プロローグ④
いい加減にしろと言われそうだけどまだなんだよ!
じりじりと照りつける太陽は、着実にトゥルシャナの体力を奪っていく。岩陰で体を休めながら、もらった水を少しだけ飲む。
「…ふぅ、やれやれ…これだけ砂が熱されていると、蜃気楼の都市が発生するかもしれませんね。気をつけねばいけません」
蜃気楼の都市とは、その名の通り幻の都市であるのだが、実体化している。そこに一度入った後にその都市が消え去ると、入った人も一緒に消えてしまうという都市だ。
出現条件は極めて狭い。魔力がよく溜まり、加えてそこに異様な温度の上昇が加わると、魔力がさらに圧縮されて実体化するほどになるのだ。
が、実のところ蜃気楼の都市に入る者は後を絶たない。蜃気楼の都市内部に稀に落ちている高純度魔力結晶があり、かなりの高値で取引されるのだ。
トゥルシャナもかなりの数をそこから持ち帰っている。というのも、近場でよく起こりやすく、加えて『眼』のおかげで、数分で見つけ出したのち脱出が可能であるというのも大きな要因だ。
トゥルシャナは立ち上がり、また歩き出そうとした。と、目前の砂がぐぐ…と持ち上がった。
「…大蠍ですか。面倒ですね」
トゥルシャナは手をそっと竪琴に添えて、掻き鳴らした。途端、そこから風の刃がいくつも生み出される。彼はそのまま土ボコリの上がる中相手の動きを見る。
(魔力の循環も停止したようですね。うん、死にましたか)
常ならこの類の有象無象は戦いを得手とする者に任せて、自分はより強く、ただの武では太刀打ちできない相手——砂漠鷲などに魔奏を使って倒していくのだが、今は露払いする者もいないため、彼自身でその戦闘を行っている。
「大蠍は身が美味しいですし、倒しておいて損はなかったかもしれませんね」
彼はその鋏を素手で折り取り、あっさりとその身を剥き出しにする。そのまま日陰へ戻り腰のナイフを手にして、身を甲殻の上に幾らか切って置いていく。
蟹のようなその身を味わいながら、即席の干し肉を作るとそれを革袋へしまう。勿体無いが、他はこの近くに置いておくしかないだろう。そう思いながら身を取り出した鋏を投げ捨てて、彼は今度こそ歩き始めた。
「…この魔力は……誰かの召喚獣が、キャラバンの近くにいますね」
人間の魔力により、楔を打たれた魔物が、キャラバンを襲おうとしている。が、近づけないのかその周囲をぐるぐると回っているままだ。
「火蛇、ですか。キャラバンの戦力では、確かに無理がある…しかも双頭。これならアルトハの若衆では絶対に勝てませんね」
そんな風に言って、トゥルシャナはそちらへとまっすぐ歩き出す。赤い鱗を持つ二十メートルほどの体躯の火蛇はその性質上、水を大いに嫌い、そして弱い。幾ら術者の命と言えども、己が死ぬような行動はできない。
オアシスなどに突っ込んでいけば、その途中の木々の水分にさえ阻まれる。ゆえに、普通は使役魔獣などには絶対しない。ところが、そうしているということは、キャラバンをある程度足止めできる必要があった。
そして、キャラバンを囮にせねばならない何かがあった、そう考えるのも普通のことだろう。
「あの街を狙っている何かがある…?」
そんなことをして何の意味があろうか?現在進行形で物流が止まり、全てにおいて後手に回っている彼らをどうこうして、何になるというのか。
街に何かあるかもしれないと彼は考えつつ、手に持っていた竪琴を抱え直した。
「…まずは、キャラバンを助けましょうか」
そんな思いを断ち切り、彼は歩み出す。と、火蛇が鎌首をもたげて、こちらを迎撃する態勢に入った。気づかれたようだ。
彼は竪琴を取り出すと、優雅な調べを奏でだす。その調べはゆっくりと、だが確実に高まって、どんどんと奔流を巻き起こし。
「「グァァ⁉︎」」
火蛇の体は気付けば津波の中に放り出され、溶け始めた。もがき苦しむ火蛇を冷静に観察しながら、彼はそのまま火蛇の核を水流で破壊する。
核は魔物の心臓部であり、大蠍の時とは違いその等級が高いときにたいてい破壊せねば、相手が復活してしまうのだ。その相手は幾分弱体化しているとはいえ面倒なので、核を破壊してしまうのが一番手っ取り早い。
「やれやれ…まだ十小節も奏でていないのに。せっかちな蛇ですね」
彼はそう言って、びいぃん…と一音を奏でる。それとともに火蛇は肉や骨、核の破片を残して消え去った。
核の破片は魔力結晶と呼ばれて、そこそこの値段で取引される。それほどだともはやトゥルシャナには食べられないもの位の認識しか起きない。そして、その欠片達は、光を発して消え始める。
この現象は、使役していた魔物が使役者の元に戻るときの発光現象だ。その時最も術者の魔力が最大化する。
故にトゥルシャナは。
(覚えましたよ…あなたの魔力は)
そんな風に思いながら、目を閉じたままそれを見つめていた。
「いや!ありがとう!ほんっっとうに助かった。アルトハの若者達も来たんだが…その、蛇に…死体全部は無理だったが、アルトハの誇りの楽器は回収できた」
戦いに赴く際は、壊れないように預けて行ったのだという。トゥルシャナは武器が楽器であるが、若衆達は武器はその肉体。誇りでもある武器を預けたのは、相応のことだと考えて良いだろう。
「いいえ、こちらこそ、楽器を預かっていただいてありがとうございます。持ち帰らせていただきますね、本人達の供養のためにも」
その楽器を受け取ると、トゥルシャナはそれを掻き鳴らした。
「一曲、鎮魂のためにも聞いていただけませんか?」
キャラバンの人々は頷いた。トゥルシャナはゆっくりと調べを奏で出す。
熱した砂 輝く太陽
わが鼓動は拍子を取り
わが血潮は音を運ぶ
昼も夜も飽かず歌い
我らを止めることはできない
アルトハの民よ
音の中に眠れ
奏でることをしばし忘れ
わが音に耳を傾けよ
静かに眠れ
最後の一音を奏で終えると、皆から鎮魂の言葉がゆっくりと発せられる。トゥルシャナも立ち上がり、鎮魂の言葉を呟く。
その半刻ほど後に、彼らはオアシスを出発し、トゥルシャナは食糧を載せた砂蜥蜴を借りて、そのままアルトハの住居へと走り始めた。




