第3章 その19 その頃のコマラパとカントゥータ
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かつて虚ろなる空の彼方に、白き太陽神ソリスの加護を受けし古き園あり。
長きにわたる繁栄を享受し人々は天地に満ちる。
なれどやがて人々は堕落し神々の怒りに触れぬ。
天空の彼方より放たれし神々の矢に大地はえぐられ、砕けぬ。
大地は深き亀裂より熱した血を噴き出したり。人々が呼吸するごとに大気は肺を蝕み、赤く逆巻く海の水は血を毒するなり。
やがて地上の生きとし生けるものは全て滅びたり。
残されしは地下の繭。
繭の中で父母なくして生まれながらに罪を背負いし咎人たち。
原罪を背負う無知なる嬰児たちを哀れみしは、あまたの神々のうちで夜と死を支配する月の女神のみ。
女神はその白き腕に咎人たちを抱き、虚ろの空の大海を渡り、約束されし青き清浄なる大地に降臨す。
死者と咎人と、生まれながらに罪を背負いし嬰児の護り手、真月の女神イル・リリヤと、彼女は呼ばれぬ。
清浄なる大地をあまねく照らす青白く若き太陽神アズナワクは慈愛深き恵みの神。
白き腕の真月の女神イル・リリヤは、赦しの神なり。
至高の女神イル・リリヤは古き園より運びし種を育て「別の月」と成し宙に放つ。
空に掲げられしは「魔月」。闇を司りし「魔月」。その名をセラニス・アレム・ダル。そは、魔物と野獣の守護者なり……
(*「聖堂」古祈祷書より抜粋*)
※
クイブロとカルナックは銀竜の領域である、氷河に囲まれたルミナレス山の頂上を目指し、雪原に足を踏み入れた。
その間、コマラパとカントゥータは、山の中腹で彼らの帰りを待っていた。
雪が積もっている領域に、コマラパたちは登れない。
誰かがそこに入っていけば、すぐにルミナレスに宿る銀竜に察知されてしまい、聖なる獣の怒りをかえばクイブロの「成人の儀」を台無しにしかねないのだ。
なのでコマラパとカントゥータは、もともとルミナレス山麓に魔獣が近寄らないようにカントゥータたち「欠けた月」一族の手で「魔除け」の道具を道しるべのようにして設置してあるものを点検したり、魔獣が「成人の儀」の巡礼道周辺に出没しているのを見つけ次第に退治するなど、有意義な自主的任務に尽くしていたのだった。
太陽が西の山並みに沈んでいく。
夜が訪れるのだ。
この時期、しだいに欠けていく真月が東の山の端から昇るのは、夜更けになってからである。
日が落ちれば急激に気温が下がっていく。
コマラパとカントゥータは野営の準備を整え、火を焚いた。
クイブロたちが近くに居るうちは(黙ってついてきたから、気づかれるといけないので)火を焚くのも煮炊きをするのもはばかっていたが、今では遠慮無しである。
焚き火は、魔獣のみならず通常の夜行性の獣よけにも有効なのだ。
「クイブロの帰りが遅い」
焚き火に掛けてある小鍋をかき回しながらカントゥータは、ぼやく。
クイブロは、必要最小限の焚き火しかしなかったが、カントゥータは野営には慣れており、一晩中燃やすのに不自由しないだけの薪を確保してきていた。
鍋の中身は石で叩き潰した干しイモと、細く裂いた干肉だ。
精霊に近い身となっているコマラパは食が細いので、ほぼカントゥータ一人分の食事である。
「どうしたね。今までは、カントゥータ殿こそ、気の急くわたしに、落ち着けと忠告してくれていたのに」
焚き火の向かい側に座るコマラパは、底の平たい木製の杯で、アスワと呼ばれる濁り酒を、一口、二口、ゆっくりと啜っていた。
「まだ、あれらが雪渓に踏み入ってから、今夜は最初の夜だ。やっておくことは沢山あると、カントゥータ殿は言ったではないか」
「それはそうだが」
カントゥータも、コマラパと同じく、サラという植物を発芽させた芽、ホラから醸された酒に手を伸ばし、自ら酒杯に注いで飲み干した。
ちびちび舐める程度のコマラパとは違い、豪快に。
「夜になれば、やることも減るから、よけいなことを考える」
こういうカントゥータは、この前夜には数え切れないほどの魔獣を斬って捨て、巡礼の道から遠く外れた山麓に穴を掘って埋めている。
そうしておいて「魔獣の数が減った」とぼやいていたのは記憶に新しい。
「わたしたちが考えることは、二人を守り、ともに、無事に村へ帰還することだ」
「その通りですが。……不安材料があります」
「それは、旅立つ前に言っていたことか? 長男の、アトクという」
「ええ。出稼ぎに…ある国の傭われ兵となって村を出て、もう何年も戻らなかったのですが。……少し、話しましょう。夜は長い」
二人の間に燃えさかる焚き火が、パチパチとはぜ、大きく炎をあげた。




