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12話 代替と変異


 リリアは二〇個近くの魔源をばら撒きながら呪文を唱えた。

 その刹那、何処からともなくゴアァッと青い爆炎が発生する。その発生に伴って、距離が離れている俺の元にまで熱風が吹き荒れた。

 洞窟で使っていた比じゃない。その炎が視界を覆い尽くしている。それほどに巨大だった。洞窟の時はあくまで一匹一匹に使っていた。だが今回の魔術は何匹といるナメクジを覆い尽くしてなお余る大きさだ。ナメクジを殺すにしては、明らかに過剰な威力だ。


 青い炎が視界いっぱいに広がるこの光景は、まさに『火の海』だった。


 ナメクジたちはビチビチと暴れまわり、軽い地響きが起こる。奴らは放っておいても死ぬだろう。俺は安堵の息を漏らした。


 だが、揺れる炎の隙間から、魔付きの男が笑みを浮かべているのを確かに見た。


 ――なんだ? あいつ自慢の魔物が一蹴されたのに。


 あの笑みは確実に余裕の笑みだ。この状況になって、これほど強大な魔術を見せられて、全く動揺していない。まだ何かあるということなのだろうか。


 その瞬間、背中を舐めるような悪寒がした。


 ――何かが背後にいる!


 そう感じ、勢いよく振り返った。

 予感は見事に的中した。そこにいたのは新たなナメクジたち。俺達の背後に、彼らを囲むように三匹いる。

 いつの間に近づいてきたのか。完全にあの過剰威力の魔術が仇になった。彼らが近づく音がかき消えていた。


「こっちにも……!!」


 忌々しげに呟いた。

 だがそいつらはなぜかこちらに動いてくることはなった。その代わりに全て、口のあたりをモゴモゴと動かしている。


 すぐにリリアも背後のやつらに気がついた。

 振り返り魔源を投げようとして、動きが止まり、「あ……」と困惑の声をもらした。

 魔源が手になかったのだ。

 魔術を使っているが、基本ナメクジを前にしたリリアはパニックでいる。冷静さを欠き、あろうことか先ほど手に持っていた全ての魔源を投げてしまっていた。


 だけど大丈夫なはずだ。こいつらがさっきまでのナメクジと同じ動きをするなら、あいつらの動きは遅いしまだ魔源を取り出す時間もある。


 だが、胸にしこりがあるというか、何か見逃しているような感覚が拭いきれなかった。

 気持ちが悪い。嫌な予感が頭から離れなかった。


その時ちょうどリリアの正面にいたナメクジの口当たりが、風船のように膨らんだ。


『死体の男は溶かされた』


 不意に少し前自分が口にした言葉が頭の中に蘇った。


「まさか……」


 そして、一つの予想が頭に浮かぶ。


 ――いや、それはありえない。そんなことをするやつ見たことがない。そうだ。だってこいつらは……


 そう、ナメクジなのだ。大きさこそ魔物化によって異常なくらいに大きくなっているが、見た目は完全にナメクジなのだ。

 そこまで考えて、重大なことに気がついた。


 ――そうだ。こいつらは魔物だ! ナメクジじゃない!


 そう、これらはナメクジではなく、結局は"ナメクジに似た形をした"魔物なのだ。ナメクジの常識に当てはめてもなんの意味もない。

 魔物とは世界の理から外れた存在。姿かたちが似ているからと、この世界の生物の常識などあてになるはずもない。


 そして、魔物の口当たりが破裂しそうなほど膨らんだ。


 もはや予想は確信になっていた。


 その魔物はリリアの方を向いている。このままではリリアは死んでしまうかもしれない。


「リリアァア!!!」


 考えるより先に体が動いていた。特に綺麗に防ぐ術もない。完全に我武者羅なだけだった。


 彼女はちょうど魔源を出そうとマントに手を入れようとしているところだった。それだと間に合わない。

 俺は彼女の手を引いた。「えっ」と驚きの声を漏らし、目を丸くしているリリアを無視して、覆うように抱きしめ魔物達に背を向ける。


 背後からブバァ! と何か液体が勢いよく吹き出るような音がした。来る痛みに備え体に力を入れる。


 一拍おいて、液体が背中にかけられた。

 ジュゥゥと溶ける音がして、そのあと洞窟の冷たい空気が背を撫でる。


 その瞬間ーー


「あ"あ"あ"ぁぁぁあああ!!!」


 焼けるような痛みが俺を襲った。でもまだ終わったかどうかもわからない以上、そうすることはできない。今すぐリリアを放り投げ転げ回りたくなるほどの痛みに、彼は喉が裂けんばかりに咆哮する。ジュワジュワと音を立てながら突き刺してくる苦痛に耐えるため、無意識にリリアを抱きしめる腕に力が入った。


 やはり予想通りだった。あの魔物は酸を吐く。だから死体は白骨だし、剣は何十年も前のもののように錆びついているのだ。彼らは溶かされたから。


 酸が背からなくなり、痛みも少しは引いた。予想以上の痛みだった。思わずリリアを離し、数本よろめいて後ずさる。彼女も同じく後退りながら、「な、なんで……」と呟いた。疑念と困惑の視線が俺に突き刺さるが、それどころではなかった。


「が、あ……ぐ……」


 酸によって衣服が溶け、丸出しになった背中を冷たい空気が撫でるたびに斬りつけるような痛みが身体中を走り回る。


 ――痛い痛い痛い痛い!!!


 なんだかんだでこれまで大きな傷を負ってこなかった。

 だからだろうか。痛みに慣れていない俺は、燃え上がるような怒りを抱いた。もちろん相手はあの魔物達。


 自分をこんな目に合わせた奴らを殺したい。この痛みをなんとかしたい。

 そんな当たり前の感情が湧き上がった。


 するとその感情に呼応するように、バキバキと音を立てながら、溶かされ真皮がむき出しになった背中を覆うように、悪魔の甲殻が形作られていく。

 変異はしてしまったが、結果としては良かった。それはかさぶたのような役割をして、痛みはかなり引いたと言っていい。


 ふと見れば、他の二匹の魔物の口元が膨らみ始めていた。それは前兆だ。死の雨が降る予兆だ。

 チラリとリリアを盗み見るも、どうやら相当混乱しているらしい。まさか俺が身代わりになると思っていなかったのか、光の薄い目で俺を見つめていた。とてもじゃないが、魔術で魔物を倒せそうにもない。


 なら、誰が魔物を止める?

 もう、答えなど決まりきっていた。

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