第七十四話
〈颯目線〉
結婚してから、103年が経った。
パタン……
医者の往診が終わり、美子ちゃんが横になっている部屋の障子をそっと閉める。
「先生、美子ちゃんは……」
「老衰じゃよ……美子様は人間の寿命を遥かに越えておる。いつ心肺が止まっても、おかしくは無い状態じゃ……」
「そ、そんな!何とかなりませんか!」
「颯様……もう限界じゃろう……静かに美子様を見送ってあげるのじゃ……」
「……」
それ以上の言葉は無く、医者は立ち去っていった。
倭の薬のおかげで、美子ちゃんの見た目は人間の4~50歳くらいだ。雪妖族から貰う水もあって、大きな病気も無く、あともう少しで121歳を迎える。
だけど、老衰は止められない……限界が来たんだ……
「好きになった時から覚悟してた事なのに……」
グッ!と拳を握り締めて、右京と左京へ報告に行った。
僕は出来るだけ美子ちゃんに付き添えるよう、去年、成人して条件を満たした僕達の息子、煌に当主を譲った。
「父上、母上、領地の見回りへ行ってきます。」
「煌、よろしくね~♪」
「はい。また帰りましたら、報告に参ります。」
障子が閉まり、美子ちゃんと二人きりになる。
「美子ちゃん、起きてる?」
「うん……」
「ギュッ!としていい?」
「いいよ……」
微笑んだ美子ちゃんを横抱きにして、膝の上で抱き締める。
「温かい……」
「美子ちゃんも温かいよ♪」
美子ちゃんは死ぬ思いをした時、僕の腕の中で逝きたいと言っていた。それを思い出して、最近は時間があればいつも抱き締めている。
いや……美子ちゃんの為じゃぁ無い……僕がこの温もりを失うのが怖いんだ……
出来るならこのまま閉じ込めてしまいたい……二度と離れないように……
「颯……煌は、想い人が居ないのかな……」
「今のところ居ないみたいだね。110歳くらいになったら、人間界で生活させようかな♪」
「颯も嫁の心配されて、送り出されたのかもね……」
「親の立場になってから、そんな気がしてきたよ!」
「颯のお父さんに感謝しなきゃ……」
「だね!お陰で美子ちゃんに出会えたしね♪」
最近、美子ちゃんは、起き上がるのも辛いようだ。話す声にも力が無い……
やっぱ、死期が近いのか……
動揺を悟られないよう、敢えて明るく話し掛けた。美子ちゃんが喋れない分まで、いっぱい話した。
「父上、母上、失礼しても宜しいでしょうか……」
「凛?どうぞ♪」
部屋の障子が開き、入ってきたのは、娘の凛と付き人の西京だ。凛はあと一年で成人を迎える。
「母上の具合はいかがですか?って、失礼しました!」
美子ちゃんを膝の上で抱っこしていた姿を見て、凛は焦って部屋を出ようとしている。
「凛!構わないよ~♪」
「そ、そうですか……」
凛と西京がおずおずと腰を下ろす。
「凛も西京と仲良しね…」
美子ちゃんが笑っている。
「そ、そんな事は……」
凛と西京は顔を見合わせて、赤くなっている。
「西京……凛が成人するまで、手付けするなよ……」
思わず牽制……
「そ、颯様!決してそのような事は!」
「本当だろうな……」
わざとらしく睨むと、腕の中からか細い声が聞こえた。
「颯……西京をいじめないの……」
美子ちゃんに嗜められた……
「西京、凛をよろしくね……」
「はい!私の命に代えてでも、凛様をお護りする所存です!」
二人が出ていった後、思わず美子ちゃんに本音を漏らした。
「凛が犬神の男を好きになってくれて良かったよ……跡継ぎ候補だし、他の種族と恋仲だったら、悲しい思いをさせるところだった……」
「そうだね……」
結婚した倭に子供は出来たけど、当主の条件を満たさなかったとの理由で、鈴さんが男妾を取る事が決まった。元々白蛇族当主としての条件は、倭よりも鈴さんの方が上だったらしい。
嫌がる鈴さんに、いつまでも待つと言って、右京が無理矢理白蛇族の村へ帰した。家を守る重要性を心得ている右京だからこその判断だろう。
「鈴ちゃん……元気かな……」
「近々遊びに来るよう伝えておくね♪」
「うん……」
「はぁ……美子ちゃんが人間で、良かった……僕が右京の立場で美子ちゃんが男妾を取る事になってたら、僕、死んじゃいそう……」
「ふふ……」
今日も美子ちゃんを抱き締めながら、他愛も無い話を続けた。
ある日、美子ちゃんが、桜を見たいと言い出した。
すぐに疲れるから部屋から出ようとしなかったのに……
嫌な予感がする……もしかしたら、美子ちゃんの最後のお願いになるかもしれない……
叶えてあげよう……
笑顔で美子ちゃんを横抱きにした。
「しっかり掴まっててね♪」
「うん……」
美子ちゃんのか細い腕が僕の首に巻きつく。だけど力は無く、その儚さに涙が出そうになった。
「颯……どうかした?」
「ううん!何でも無い!桜は七分咲きくらいだと思うよ♪」
「そっか……」
美子ちゃんを横抱きにしたまま、中庭の縁側へ座った。庭の桜が見える特等席だ。
「綺麗……」
「そうだね!美子ちゃんのお誕生日には、満開になりそうだね♪」
「そうね……」
バサッ!バサッ!
その時、翔が飛んできた。
「美子さん、いつものお水をお持ちしました。」
「美子姉さん♪……と、翔……」
中庭に飛び込むと同時に翔から一歩退いたのは、玲さんと涼さんの子供、つまり美子ちゃんの妹になる杏ちゃんだ。
「ふふ、杏さん、相変わらずお綺麗ですね。」
「ば、馬っ鹿じゃぁ無いの!ねえ、美子姉さん!」
美子ちゃんは翔が杏ちゃんを口説く姿を、笑って見ている。
「そうそう、杏さんのお好きな甘味処で、限定の桜餅を売り始めたそうです。ご一緒しませんか?」
「そ、そんな物で釣られないからっ!」
「桜餅で杏さんを釣れるのなら、いくらでもご馳走しますよ。私も食べたいのでお付き合い頂きたいのですが……」
「……し、仕方ないから、今回だけ付き合ってあげるわよ!」
「ありがとうございます。」
微笑む翔の言葉に少し顔を赤らめる杏ちゃんが、美子ちゃんに向き直った。
「美子姉さん、明日は父上と母上が遊びに来るって言ってたよ♪」
「そう……わかった……」
「んじゃ美子姉さん、またね♪」
翔と杏ちゃんが連れ立って城下町へ向かった。
「翔は相変わらずツンデレさんが好きだね♪」
「……相変わらず?」
「まぁ、その辺りは気にしないで♪」
翔は結婚せずに妾だけを取って、跡継ぎを作った。まだ美子ちゃんを諦めて無かったか……と思っていたけど、最近は杏ちゃんをお気に入りだ。
「あの二人は苦労しそうだね……」
「そうだね……杏ちゃんが成人するまで翔は待つつもりだろうけど、確実に雪女の長になるだろうしね……」
「うん……」
二人の間に心地良い風がそよぎ、ゆったりとしたおだやかな時間が流れていく……
いつまでもこの時が続いて欲しい……そう願わずにはいられない……
「最近……みんながよく来るね……」
「そうだね……」
言えない……言える訳が無い……美子ちゃんの死期が近いと、みんなに連絡が回ってるなんて……
昨日は瞬と潤がやって来た。二人とも、いつもどおり賑やかに話をして帰っていったけど、潤は部屋を出てすぐに泣き崩れたそうだ。
人間界で三年間同級生として過ごし、その間ずっと美子ちゃんに惚れていた潤だ。特別な思いがあるのだろう……
「颯……」
「なぁに♪」
「何か嫌な事があったら……私のお墓へ愚痴りに来てね……」
……えっ?
一瞬、言ってる意味がわからなかった。
やっぱり美子ちゃんも自分の死期が近い事、気付いてるんだ……
「颯はすぐ笑顔で隠すから……」
「……うん。何年後かわからないけど、その時はよろしくね~♪」
美子ちゃんは……美子ちゃんだけは、弱音を吐いても黙って聞いてくれた。泣きそうな時は僕よりも小さな身体で、そっと抱き締めてくれた。
裸の僕でいられた唯一の愛しい人……
失いたくない……もっと……もっと一緒に居たい……
「颯……」
「ん?」
「……キスして……」
微笑んだ美子ちゃんの唇をそっと塞ぐ。
柔らかい……何で口付けだけで、こんなに幸せな気持ちになるんだろう……
静かに離すと、美子ちゃんは微笑んだまま少しだけ目を開けた。
「ふふ!美子ちゃんからおねだりされたのって、初めてかも♪」
「ごめんね……こんな歳になるまで……」
「美子ちゃんなら、いつでも大歓迎だよ♪」
「颯……愛してる……」
「僕も愛してるよ♪」
「……幸せだったよ……」
……ヤバい……泣きそう……
「うん……僕も幸せだよ……」
頑張って笑顔で答えた時、再び美子ちゃんが目を閉じた。
「どうしたの?疲れた?」
「うん……」
「今日はいっぱいお話し出来たね♪」
「……うん……」
「少し寝る?」
「…………ん……」
持って来ていた羽織をそっと身体に掛けて、再び美子ちゃんを抱き締めた。
「おやすみ♪」
「……」
言葉は無かったけど、微かに笑った気がした。そして規則的な寝息が聞こえ始める。
「ふふ!可愛い寝顔♪」
……あれ……?
その時に気付いた……美子ちゃんの寝息がいつもより静かな事に……
「…………美子……ちゃん?」
呼び掛けても返事は無い……
「……美子ちゃん?!……美子ちゃん!!」
静かな寝息の間隔が、段々長くなっていく……
「み……美子ちゃ~~~ん!!!」
そして……
寝息が……鼓動が……止まった……………
バタバタ!
異変を察知した右京と左京が駆け付けてきた。
「颯様!美子様!いかがされま……」
二人の言葉が止まる……
「……美子様は……」
右京の問いに、黙って首を横に振った。認めたくない……
「美子様……何と穏やかなお顔……」
今は左京の言葉も頭に入ってこない……
「うぅ……美子ちゃん……嫌だ…………」
"颯……愛してる…………幸せだった…………"
最後に美子ちゃんが伝えてくれた言葉だけが、頭の中で繰り返される……
「美子ちゃん……うっ……うぅ…………美子ちゃん……返事してよ………」
どんなに呼び掛けても、愛しい人は静かに微笑んだまま……
「……愛してるって……言って……お願いだから………もう一度だけでいいから………」
後にも先にもこの時だけだ……
人目もはばからず、段々と温もりを失っていく美子ちゃんの身体を抱き締めながら、声をあげて子供のように泣き続けた……
美子ちゃん……この先もずっと愛してる……
僕の……もののけの嫁になってくれて、ありがとう…………
長々とお読み頂き、ありがとうございました!只今、スピンオフとして、妖狐族・瞬の話を書いています。また、お目にかかる時にでも読んで頂ければ幸いです♪




