エチュード
緑が濃くなり、気持ちよい風が窓からそよいできたこの頃、お昼時間に、食堂でお弁当を食べている最中に、いつもは穏やかな表情の凪が険しい顔をして話しかけてきた。
「えっどういうこと。ピアノ室が使えないと練習できないじゃない」
琴葉が口を憤懣やるせない表情で口をとがらせた。
「昨日申し込みに行ったら、文化祭までなぜか予約が一杯で断られた。生徒会にも直訴に行ったけど、規定通りだから無理だって言われた」
凪も苦悩している。でも、私は軽く返事をした。
「まあ、仕方ないわよ。私はあと1,2回練習すればいいと思ったし、コンクールでもないしね。だって、凪の実力であれば、当日でも私を合わせてうまく弾けると思うから大丈夫でしょう」
明るく言い切った。2人ともびっくりした顔で見つめられた。
「なに?僕の信頼度が異常に高いけど、でも、僕は完璧にやり遂げたいだ。練習する場所には当てはあるだ」
「うん、わかった。こないだの凪との演奏で初めてうれしいと思えたんだ。凪をデュオしてピアノって楽しいな~って、だから練習がんばるね」
凪の動きが止まった。瞠目してそれから小声でつぶやいた。
「、、、僕も初めてだったよ、楽しいと思えたのは、、、」
「何か言った?」
琴葉と私で首をかしげるが、凪は何でもないと首を横に振る。
琴葉が思い出したかのように言った。
「ねえ、この前に聞かせてくれた『スノードロップ』も一緒に披露したらいいと思う。雪華の歌もきれいで良かったし、時間もそれであれば足りるんじゃない」
凪は、「『私の中の光を照らす』だけで十分だよ。スノードロップは特別だからね。曲をアレンジすれば時間も足りるから」
私も歌を歌うのは嫌なため凪の言葉に大きく頷いた。
「そっか、分かった。そうだ、雪華の衣装は実家で作るね。だから、文化祭までの週末はいないの。衣装は当日までのお楽しみに。あと、雪華はちゃんとご飯食べてね。ほんと、あたしがいないとすぐご飯忘れちゃうから、困るよ」
休日は自炊ため、琴葉が声をかけてくれないと、読書や勉強に没頭してしまい、食べない私を心配してくれている。だって、一人で食べるのも味気ないし、誰かに食べてもらえないと食事を作る気にもならない。つい、ジト目で琴葉を見る。そんなやり取りを見ていた凪が、解決案を言ってくれた。
「練習場所に当てがあると言ったけど、そこは市内にある叔父が経営しているレストランで店内にピアノが置いてある。営業していない時間貸してくれる。もしよかったら賄い(まかな)をごちそうするよ」
「えーわるいよ。大丈夫だから、いいよ」
練習させてもらえるだけでも有難いのに、ごちそうまでしてもらったら申し訳ないと遠慮する。しかし、琴葉から
「いいね。そうすれば雪華もご飯ちゃんと食べれるから、お願いね、凪君」
「わかった。じゃ決まりだね」
凪が笑顔でサムズアップした。あれ?またしても、私の意見はないのかな。
週末に凪と一緒に、午前中に凪の叔父のレストランへ向かった。そこは、通りから外れた蔦の絡まる落ち着いた感じの一軒家で、隠れ家風のイタリアンレストランであった。昼は、カジュアルな感じだが、夜はピアノの生演奏が聴きながら、安らぎに満ちて上品な空間で食事ができると凪は説明してくれた。
「叔父さん、お久しぶりです。文化祭まで練習する場所を貸してくれてありがとうございます」
「大丈夫だ。昼前と夕食の仕込み時間でよければ場所を貸してやる」
「初めまして、私は望月雪華と言います。練習する場所をお借り出来て、本当にありがとうございます」
「君が凪の彼女か、可愛いね。凪をよろしく頼むよ」
あれ、なんか叔父さん勘違いしていないか。凪はどんな感じで説明したの。
「違うよ、クラスメイトだよ。叔父さん、昼食の賄いをゴチになるよ」
「アハハ、そっか友達か、まあ、いいよ。ごちそうしてやるよ」
叔父の成田直樹さんはアラフォーだが、落ち着いた物腰の中に、時折屈託ない笑顔を魅せる大人で、凪を純粋に心配していることが分かるやり取りしてから、開店の準備するため事務所に戻った。
練習するために店の奥にひっそりと置かれているピアノの横に立つ。磨き上げた天板に、嬉しそうにしている私が映り込んでいた。そっと重厚な蓋を開けると白と黒の鍵盤が見え、すでに紡がれるメロディーが鳴らしているようだ。
凪と『私の中の光を照らす』を数回演奏する。営業前にレストランの賄いを頂いている時に、オーナーの成田直樹さんからこう言われた。
「望月さん、ピアノ良かったよ。もし、よければこのあと昼の営業に30分だけピアノを弾いて欲しいんだけど。いつもは夜だけだけど。雪華さんも文化祭前に予行練習としてお客の前で演奏を披露するのもありだと思うよ」
正直、心惹かれた。高校に入ってからピアノを弾いていない。止めたと決めたが、凪と演奏してからは、とても楽しくてうれしい。以前は鍵盤を叩くと、愛されない苦しさや辛さを感じていたが、今は一音一音が心の澱が透明な音に溶け出していく、冷え切った心に小さな光が灯ったようだ。
「はい、やらせて頂ければ光栄です。でも、私で大丈夫ですか?」
弾きたい気持ちは十分であるが、果たして私の技量が通用するものなのか、一抹の不安がよぎる。
「この夏から、昼に若者向けにストリートピアノ的なものを考えているんだ。若い人にどんどんチャレンジしてもらいたいんだ。聞いてもらった方が、良い演奏が出来るからね。一応ある程度演奏できる人に限るけど、雪華さんならOKだよ」
とてもうれしい厚意に感謝してピアノの演奏をすることにした。正午すぎ、店内にはデートするカップルや若い家族連れの客で賑わう。
その中で、演奏を始めた。最初は穏やかなクラシックを弾き始めた。緊張して指がぎこちない感じになったが、次第に滑らかになり自分でも楽しんで演奏が出来るようになった。
ふと、近くのテーブルに座る若い家族連れのお子さんが飽きて、ぐずり始めた。それを見て、ピアノの演奏をMスタジオのアニメ映画の曲に変えてみた。思った通り、興味を示し最後まで泣かずにニコニコして聞いてくれたので、嬉しかった。
演奏時間が終了して、端によりホールで手伝いをしている凪の元へ行く。
「曲が急にアニメになり、びっくりしたよ」
「子供がぐずりそうになったから、替えたの。好くなかったかな」
「それは大丈夫。でも、よく暗譜で弾けたなと思って」
「子供の頃、よく一人でアニメを見ていたの。教室の先生はクラシック以外は邪道だっていう人だったから。だからアニメで流れているメロディーを耳で聞いて覚えて一人で弾いていたの」
子供の頃教えてくれた先生は厳しくて出来ないと手を叩かれていた。だからなのか、アニメで聞いた曲はどれも明るく楽しく自由な感じがして、でも、時折物悲しい音楽が流れてきたので、自然に覚えた記憶がある。
夕食準備中に再度練習とアレンジを行い、日が傾く前に寮へと戻る。
バス停まで、凪と一緒に話しながら歩を進める。




