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森のレクイエム  作者: 長月京子
二:森に眠る

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21/22

21:三年前

 赤く焼けた地平線近くの空に、夕闇が迫っている。淡い藤が段々に濃い紫を迎え入れる。力尽きた夕陽に照らされて、辺りは長い影で満ちた。


「悠兄」


 坂にさしかかった所で声がした。振り返ると、貴史が駆けて来るのが見える。俺にはない眼差しを持って、走って来る。知らずに目を細めていた。


「お前、じいちゃんは?」

「じいちゃんが悠兄と一緒に行けって」

「そうか」


 山荘にじいちゃんが訪れて来た。俺に


「目を醒ませ」と言いに来たのだ。彼には演技を見抜かれている。逃げるしかなかった。

「それに、悠兄が」

「え?」

「……兄ちゃんが、遠くへ行ったまま戻って来ない気がしたし」

「馬鹿だな」


 笑おうとして出来なかった。貴史もお見通しなのだ。


「お姉ちゃん、商店街にいるかな」


 小夜子がどこにいるのかは検討がついていた。足を向けるには勇気が必要だった。

 坂を下ってあてもなく貴史と歩いた。賑やかな商店街もシャッターを下ろし始め、坂道を歩く頃には陽が暮れていた。高い空に星が輝いている。冴えた輝きが、いつか森の奥で見た灯火を思わせた。


 まだ幼い貴史を連れたまま、光を目指して森へ踏み込んだ事があった。あの時も、小夜子を探していた。

 闇の中に浮かぶ懐中電灯の光は、チラチラと命の炎のようだった。闇のせいで樹海と化した森は、やけに静かで。光に向かうにつれて、その静寂は破られる。人の話声がだんだん近くなって行くのだ。

 辿り着くと、人影が群れを成して何かを取り囲んでいた。


「小夜子さんは見つかったか」


 嫌な予感がした。人垣の中心で、小夜子が眠っていたのだ。犯人が捕まったと、じいちゃんが言った。


――最近町に変な輩が徘徊しとるらしい。


 そうだ。小夜子は気を付けなければいけなかった。日暮れの坂道には人気がなくなる。


――もちろん悠が守ってくれるわよね。


 約束したのだ。責任を持って守ると、なのに。


「野犬が食い荒らしたらしい。誰なのか分からん」


 分からない筈がない。体が小刻みに震えだし、足元から力が抜けて行く。


「……小夜、子」


 呼びかけて、いくら待っても返事はない。深く眠っているらしい。こんな所では風邪を引くかもしれない。温めてやらなければ。

 手を伸ばすと彼女の体は冷たかった。凍りついた人形のように。

 自分が凍てつく。小夜子の体は、こんなに小さくはない。


「……違う、小夜子じゃない」


 呼んでも答えない。腕に抱く体もあまりに小さい。これは違う、偽物だ。


「だって、返事をしない」


「悠。でも、お前――」

「違う。……あいつは、呼べば答える。だから、違う。――違う」


 これは、小夜子ではない。


「小夜子のわけが、ないんだ」


 風の音がする。樹々の囁きが聞こえる。


――悠、助けて。


 声が聞こえる。葉擦れの音に交ざって悲鳴のような、小夜子の声。


――助けて。


「違う!小夜子じゃない」

「悠。なら、なぜ泣く。小夜子じゃないなら、なぜ」


 じいちゃんに肩を叩かれた。小夜子の悲鳴が掻き消える。単なる樹々のざわめきだった。


「泣いてなんかいないよ」


 その日を境に、小夜子は姿を消した。

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