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第4話 閉ざされた部屋の、もう一人の少女

その夜。


冬野ひかりは眠れなかった。


豪華な天蓋付きのベッド。


ふかふかの布団。


たぶん人生で一番寝心地がいい。


なのに。


全然眠れない。


(そりゃそうだよね……)


朝まで普通の高校生だった。


気付いたら異世界。


処刑寸前。


悪役令嬢。


聖女。


騎士。


王子。


情報量が多すぎる。


脳みそが追いつかない。


「……お母さん」


ぽつりと呟く。


返事はない。


当たり前だ。


ここには誰もいない。


その事実が急に胸に刺さった。


今まで考えないようにしていた。


でも。


もう帰れないかもしれない。


もう二度と会えないかもしれない。


そう思った瞬間だった。


涙が出た。


ぽろり、と。


一粒だけ。


「……やだなぁ」


情けない声だった。


その時。


「泣かないで」


声がした。


ひかりは飛び起きた。


誰もいない。


窓も閉まっている。


扉も閉まっている。


なのに。


確かに聞こえた。


「ごめんなさい」


少女の声だった。


静かで。


少しだけ震えていて。


どこか申し訳なさそうな声。


「……クラリスさん?」


沈黙。


数秒。


やがて。


「うん」


返事が返ってきた。


ひかりの心臓が跳ねた。


本当にいた。


ずっと感じていたもう一人。


その正体。


「……本当に?」


「本当に」


「幽霊?」


「たぶん違う」


「じゃあ何?」


「わからない」


ひかりは思わず額を押さえた。


本人もわかっていないらしい。


しばらく沈黙。


先に口を開いたのはクラリスだった。


「処刑されそうだったね」


「されそうだったねじゃないですよ」


「ごめんなさい」


謝られた。


しかも本気で。


ひかりは毒気を抜かれる。


「いや……クラリスさんのせいじゃないと思うんですけど」


「私のせいだよ」


その声だけは、妙にはっきりしていた。


ひかりは息を呑む。


「みんな傷つけた」


静かな声。


「アルベルト様も」


「ジルも」


「ルカも」


まるで罪を数えるみたいに。


一人ずつ。


「だから処刑されても仕方なかった」


ひかりは眉をひそめた。


違和感があった。


大きな違和感。


「……本当に?」


クラリスが黙る。


「本当に全部、クラリスさんがやったんですか?」


長い沈黙。


そして。


返ってきた答えは。


「わからない」


だった。


ひかりは目を見開く。


「え?」


「途中から、覚えてない」


背筋が冷たくなる。


「どういう意味ですか」


「そのまま」


クラリスは言う。


「三年前から、少しずつ」


「自分が、自分じゃなくなった」


部屋が静まり返る。


遠くで鐘が鳴った。


夜を告げる鐘。


クラリスの声は、その音に混じるように続く。


「最初はね」


「夢を見るだけだった」


「誰かがずっと話しかけてくるの」


「お前は悪い子だって」


「みんなを不幸にするって」


「だから嫌われなきゃいけないって」


ひかりは何も言えなかった。


それは洗脳だった。


少なくとも普通じゃない。


「そのうち」


クラリスは続ける。


「自分の記憶が曖昧になった」


「怒った記憶がないのに怒っていた」


「壊した記憶がないのに壊れていた」


「泣いた記憶がないのに泣いていた」


ぞっとした。


「誰も信じてくれなかった」


小さな声。


「だから途中から、私も信じるのをやめた」


その言葉に。


ひかりは胸が苦しくなった。


十六歳だ。


自分と同じ。


まだ高校生みたいな年齢だ。


そんな子が。


三年間。


一人で。


「……辛かったですね」


思わず漏れる。


クラリスは少しだけ笑った。


「変な人」


「そうですか?」


「普通そこは疑うところ」


「でも泣きそうだったし」


「……え?」


「さっき」


クラリスが言う。


「お母さんって言ってた時」


ひかりは固まった。


聞かれていた。


全部。


「私ね」


クラリスの声が少し柔らかくなる。


「ひかりが来てくれて嬉しかった」


ひかりは言葉を失う。


「なんでですか」


「だって」


少しだけ。


本当に少しだけ。


少女らしい笑い声がした。


「初めて、怖いって言ってくれたから」


胸が締め付けられる。


クラリスは。


誰にも怖いと言えなかった。


誰にも助けてと言えなかった。


だから。


処刑台で。


ひかりが泣いて。


怖がって。


生きたいと言ったことが。


嬉しかったのだ。


「……クラリスさん」


「うん」


「私」


ひかりは拳を握る。


この世界に来て初めて。


明確な意思が生まれた。


「ちゃんと調べます」


「え?」


「何が起きたのか」


「誰がやったのか」


「クラリスさんが何をされたのか」


自分でも驚くくらい。


声はまっすぐだった。


「だから」


ひかりは笑う。


「処刑延期じゃなくて、無罪目指しましょう」


沈黙。


数秒後。


小さく。


本当に小さく。


嗚咽が聞こえた。


クラリスが泣いていた。


三年間。


誰にも言えなかった涙だった。


そしてその頃。


王城の別棟。


暗い廊下の先。


一人の修道女が静かに立っていた。


月明かりが白い衣を照らす。


セシリアは閉じられた扉を見つめていた。


その表情は穏やかだった。


いつも通り。


完璧な聖女の顔。


だが。


誰も見ていない場所でだけ。


彼女は小さく呟く。


「……おかしいですね」


その声には。


初めて微かな困惑が滲んでいた。


「なぜ、まだ残っているのですか」


月だけが。


その言葉を聞いていた。

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