい。帰れたことに感激である。

「んんんー?」

 未来ちゃんはモゾモゾと起きた。

「未来ちゃん。私たち帰れたんだよ」

 私が嬉しそうに言うが、未来ちゃんはそのノリについていけていない。

「やっぱ。帰りたくないな」

 ここに来て気持ちが変わったのか、未来ちゃんはそのように言う。

「なんで。そんなに家が嫌なの?」

「だってまたお母さんに叩かれるの嫌だし、私のことが嫌いなのよ。きっと私のこと邪魔なんだわ」

「そんなことはないわよ。自分の子が嫌いになるはずはないに決まっている」

「私、お姉ちゃんの妹になるからお姉ちゃんの家に連れていって」

 何を言っているのだ、この子は。でも、こんな可愛い妹がいたら毎日が楽しいのかもと一緒に暮らしている妄想をすると悪くはなかった。

 しかし、そんなことはできるはずもない。

「分かった。お姉ちゃんが一緒に行ってあげる。それでもダメだったら私が定期的に顔を出すようにするから。それなら問題ないでしょ?」

「うーん。分かった」

 納得いってない様子であるが、とりあえず返事はしてくれた。

 しばらく歩いて未来ちゃんが住むアパートに辿り着く。いざ、自分の家を前にした未来ちゃんは帰るかどうか本気で悩んでいる様子であった。そんなに嫌か? と私は理解に苦しむ。

「さぁ、私はここで見守っているから帰りなよ」

「でも……」

 ドサッ。

 その時、何かが落ちる音がした。その方向には三十代の控えめな女性が立っていた。手からは買い物袋を落として固まっていた。

「未来?」

「お、お母さん……た、ただいま」

「未来!」

 未来ちゃんの母親は猛ダッシュで未来ちゃんに駆け寄り、ギュッと抱きしめた。ずっと探し回って心配していたのだろう。感動の再開というやつだ。ほら、嫌いなんて嘘。ずっと当たり前のように居た子が突然いなくなったら寂しくて堪らないに決まっている。良かったね。未来ちゃん。

 私は親子の再開に邪魔をしないようにこっそりとその場を離れようとする。

「あの、あなた」

 母親に呼び止められる。

「未来をここまで連れてきてくれたんですよね? 本当にありがとう」

「いえ。お子さん、お母さんが怖いみたいだから普段から優しくしてあげてくださいね。それじゃ、また」

 私は手を振ってその場を離れた。

 良いモノを見させてもらった。家族っていいなと思えた。

 家族? しまった。私も早く帰れなければいけない。駆け足で帰った。一刻も早く母に会いたい。

 自宅の扉を開けて「ただいま」と元気に入った。

 母は慌ただしく電話をしている最中であった。「娘が帰って来ないのです」というのが聞こえた。母は振り返って私を見た。

「真白?」

「ただいま」

「真白! 今までどこ行っていたのよ。死ぬほど探したんだから」

 母は私を抱き寄せて泣いた。

「心配かけてごめん。私……その」

 もらい泣きで泣いてしまった。私も母と再開できて嬉しい。ずっと会えないと思っていた。でも、こうしてまた会えたことがとても嬉しかった。


 私はどうやら一週間、行方不明で失踪していたということになっていた。それは私だけではない。全国で同じような現象が起きていたとニュースになっていたということを後から知った。しかし、行方不明者はどこにいたかというのは明かされていない。おそらく鏡の世界なのだが、そんな非現実的なことは信じてもらえないことだろう。一瞬にしてその話題は収まってしまい、誰もがその事実を語ろうとしない。勿論、私も語る気にはならない。まるで夢を見ていたかのようである。その事実は心に閉まっておこう。

 

 私の平穏な日常が保たれ始めた。もう、命の危機に遭遇するような環境は訪れていない。ただ一点、心残りなのはバージルが帰ってこないことである。無事でいることを祈ることしかできないが向こうでやっていけているのだろうか。

 毎日、そのことが気にかかっている。そんなある日、知夏と下校していた時だ。

「それでさ、私は言ってやった訳よ。それ、絶対に騙されているって。そしたらあの子、ようやく気づいて泣き出しちゃって大変のなんの」

 相変わらず知夏はマシンガントークのように口が回る。私はそれをなんとなく聞いている形になる。それが日常の一部となっていて癒しでもある。こんな日々が続けばいいのにと。

「ねぇ、見て真白! あの人、凄く美人じゃない? モデルかな?」

 知夏の視線の先には橋の中心で日傘を差し、川を見つめながらたそがれている女性である。

 長い髪に明るい茶髪に染まっており、ふわふわとしたパーマをかけている。黄緑色のワンピースに日除け用の手袋をしている。その見た目から日焼け対策は万全の為、肌は透き通るように白かった。日傘からチラリと見えるその横顔は見た目通りの美人で綺麗な人であった。まるで絵のモデルになるようなワンシーンである。中学生の私から見たらあのような大人の女性に憧れてしまうほどだ。

 見とれていたその時、強い風が吹いた。その風が美人の女性の日傘を奪い去り、私の前に転がる。私は風に飛ばされないようにしっかり持ち手を握り、日傘を守った。

「あっごめんさない」

 美人の女性は私の元に駆け寄る。正面から見たその姿も綺麗で美しかった。私が男なら運命的な出逢いと言えるだろう。日傘を閉じて渡してあげる。

「はい。どうぞ」

「どうもありがとう」

 受け取った後、美人の女性はジッと私を見つめる。私は視線を逸らせなかった。

「あ、あの……何か?」

「茅ヶ崎真白さんですか?」

「え?」

 その美人の女性は何故か私の名前を口にした。初対面と言えるはずなのに何故私のことを知っているのだろうか。「そうですけど」というと美人の女性は両手を合わせて笑顔になった。

「やっぱりそうだ。あなたのこと、ずっと見ていたわ。だから探していたの」

「え? 見ていたってどこで?」

「夢の中で。私、ずっと眠っていたからよく覚えていないんだけど、夢の中であなたに呼びかけていたの。そしたらあなたは反応を示してくれた。心の支えとなって。だからずっと探していた。ようやく会えて嬉しいわ」

 夢の中で私に呼びかけていた? 一体なんのことであろうか。頭が追いついていなかった。

「あ、あの。あなたのお名前は?」

「ん? 私の名前は宮下百合亜です」

 その名前は初めて聞く名前ではなかった。どこで聞いたんだっけ。確か……。

「夢の中であなたが必死に戦っていたところを見ていました。ずっと、ずっと遠くから」

「も、もしかしてあなた、バージルの……」

「ええ。婚約者です」

 やはりそうだ。この人はバージルの生きる意味をもたらす人物に間違いない。

「え? でも、植物状態だったのでは……」

「だから言ったじゃないですか。私はずっと眠っていたって。でも、真白さん。あなたに勇気を貰ったおかげで目覚めることができました。お礼を言いたかった。ありがとう」

「いえ、そんなこと……」

 私は目を背けていた。

「あの、バージルがいつになるか分からないけど、必ずあなたに会いに行くって伝えてくれって……」

「うん。ずっと見ていたから知っているよ。だから私は信じて彼を待っている。いつまでもずっと」

 百合亜さんは空を見ながら言った。私も同じように空を見ていた。

 大丈夫。バージルは必ず帰ってくる。そう、信じて空は綺麗であった。

「真白さん。一ついいかしら?」

「はい。何でしょう」

「あなたにとって生きるとはなんですか?」

「自分らしさを保ち続けることです。他の誰でもない。私の手で最後まで貫き通す道筋です」

「なるほど。自分を見失ったら生きているけど、生きていないのと同じってことね。それは大事なことだと思う。私は何のために生きているのか夢の中では分かららなかった。でも、こうして生きる意味を知れた。それはとても素晴らしいことだと思う。ありがとう。新たに希望が持てました」

「いえ。私は何もしていません。それを教えてくれたのはもう一人の私なのだから」

 私はそっと自身の胸に手を当てた。ありがとう。この子がいてくれたから私は強くなれた。これからもずっと私の心に生き続ける存在は微かに反応を示した。

 いつまでも傍で見守ってあげるからねと、そう言っているかのように。





                完


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