当面の課題
気絶から目を覚ますとそこはいつも通りジーク班の部屋であった。
例にも漏れず最後の方の記憶は断片的にしか覚えておらず、結局今までと変わらない現実だが、どことなく麻生の顔つきは晴れやかであった。
案の定部屋には誰もいない、食事か、入浴か、それとも近くの街にでも繰り出ーー
いやないか、こんな雨だしなぁ。
のんびりした感傷を抱きつつ窓に目を向けると外を見ると未だに土砂降りが降っており、やむ気配はない。
結局、俺とは上手く混ざったのか? なんて言えばいいのか上手く表現出来ない体験だが、
2つの人格が混ざったのが、今の俺…何だよな。
自身の状況を再確認するように手をグーからパーに開きそれを繰り返す。
自分に励まされ、叱咤されるなんて端から見たら痛い奴だが、不思議と悪くは無かった。その後のジークとの訓練も……
自分の心境の変化に戸惑いこそすれ、拒絶や否定といった感情が湧いて来ない。
こうやって振り返れば振り返るほど、気恥ずかしさに苛まれるが、逆に言えばこうした感情も全て抑えてここ最近は生活していたのか。
ーー自分に殺されるのはゴメンだ!
そう叫ぶ俺の言葉が耳に残り続ける。
確かにそうだ、誰だってそう思う。そんな当たり前の感情にすら気付かずに、俺はやがて近い内に来る死を待ち続けていたんだろう……
今からは違うがな。
明確な意思にあてられ挑戦的に笑う俺の顔が窓ガラスに映り、苦笑してしまう。随分と好戦的で野蛮な性格になったが、まぁ、これも俺なんだろうと思い直す事にした。
死ぬ瞬間まで未来を諦めない…か。
まずは、当面の課題から抜き出していこう。
千里の道も一歩からか……そう呟きながら頭の中では既に今後の課題と対策を組み上げていく。
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やはり、方力なのだろうか?
誰もいない浴室で湯船に浸かりながら考える。時刻は深夜、この時間では使っている奴は殆どおらずのんびりと使える。
前まではシャワーのみで済ませていたが心境の変化とは大きいもので浴室に浸かりながら先程の件を考察していく。
ジークとの訓練を振り返って思うが、自身の耐久性と言えばいいのか? それが前の世界の時に比べてーーいや、どちらかというと訓練を繰り返す度に向上している。
普通は死ぬよな、あんな拷問食らったら。これまでの訓練を思い返しながら考えるが、普通の人間だったらとっくに死んでる。
勿論、ロドリゴの治療がなければ今頃俺も呑気に風呂に入っておらず、土に還っててただろうがそれを加味しても耐久力の増加は否定出来ない。
本当に今更な考察だが、原因として考えられるのは2つ、方力による何らかの作用が働いている説。
そしてもう一つは純粋に暴力による強制的な肉体成長による説。
後者はちょっと微妙な気がする、まだ訓練を始めてから3週間。流石に肉体成長には早過ぎる期間だと思うが…
やはり方力なのだろうか? 前者の説が濃厚に感じ、冒頭と同じ思考に回帰する。
やはり根本的にこの方術と呼ばれる技術を調べなければならない。
新た課題を胸に抱き、久方振りのゆとりある入浴を堪能。
こうやって見ると現代日本と比べるとかなり古典的に映るが、風呂という文化があること事態が有り難い。
石を強引に削り出したかのような浴槽の外観に周り、壁や天井は木を中心に構成されていて使い古された感は感じるが腐食等は見当たらないず、衛生面も悪くなさそうだ。
不意に木製の風呂桶と脱衣場の簀の子の存在にとある感慨が湧く。
本当に日本と似てるよなぁ。
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カタカタと窓を叩く冬の風に意識の覚醒を促され目が覚める。
時間は5時半、起床の時間までは多少の時間があり、窓に目を向け静かに物思いに耽る…
ほんの僅か赤らむ冬空は雲一つなく、昨日の悪天候が嘘のようでまるで一つの区切りがついた自分の精神と重なっているかのような感覚。
恒例となっている、数時間後の拷問じみた訓練に対する怯えや、気の重さが薄れていて、それは自分がおかしくなってきたのか、それとも正常に戻ったのかは判断がつかないが…
ーーまずは、自衛できるだけの戦力を整える事か
昨夜は今後の課題、目的を色々と考えたが自衛の能力の確保が点在するの課題の中ではもっとも緊急性が高いと言える。
理由は言わずもがな、現在の状況と種族的な立場でこのままではどう考えてそう遠くない未来に路上にシミとなっているだろう。かなりの高確率で。
次点でこの世界での常識の履修。
欲を言えば歴史が知りたいところ、国の成り立ちや、どういう経緯を経て今の文明に至るのかこの辺が詳しく知れると最終的な目的の足がかりとなりうるとは思う。
最終的な目標はもちろん日本に帰る事。正直、手がかりすら皆無で他にやるべき事はいくらでもあるが、この最終的な目標だけは譲れない。
「俺は帰りたいんだ。日本に、元の世界に、例え何年掛かっても……!」
口にした決心に比例して赤らんでいく空を眺めて起床の時間を迎える。
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ひんやりと湿った空気とぬかるんだ地面。
練兵場棟屋の隅、いつものジークとの訓練でお馴染みのスペースの景色は昨日の豪雨の爪痕を残しながらほとんどいつもと変わらず佇んでいる。
最早見慣れてきた光景であり多少変化があるのは、このグランドの佇まいと目の前の焦げ茶熊人間の顔つきくらいだ。
「今日はどういう痛めつけられ方がお好みだ?」
恒例のニヤケ面に開口一番にとんでもない発言をしてきやがる。
本当にこの訓練を遊びだとかと思っているんだろうな……確かにこいつにとっては児戯みたいなものか。
「どうせ焼肉か、サンドバックの2択だろ? 選択の余地がねぇじゃねーか。」
焼肉は昨日からの新規メニューだが、どうせ今後も使ってきそうだな。
昨日、全身をこんがり焼かれた者の感傷には到底思えない辺り、大分この世界に毒されている。きっかけも昨日の焼肉がきっかけだろう。
ああ、昨日からの熱が引かない……
より正確に言うなら目の前のコイツとここで向き合うとどうしても恐怖や、怯えよりも高揚感と興奮が込み上げてくる。
1日前までは処刑台としか思えなかったこの場所が何だか別の場所に思えて来て、心境の急激な変化に自分でも戸惑うばかりだが、
「随分とやる気満々じゃねぇか、今日から楽しめそうだな。」
こちらの興奮を見事に看破され、目の前の熊は満面の笑みを浮かべてこちらを見据える。
「いつも楽しんでんじゃねーかよ。やる気ある方が潰し甲斐があるってか? てめーも相当だな」
熱に浮かされ皮肉と悪態をセットで吐き捨てる。ジークはそんな麻生を暴力的な笑みで舐め回すように見つめ、
「さて、いつまで同じ言葉を吐けるか楽しみだ」
今日はいつもより何割増しで痛い目に遭いそうだ…
興奮と高揚感の片隅にある冷静な部分の思考がそう告げていた。




