なかったことにしましょう
聖地ティルナノーグに着いたのは、翌日の昼だった。
街を見て驚いたのは、街の立地である。
街の周囲は平地が広がっているのだが、街のある場所だけクレーターのように円形の窪地になっている。
これだけでも驚きだが、更に驚いたのはこの街には外壁がないということだ。
クレーターが高いから壁の役目を果たしているのかもしれないが、高いと言っても5メートルほどである。
街の周りには魔物も生息しているし、中には凶悪な種族もいる。
侵入できないという高さではない。
それなら警備が厳重なのかと思えば、入り口には門番が2人しかいない。
マクギリアスを見る。
「この街が外壁で覆われていないのはどうしてでしょう?」
「あれのおかげだ」
そう言って、マクギリアスは窓に向かって指さした。
指した方へ目を向けると、小高い丘が見える。
「あの場所に『英雄の剣』が突き刺さっているのだが、剣を囲むように女神像が建っているのだ。神官によると、女神像から街を覆うほど神聖な魔力が放出されているという。魔物はそれを嫌がって近寄ろうとしないのだろうと言われている」
「へえ……」
街は薄いドーム状の魔力で覆われている。
魔力を辿っていくと、確かに小高い丘から放出されているようだ。
魔物除けのアイテムみたいなものかしら。
街に入ってからも馬車は目的地である小高い丘に向かって、真っすぐ進んでいたが途中で停止した。
「ここからは歩かねばならないんだ」
先に馬車から降りたマクギリアスが手を伸ばして言う。
マクギリアスの手を借りて馬車から降りた私は、すぐに彼の言葉の意味を理解した。
目の前には長い階段があり、小高い丘の頂上まで続いている。
少なくとも100段以上はあるだろう。
傾斜もそれなりにありそうだ。
それでも観光スポットというだけあって、多くの観光客が往来している。
マクギリアスに視線を戻すと、既に馬車から降りたというのに彼は私の手を握ったままだった。
なんで握ったままなのか分からずに首を傾げると、マクギリアスと視線が合った。
「……途中で転ぶと危ない。このまま手を繋いでいたほうがいいだろう」
と言って視線を逸らしてしまう。
マクギリアスなりに勇気を出したのだろう。
彼の頬は赤くなっていた。
別に階段が急だからといって転ぶようなことはないでしょうけど、断るのもかわいそうだ。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えてお願い致します」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
階段を上り切るとそこは平坦になっていた。
少し進むと人の列を発見する。
列の先には小さいが立派な教会があった。
「あの中に『英雄の剣』が突き刺さっているんだ」
「教会の中にですか?」
「正確には、突き刺さった場所に教会が建てられたのだがね」
私たちは列の最後尾に並ぶ。
マクギリアスが王族だろうと関係ない。
並んでいるのだから順番は守らなければいけないのだ。
しばらくすると列が進み入り口が見えるようになった。
教会の中に入ったが、剣らしきものは見当たらない。
教会の奥に扉が見えるから、恐らくあの向こうに『英雄の剣』があるのだろう。
やがて私たちの順番となり、扉を開ける。
中は半径3メートルほどの部屋だった。
部屋の中央には岩があり、岩には剣が突き刺さっている。
その剣を囲むように3体の像が置かれていた。
像は女性の姿をしていて――なるほど、3人の女神に似ていなくもない。
女神像をよく視ると、魔力が上に向かって伸びていた。
3体の女神像から伸びた魔力は、ちょうど剣の真上で集まり、そこから真上に向かって伸びている。
再び剣に目を向ける。
「これがかつて私の祖先が引き抜いたと伝えられている『英雄の剣』だ」
マクギリアスが剣の前に立つ。
3体の女神像から発せられる魔力以上に、あの剣からは絶大な魔力が込められているのが一目で分かる。
華美な装飾はいっさい施されていない。
それでも、白銀に光り輝くその刀身は、武器に無頓着な私が見ても美しいと思わせる何かがあった。
なるほど、伝承とやらもあながち嘘ではなさそうね。
マクギリアスは両手で柄を握りしめた。
「ふんっ……!」
踏ん張りながら引き抜こうとするが、剣はピクリとも動かない。
「……やはり抜けないか」
マクギリアスはそう言って柄から手を離した。
「さあ、エリー殿も試してみるといい」
「……あの、外で待っていていただけませんか? 少し恥ずかしいので……」
私は上目遣いで言った。
「ん? ああ、確かにあの姿は女性には恥ずかしいかもしれないな。分かった」
「ありがとうございます」
マクギリアスは部屋から出ていった。
「さて、と」
私は『英雄の剣』に目を向ける。
恥ずかしいというのは嘘だ。
どのような姿やポーズであれ、どれも私だ。
恥ずかしがる必要などない。
1人だけにしてもらったのには理由がある。
柄を握りしめる。
私は柄に魔力を注ぎ込み、片手でゆっくりと上に引き上げる。
すんなりと、岩に突き刺さっていた『英雄の剣』が引き抜かれる。
そう、これを見せたくなかったから1人にしてもらったのだ。
今まで誰一人抜くことが出来なかった『英雄の剣』。
それをただの少女が引き抜いたとなれば、怪しまれるに違いない。
可能性は低いと思うけど、私がエリカだと気づかれる可能性だってある。
今はまだ正体がバレるわけにはいかないのだ。
「それにしても……」
私は引き抜いた『英雄の剣』を見る。
おかしい。
剣に込められていたはずの膨大な魔力。
それを今は感じることができない。
女神像に目を向ける。
こちらは変わらず魔力を発していた。
もう一度『英雄の剣』を見る。
やはり魔力は感じられない。
ただ美しいだけの剣にすぎなくなってしまった。
こうなると私が取るべき道は一つしかない。
そう、なかったことにしましょう。
私が『英雄の剣』を抜くことが出来るはずがないのだから。
『英雄の剣』を突き刺さっていた岩に寸分たがわず戻す。
「これでよし」
「何が『これでよし』、じゃ」
後ろから声がしたので振り返ると、そこには金髪の幼女がいた。




