13話 理性と感情
「……俺だ」
言い聞かせるように、小さく呟いた。もはや手段がどうとか言っている場合ではない。
――俺が、俺自身が魔物を倒す。
――いや、殺す!
始めて向き合った瞬間だった。
今まで追い詰められ変異してしまっても、相手を殺さないようにだとか、どうやって逃げるかだとか、そんなことしか考えていなかった。
初めてだった。半魔の、悪魔の力を使って何かを殺そうなんて考えたのは。
そう決めた瞬間、自分の知らない知識が、感覚が激流のように頭に流れ込んできた。
――ああ、そういうことか。
『悪魔にとって魔法は本能のようなもの。変異してしまえば、勝手に使えるようになるはずだもの』
いつだったか、リリアが言ったことが頭の中で再生される。
――なら、これがそうか。これが奴らを殺すための手段か。
俺にはとって願ってもないことだった。
理由はある。手段も得た。意思もある。なら、あとは行動に移すだけ。
右手を覆い尽くすようにイメージすれば、ピキピキと音を立てながら右手が変異していく。腕を悪魔が覆い、爪はなんでも切り裂けそうなくらいに鋭くなる。
感情に従えさえすれば、ある程度変異はコントロールできるらしい。
「《インフェルノ》」
俺の悪魔の右腕が燃えだした。リリアの魔術なんかよりずっと熱い灼熱の炎。だが悪魔の甲殻のおかげか、熱いと思うことはなかった。
魔物の口周りが最大まで膨らみ酸を吐き出したのと同時に、その右手で地面を殴りつけた。
酸が飛び、俺と魔物の中間あたりまで来た時ーー
ゴアァァアア!!
空気を震わす轟音とともに、魔物のいる地面が燃え上がった。それだけでは終わらない。ほぼ同時にそれは勢いを最大まで増し、数本の天井まで届く巨大な炎の柱へと変形する。その余波で強風が吹き、一番近くにいた俺は熱でフードが灰と化した。
俺に直撃するはずだった酸は熱で消え失せ、魔物たちは燃え上がるーー否、蒸発する。のたうちまわる暇も与えない。無慈悲な火力。
圧倒的だった。それは戦いではなく、作業。俺自身これが本気ではなかった。試しに撃ってみた。ただそれだけ。
それほどまでに、悪魔とは恐ろしいものなのだ。
――すごい……すごい! これが悪魔の力か!
俺は歓喜と興奮に震えた。知らないうちに口角が釣り上がる。
心の底に湧き上がる万能感。自分が世界で一番強い。世界ですら滅ぼせる。今ならなんでもできる気がした。
この時知り得ぬことだが、この時俺は、俺の理性の部分が消えかかっていた。自分のことなのに気がつけないのは、悪魔の行動源の感情と、俺の理性が同じ方向を向いていたからだ。
「あア……そうだ。アトは、あイツだけダ」
そう呟き、ゆっくりと振り返る。
地獄の炎のように燃え盛る炎の柱をバックに、極悪非道な笑みを浮かべる俺はまさに悪魔。
さっきまでの威勢はどこへやら、魔付きの男はガクガク震えながらひどく怯えた視線を俺に向け、魔女のリリアでさえもその表情に緊張が走る。
だがそんなこと俺にとっては関係がない。感情と理性は男を殺すことに向けられている。それ以外の情報など、無駄なだけだ。
何かを握るような形を右手に作る。するとバチバチと閃光が走り、それが棒状に伸びる。瞬く間に人一人分ほどの長さの雷の槍が生成された。それは薄暗い洞窟をより一層照らす。その雷光の激しさから、やはり悪魔の魔法らしく魔術とは比べ物にならないくらいの威力を秘めているらしい。
あの男を殺そうと、その槍を投げようとしてーー
「ーーっ!?」
突如、右目の眼帯の紋章が光りだした。
それが熱を持ち、体全体の力がそこに吸い取られるような感覚を覚える。発動させようとした魔法はもちろん、背後の炎の柱はえも消え失せ、さらに立っていられずに糸の切れた操り人形のように倒れこんだ。
「アレン!」
それを見てリリアは元に走った。うつ伏せで倒れた俺を仰向けに寝かせる。
瞳には、心配そうに彼を見つめるリリアの姿がぼんやりと映っていた。
「な、なに……が……」
「封魔の魔術が発動したのよ。気付いてた?アレン、理性を喰われかけてたわよ」
「……!?」
俺は身を震わせた。
悪魔は感情の化け物。理性を喰われるということは、完全に悪魔になると同意で。今回だけと思ったのに忌み嫌うはずの悪魔になりかけていたという事実は、俺に衝撃を与えるのに十分すぎた。
リリアはそんな俺を無視して、何かチェックをしているようだった。眼帯だったり、変異した部分に触れ、注意深く観察している。
「封魔の魔術があなたの魔力を吸い出したの。もともと持ってない男ならともかく、例外で魔力を持つあなたがそれを急に吸い出されると力が抜けーー」
「お、おい!」
完全に空気とかしていた魔付きの男が、震えた声でそう言った。
そう言えばそうだ。今は戦闘中なのだ。だというのにリリアはチェックを止める気配はないし、彼に目を向けることもない。
「お前ら聖教者じゃないな? そっちは魔術を使ってたし、そっちは……もしかして、悪魔か? いや、その顔見たことあるぞ……半魔か!」
涙を流しながら、怯えた目をしながら、彼は笑っていた。至極嬉しそうに、満面の笑みを浮かべていた。
「なあ、悪魔ならよぉ、俺と契約してくれよ」
情けなく男は願い、請う。
力をくれと言っているのだ。まだ足りない。もっと力が欲しいと。
先ほどの無慈悲さを見ても、自分自身な恐怖で震えながらも、彼は力のために恐怖の対象に願い請う。それほどまでに、彼は力の奴隷だった。
ピクリと、リリアの体が反応した。忙しなく動き回っていた手が止まり、目だけ男に向け、睨みつける。それに対し、男の体がビクリと震えた。
「なあ、なあ……お願いだ。悪魔なんだろ?」
それでも諦めず、男はフラフラとおぼつかない足取りで近づく。
「力を……よこせぇぇえええ!!」
男は腰の長剣を抜き、俺とリリアに向かって走りだした。
何をしようとしているかは予想がつく。起き上がろうとしたが、体に力が入らない。そして男は剣を振り上げ、リリアに向かって振り下ろそうとしてーー
「《オ・アニマ・タービラ》」
「くっ!」
パリンと何かが割れる音とともに、俺達を中心として豪風が発生した。それは男をいとも簡単に数メートル吹き飛ばす。男は「ぐえっ」と情けない声を出して地面に叩きつけられた。
「そんなの……やらせるわけないじゃない」
リリアは燃えるように赤い瞳で、男を睨みつける。
「リ、リア……?」
魔力を大量に失い軽く衰弱した俺は、細い声でリリアを呼んだ。
リリアは「大丈夫」と呟き、女神のように優しい笑みを浮かべながら、愛おしそうに俺の頬を撫でた。
「ありがとう。目が覚めたわ。それと助けてくれた。なら次は私の番でしょ?」
そして、ゆっくりと立ち上がる。その目に宿すのは殺意。男に対する純粋な、怒気。
「これ以上、アレンに何かを失わせる訳にはいかないのよ」
マントの中から、いつか見たもののような、木の枝に似た棒を取り出した。
「それは……私の罪だから。だから償わないといけない」
一歩踏み出し、杖を男に向ける。
「だから……」と、リリアは続けた。
「償いのために、私たちのためにーー殺されてちょうだい」




