三十話 召喚
かん口令が敷かれた以上、アリスティアからは誰にも言うことはない。
その場に居合わせたということで容疑者であるメイドが命を落としたことは秘密裏に知らされたが、正直知りたくはなかった。
恐らく、公爵はすでに知っているだろう。
「もしかして、皇太子殿下の茶会でなにかありましたか?」
浮かない顔を見逃さないマリアンに鋭い指摘をされる。
「マリアンが気にすることじゃないわ」
「お嬢さまの健康は私の気にするところです!」
「私は大丈夫よ。だから、気にしないで」
しゅんとしたマリアンがお茶の用意をする。
「本当になんでもないのよ。病気にかかったわけでも怪我をしたわけでもないわ。マリアンは私が健康なことくらい、知っているでしょう?」
「それは、そうですが……」
「それよりお祈りに行くから、準備してくれるかしら?」
マリアンは渋々といった様子で準備を始めた。
ここのところ頭が痛くなるようなことばかりが起きている。周りを漂う準精霊たちもそわそわしているような気がして、なんだか落ち着かない。
「お嬢さま。馬車の準備ができました」
「今行くわ」
てっきりリーファスがいると思っていたが、御者台に乗っていたのは第一騎士団の副団長であるランドルフだった。
思わず足を止めてしまい、訝しげに見返される。
「出発しましょう」
空は晴れているというのに、遠くの空からごろごろと地を這うような低い音が響いてきていた。
今夜は、雨が降るかもしれない。
「リーファス卿は寝ているそうです」
「え?」
「気になっていたのではありませんか?」
気にならないと言ったら嘘になる。そもそも、ランドルフは第一騎士団に所属する騎士だ。守る対象はアリスティアではなく公爵のアイザックである。
「ランドルフ卿に教えを受けている際、打ちどころが悪く、気を失ったと言っておりました」
「それは、無事なの?」
「はい。痣はできたものの、綺麗に気絶しただけだそうです」
そう話すマリアンの声音はいささか暗い。
「心配なら、あとで様子を見にいったらどうかしら?」
ぴた、と止まったマリアンの瞳が瞬く。
「な、なにを言っているのですか」
「あら、着いたみたいね」
「お、お嬢さま」
「それじゃあ着替えるから、マリアンは外で待っていて」
なにか言いたげなマリアンを馬車の外へ追い出す。また、ランドルフから怪訝な目で見られた。
素知らぬ顔をしてアリスティアはキトンに着替え、馬車を出る。心なしか雷の音が大きく、近づいてきているように思えた。
「今日は一段と……」
泉の水が冷たい。ふるりと寒さが体を走り抜ける。
泉の中央に立ち、胸の前で両の指を組む。準精霊たちが嬉しそうに輝きを増した。それから目を瞑り、ひたすらに祈りを捧げていく。
どれほど時間が経過しただろうか。周りの木々のざわめきが大きくなったような気がした。
それがなぜだかとても気になり、目を開けたアリスティアは息を呑む。
「――、……っ!?」
はっきりと、人型の輪郭が瞳に映る。
確認できるのは三つ――三人、だろうか。人間の姿をしているが、その体は半透明で、人間の頭ほどの大きさしかない。一人は青色、一人は赤色、一人は黄色の色をしていた。
アリスティアは胸の前で組んでいた指をほどき、その存在に手を差し出す。
「初めまして、精霊たち」
静かに声をかけると、無表情だった精霊たちの頬が綻んだ。アリスティアの周りを楽しそうにくるくると回っている。
「姿を消すことはできるのかしら?」
そう問いかけられた精霊たちはきょとんとし、首を傾げた。普通の人間には精霊が見えることはない。けれど、親和力の高い精霊術師ならば別だ。
シルビアはもちろん、フィリアにも見える可能性がある。
「えっ」
アリスティアの意図を組んだ精霊が、ふっと消える。正しくは、アリスティアの体の中に入って消えた。
「まずは、おばあさまに連絡を――」
馬の走る音が近づいてくる。アリスティアが今気づいたということは、ランドルフとマリアンはとっくに気づいていた。
「マリアン」
「お嬢さま、こちらへ」
マリアンの手を握ったとき、木々の向こうから馬が飛び出してきた。
「大変です、お嬢さま!」
聞き慣れた声に、ランドルフは射貫こうとしていた槍をとどめ、アリスティアとマリアンも顔を向けた。
リーファスだった。
「リーファス、寝ていたんじゃ」
馬から降りることなく、震える声でリーファスは言った。
「――フィリアお嬢さまが、精霊を召喚したそうです」
その場が静まり返る。真っ先に我に返ったのはアリスティアで。
「ま、まさか……そんなわけ」
だって、精霊はここにいる。精霊は、アリスティアの手を取り、選んでくれたのではないか。
「動揺されるのも無理はありません。今は、一刻も早く戻りましょう」
リーファスに促され、アリスティアたちは急いで公爵家へと戻った。