第一話 ベネルクス紛争
「FIFAは狂っている。これでは我が国が世界の覇権を取れてしまう。」
私は思わず声に出して、それを覆う様に口に手を当てた。
昨年、つまり西暦2042年のサッカーワールドカップは開催国のコロンビアが急遽開催権を放棄したことで波乱が生じた。
地区予選により出場国が決定しつつある段階での開催国の棄権にFIFAは大慌てで代替開催国を募る。
それに名乗りを上げたのが、欧州予選での敗退が決まっていたベルギーであった。
ベルギーはルクセンブルクの潤沢な経済支援を受けることで、急ピッチでのインフラの補強を約束。
FIFAもルクセンブルクの資金力を評価してこの案を採用。溺れる者が藁にすがるような格好でベルギーを代替候補地に指定した。
各国も概ねこの裁定に同意した。ただ一国、ベルギーの隣国オランダを除いては。
ベルギーとオランダは、もとは単一の王国連合から派生した双子国家である。
オランダプロテスタント派とベルギーカトリック派の対立はあったものの、その後文化的、理性的に双子国家としての道を歩む。
このニ国にルクセンブルクを加えて結ばれた同盟、ベネルクス同盟は、一世紀に渡り非常に強固な絆であると国際的に認識されてきた。
しかし実際には小国ルクセンブルクの経済力を我がものにしようとするオランダの思惑とそれに反発するベルギーとの摩擦が顕在化しつつあった。
今回、サッカーワールドカップ代替開催国への名乗りを上げることを事前に知らされていなかったオランダは、ベルギーが欧州予選敗退が決まっていたのに開催国として本大会出場の権利を得ることに異議を唱えるも、FIFAはこれを退け委員による強行採決を実施。
その結果2042年サッカーワールドカップはベルギーとルクセンブルクの共催が決定したのである。
オランダベルギー両国はそれぞれグループ予選リーグを突破。決勝トーナメント2回戦で激突することとなる。
場所は両国国境のすぐそばに所在するケヘルアレナスタジアム。
もとより緊張状態にあった両国だが、この一戦を前にベルギーサポーターの間で「ベルクス同盟」のフレーズが使われ始めたことにオランダが反応し、両国の緊張はさらに増すこととなった。
「ベネルクス」はベルギー、ネザーランド(オランダ)、ルクセンブルクの頭文字を繋げた名称であり、それからオランダの「ネ」を取り除いたのだ。
オランダの苛立ちも無理はない。
ケヘルアレナスタジアムには、両国のサポーターの安全保護を名目にベルギーの治安部隊が包囲。
それを受けてオランダは自国民の保護を名目に国境に軍を配備。
そんな中開始された試合は本大会の中でも稀に見る好試合だったという。
スコアレスで迎えた後半アディショナルタイム、オランダの渾身のシュートをベルギーゴールキーパーがファインセーブ。
この時点で設定されていた試合終了時間を経過した。
延長戦にもつれ込むものと判断してオランダが足を止めかけた瞬間、ゴールキーパーのスローからベルギーが流れるような攻撃で一点をもぎ取った。
劇的な得点に歓喜するベルギー選手。
騒然とする客席。
力尽き倒れ込むオランダ選手たち。
割れんばかりの歓声はいつしか怒号を孕んで増大していく。
仰向けのベルギー選手に対し、先に立ち上がったオランダ選手がその健闘を讃えるように手を差し伸べたその時、
「パァン」
という銃声がスタジアムに響いた。
いや、正確にはあれが銃声だとは未だに確認できていない。
しかしその破裂音は、怒号の飛び交うスタジアムに混乱をもたらすに十分であった。
2秒ほどの静寂が流れたあと、慌てふためく観客が雪崩のようにフィールドに流れ込む。主審は両手を広げてこの場を収めようとするがあっという間に人混みに飲まれて見えなくなった。
この事態にオランダ軍は国境を越えて前進。
自国民の保護を名目に同盟国ベルギーに対し侵攻を開始した。
「ベネルクス紛争」の勃発である。




