報告
ルイーザはテーブルを挟んで、ヴィクトールに向かい合っていた。
何度か王妃のお茶会に誘われて王宮に出入りしていたルイーザでも、王太子の私室に足を踏み入れたのは初めてだった。
当然、未婚の令嬢がここにいてはあらぬ噂が立ってしまうのでヴィクトールの方も、母以外の女性を招いたことはないのだけれど、今回は秘密裡に招いているので問題はない。
久しぶりにヴィクトールと顔を合わせて、ルイーザは柄にもなく少々緊張した。
上辺だけ見ると、容姿も振る舞いもまさに物語に出てくる王子様然としているのだ。
犬だったころはああも自然体でいられたのだから、当時のような気持ちを少しは取り戻そうと思うのに、それも叶わないまま胸が騒ぐ。
「そう。危険がなかったのであればよかったよ。メリナ・ノイマンはすぐにアーデルベルトとの繋がりを吐いたよ。彼らは協力関係にあったけれど、たいして信頼関係が築かれていたわけではないようだ」
「アーデルベルト様にとって、メリナ嬢は一時的な駒だった……のでしょうね」
ヴィクトールの妻の座を狙うメリナと、王位を狙うアーデルベルト。有力な婚約者候補を引きり下ろしたいという利害がたまたま一致しただけで、最終的な目的は相容れないところにある。お互い、腹の底ではそれを知った上で上辺だけの協力関係を結んでいたのだろう。
「ありがとう、進展したのはルイーザ嬢のおかげだ」
「いいえ、こちらこそ王太子殿下のお力がなければあのように立ち回れませんでした。ありがとうございました」
お茶会を開いた子爵家の協力を得られたのは、ヴィクトールの采配ゆえ。その上、メリナの身柄を確保できたのもヴィクトールが手配した騎士なのだ。ルイーザや、ローリング伯爵の力だけではここまで穏便に事は運べなかっただろう。
あの日、途中でお茶会を辞したメリナの元に騎士が接触した。
「魔術師等からの報告では、ルイーザ嬢が下げさせたお茶には間違いなく変化の呪薬が入っていたようだよ。もっとも、今回は犬ではなく鼠だったようだけれど」
あの時、ルイーザの安全を守るために二つの保険がかかっていた。
一つは、子爵家に元々いた使用人とこちら側で手配した使用人の左手に揃いのバングルをつけさせること。給仕の際は必ず、バングルが服で隠れないように指示が出されていた。多くの使用人を抱える大貴族は別として、男爵家や子爵家などではお茶会や舞踏会の時に臨時で使用人を雇うことは珍しくない。事を起こすのであれば誰かを潜り込ませるだろうと踏んだのだ。
実際、その日も子爵家では何人か臨時で雇っている。こちらの息のかかっていない臨時の者は厨房と設営の準備のみで給仕には置いていない筈なので、バングルをつけていない使用人が給仕をしている時点で、警戒対象になったのだ。
そしてもう一つは、ルイーザがノアから預かった指輪だった。
中指に嵌めこまれた魔法石に、紅茶と砂糖以外の成分が一定以上の割合含まれた液体が染み込むと、黄色い石が赤く変化するように術を施してあるものだ。
本来は、飲料工場などで本来入っている予定のない成分が入っていないか確認するための魔道具を指輪型に加工してもらった物である。ティースプーンで砂糖を混ぜたあと、ルイーザはさりげなく自身の左手の指輪に紅茶を垂らしたところ、それが反応したのだ。
「でも、一度失敗したのにまさか本当に同じものを使ってくるとは思いませんでした」
残された紅茶を研究棟で分析してもらったところ、以前ルイーザが盛られたと思われるものと限りなく近いものが入っていたと判明した。何か仕掛けてくるだろうとは思っていたが、てっきり別の毒を盛ってくると考えていた。
「ノイマン伯爵家は特別裕福なわけではないし、令嬢が個人で毒物を入手するのは容易ではないからね。手元にあった呪薬の残りを使ったのだと思う」
メリナにとって一番都合が良いのが、具合が悪くなったルイーザが席を立って人知れず消えることで、その思惑が外れて人前で変化したとしても、前回の犬とは違い小さな鼠では、変化したのではなくルイーザがドレスを残して消えたように見えただろう。万が一毒物か魔術の使用が疑われたとしても、容疑者は茶会を開いた子爵になる。
「それにしても、私が何の対策もとっていないと思われたのでしょうか……」
見くびられたものだと思う。ルイーザが犬になってしまったことを確信していたとして、何の対策も練っていなかったと思われたのだろうか。まあ、何か知っていたとしても完全に口を封じてしまえば良いと思っただけなのかもしれないが。
「まったく、犬ならまだしも女性を鼠に変えるなどとはひどいことをする」
鼠にはなりたくないが、犬ならまだしもというのも少々引っかかったがルイーザは、気にしないふりをしてヴィクトールの憤りに同意を示した。
「こちらの事情になってしまって申し訳ないけれど……ルイーザ嬢は、メリナ・ノイマンの罪を明らかにしなかったことを後悔していないか?」
「ええ、別に人前で貶めたいわけではありませんから。たとえ内々であっても、罪に問えるのであれば十分です」
今回のことは、王の甥であるアーデルベルトが裏で糸を引いている。筋を通すのであれば、全てを白日の下に晒し、断罪すべきかもしれない。
しかし、国にとってアーデルベルトの実家が持つ力は大きい上に、公爵夫人は王妹だ。事件を表沙汰にしてしまうと、王宮の勢力図に大きな変化が表れてしまう。下手に社交界を混乱させることは、ルイーザにとっても本意ではないのだ。
「まだアーデルベルトは内々に謹慎させている状態だけれど、病を理由に蟄居となるだろう。メリナの方も、今は貴人牢にいるけれど最終的に同じようなことになると思う」




