新たな辞令
1244年6月末 クルグス市 中央駅
駅のホームは独特の雰囲気がある。
汽車の煙突から出る煤煙と蒸気の入り交じった、湿った匂い。メガホンを持った駅員が大声で乗車をうながし、旅路につく人を浮き足立たせている。
わたしは肩から背嚢を下げ、待合ホールに入った。
歩みをゆるめ、周囲を見回す――マユハの姿はない。まだ怒っているのだろうか。仲直りしないまま、別れたくないのだが。
「どうかしましたか? ボルド大尉」
アルがめざとく反応した。わたしは首を振る。
「いえ、なんでもないわ。アル達は東ホームよね」
「はい。ミード中尉と――あ、いらしたようですね」
チプスとリニアが連れ立ってやって来た。
兵士達が敬礼を交わし合うまで控えていたリニアが、わたしに笑いかけてきた。
「おいっす! おはよー、ロゼちゃん」
「おはよう、リニア。お見送りご苦労様」
リニアははにかみながら、チプスに視線を向けた。
「まあ、プレ旦那様の出陣だしね。がんばれ、プレ夫! ってね」
「普通に婚約者って言ってくれないか……」弱るチプスにリニアは
「あーあ、あたしもタンブールに行きたかったー。ケチだよね、プレ夫」とからむ。
「それは夕べも話したじゃないか。来てくれても僕は基地の宿舎で滅多に会えないし、近頃向こうはしょっちゅう空襲があるんだから」
「わかってるよー。でも、色々準備もあるのにさ。チー君、ちゃんと休暇は取れるんだよね? あたし嫌だよ、一人で結婚式するのなんて」
「う……た、多分……もう申請は出しているから」
「本当だよね? もしチー君がこれなかったら、あたしタンブールまで行くからね! 基地の偉い人達もみーんな集めて、誓いのキスをしてもらうよ!」
「わ、わかった! 休暇は取るから、絶対に!」
うろたえるチプスとは対照的に、リニアは軽やかに笑っている。明るく振る舞ってはいるが、きっと彼女も心細いのだろう。
わたし達は新たな辞令を受け、古巣――タンブール基地の第102飛翔戦闘団 第二大隊へ転属となった。チプスは中尉に昇進。アルは部下として彼に従う。
わたしは大尉として彼らを含めた第三中隊の16名を率いることになる。
第二大隊の指揮を執るのは、懐かしのバモンド少佐だった。
操縦者は死亡率が高い分、生き残りは押し上げられるように早く昇進する。
バモンド少佐も地位の割に若いのだが、大隊指揮官にふさわしい戦歴を積み重ねていた。
クルグスの実験団の第一小隊は人員を総入れ替えすることになる。
当面は第二小隊が仕事を一手に引き受けることになるのだろうが、ムンスター中尉なら大丈夫だろう。
「――リニア。ずうずうしいお願いをしちゃってごめんね」
「まかせて! マユちゃんはあたしの家でばっちりかくまっておくよ!」
明るい調子でリニアは請け負った。
ボーデンの行方は不明だった。逆に言えばいつ姿を見せてもおかしくない。館はボーデンに知られているから、マユハ一人ではおいておけない。
困っていたら、チプスが自分達の家に来てはと提案してくれた。迷惑をかけてしまうが、リニアがそばにいてくれればわたしとしても安心できた。
「ありがとう、助かるわ。マユハは……まだ怒ってた?」
「あー、まあね……怒っているってか、すねてたかな」
「そ、そう……」
リニアはわたしの耳に口を寄せ、こそっと話した。
「駄目だよー、ロゼちゃん。約束したことを反故にしちゃ。場所がベッドの上でもね!」
「ちょ、ちょ、ちょっと!」
わたしはリニアの腕をつかみ、チプス達から引き離した。
アルがもの問いたげな視線を寄こしたが、無視する。
「リニア、なにをどこまで聞いて――」
「君を守るよとか、君のそばから離れないよとか、君はわたしの命よとか、君に……」
言った。確かに言った。
確かに言ったが、それは二人だけの秘密だったはずなのに!
いや、秘密とか別に約束してはいない。
いないけど、むつみ合う中でささやいた台詞なんて、普通他人に言わなくない!?
「君に愛される為にわたしは生まれてきたのよ、とか」
「――っ!?」
かっと頬が熱くなる。
自分が真っ赤になっているのがわかった。
「あ、ああ……っ! ごめん、ごめん! からかいすぎちゃったね、ごめんね、ロゼちゃん」
リニアは慌ててわたしを抱き締めた。
チプス達には聞こえていないだろうが、これ以上の醜態はさすがに避けたい。わたしはお愛想笑いを引っ張り出し、動揺を押し殺す。
「い……いいよ、大丈夫。マユハが話したんだから、仕方がないわよ、あははは」
「正直、あたしはうらやましいんだよ? チー君、そこまで言ってくれたことないもの。ロゼちゃん、えらいよ。熱いパッションを感じるよ! マユちゃんも女冥利に尽きるよね!」
「そ、そう? でも、他の人には言わないでもらえると助かるかなぁ」
リニアにはウケたようだが、軽々に他人に語るべきでないことはあるのだ。
マユハめ。次の休暇で会えたら、とっちめてやらないと!
「――ロゼちゃん。マユちゃんのことは、怒らないであげてね」
「えっ?」
いや、でもさすがにこれは怒るでしょ!?
身体が離れる。リニアは少し困ったような顔をしている。
「あの娘は……不安なの。さみしくて、嫌われたくないのよ、マユちゃん。わかるでしょ?」
それは――わかる。わかりすぎるほどに、わかる。
わたしがクルグスを離れることを知ると、マユハはショックを受けた。行かないでくれと懇願してきた。色々あったし、わたしだって彼女と離れたくなかった。
しかし、兵士である以上は命令に従うしかない。どうしようもないことなのだ。
マユハも理解してはいるのだろう。
それでも割り切れず、見送ることを拒否したのだ。
「ええ、大丈夫よ。マユハの気持ちは、わかっているつもりだから」
「そっか。それならよかった。あたし、ロゼちゃん達にはなかよしでいて欲しいんだよね!」
はにかむようにリニアは笑って、
「でも、なんでロゼちゃんだけ、ベルゲンなの? チー君達はタンブールなのに。同じ部隊なんだよね?」
と、不思議そうにたずねた。
内陸にある王都ベルゲンと比較的海岸に近いタンブールではまったく方向が違う。クルグスは両者の間、タンブール寄りの位置にあった。
「王都で別の用事があるのよ。終わったら、わたしもタンブールへ行って、中隊に合流するわ」