プロローグ②
まだまだ続きます。
トゥルシャナが二日半ほどかけて街に着いた。彼は懐の中から符を出すと、門番に提示した。
「ふむ。…ご協力感謝いたします、アルトハの若長様」
彼が敬礼をする門番に一礼して、目を閉じたままスタスタと歩いて行くと、人々の喧騒が耳についた。
日干しレンガの街並みに、白く石灰で固められた壁。たわんだ紐が建物ごとにかかって、色とりどりの洗濯物がぶら下がっている。
トゥルシャナ自身は見えないが、一度一緒に来たウナという老女が情景を教えてくれた。彼女はすでに亡くなっているが、その美のセンスはピカイチで、トゥルシャナも幾度となく竪琴では厳しい指導を食らった。
そんな懐かしい思いもほどほどに抑えられてしまうほど、人々は若干怒りを募らせていた。あちらこちらの声に耳を傾けると、互いに言い争っているのがわかる。
商売を営んでいる人は、それ以上にかなりピリピリしている。
手近な人に聞いてみると、アルトハに来るはずの大元のキャラバン隊が魔物に襲われて、動けなくなっているという。
物資が届かないオアシスでは、人々も不安に苛まれ、粗暴さが増しているのだろう。
常日頃は大らかな恰幅のいい露天の女性も、こんな時ばかりは声を荒げて品を求める客に「ないってんだろ、しつこいよ‼︎」と叫び返している。
「止めろ!やめんか!」
衛兵が必死に叫ぶが、その声は届くことはない。衛兵の顔が少しやつれているのは、食料不足のせいだけではないだろう。
これでは話を聞くことさえできないと、トゥルシャナは竪琴を構えて、魔力を乗せて一音だけ爪弾いた。
——ロン…
その一音が聞こえると同時に人々がふっと怒りを鎮める。
音に沈静化の作用を乗せて、響かせたのだ。聞こえている範囲は全て収まっただろう。
元は、宴席での喧嘩を防ぐためにトゥルシャナが作り出した魔法である。頭に血が上り、好戦的な状態になった者を止めるには、最適な魔法である。
「今まで何やって…さっきは悪かったな…」「いやあ、こっちこそ。怒鳴ったりして」
人々は散り散りになり、野次馬も熱が冷めたように捌けていく。トゥルシャナは驚きを隠さないままの衛兵に向かい、にこりと微笑んだ。彼もまた、沈静化を食らって大人しくなっている。
「大丈夫ですか?」
「あ、…ああ、あんたもしや…アルトハの?」
「ええ。キャラバン隊が来ないので、族長から派遣されてきました」
紋章を見せつつ言うと、相手が「なるほどなあ」と納得したように言う。
聞けば、キャラバンはその魔物の嫌う一区画——おそらくオアシスだろう——で一週間ほど前から動けなくなっているという。一週間補給が絶たれれば、この規模の軍備の少ない街としては、大打撃だろう。
「そうですか!…その、もしよろしければ、キャラバンの救助に向かう一軍についていってもらえませんか?」
トゥルシャナは首をかしげる。心の中ではなく、実際にそうするほどに変だと思っていた。
「今から出立ですか?…その、」
対応が遅い。その言葉を言いかけて、飲み込む。
彼らにしてみれば、指摘されずともよくわかっていることであり、突かれるのは不本意だろう。
それにトゥルシャナは余所者。この街の事を一切知らずにそう言うのは礼を失するというものだ。
「随分と、遅いでしょう。わかっているのですが、魔物よけの香がちょうど切れてしまいまして。その材料の確保に三日、そして、その調合に三日。それの積み込みがもうすぐ終わる予定です。本当に…香の係りの者がうっかりしていたためにこんな騒ぎになったことも、確かなんですけどね」
彼は心の中でこっそり首を傾げつつも、その言葉に「分かりました。参加することにします」と言って笑む。
彼は疑念を抱いていた。
材料の確保に手間がかかるというはずはない。細い茎にハート型の葉っぱを持った魔物よけの草は、オアシスなどの人々が住む魔素の薄い地帯や街には必ず生え茂り、時には街中でのあまりの繁殖力にアルトハ族では畑に芽でも見えたらすぐに抜くようお達しが出ている。
現に街中にはそこらじゅうに見られ、さらに空き地をぼうぼうと埋め尽くしていた。
魔物よけの香にするには、細い茎ごとぐしゃぐしゃに潰してコロコロ丸めるだけ。こうという程でもない簡単な作業だ。
それゆえに錬金術士やそれを売ることを生業にしている人たちは、材料は不用意に話さないが、錬金の腕があれば、その作業はおよそ500の兵の進軍といえど、一週間ほどの魔物よけの効果を得るに十分すぎる量を1時間で作れるだろう。
今回の件で動かされる兵はおよそ五十人くらいとみていいだろうから、彼の疑問はさらに広がって行く。
なぜ、一週間もかけて、それを準備したのか。
さらに、その準備に必要なモノがもしアレと一致していれば、一週間はかかることになる。
——嫌な予感がする
ざわりと騒ぐ胸を無理やり押さえつけながら、彼は腰の低い対応をしている兵士の後についていった。




