第2章 その17 銀の檻を壊せ
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カルナックが目覚めて、コマラパとクイブロの姿を見れば、わかってくれる。
彼らはそう思っていたのだが、残念ながら、簡単なことではなかったようだ。
「だれ?」
びくっと身体を震わせ、黒髪の幼い子どもは、檻の中で起き上がる。
更に血が流れ出て、檻の底板をつたって床にしたたり落ちた。
「どうしたのだ、その傷は。見せてごらん」
歩み寄ったコマラパが、手をのばした。
だが幼いカルナック、この時点でのレニウス・レギオンは、怯えたように、檻の反対側に逃げる。
「いやだ。だれも、おれに触るな!」
漆黒の瞳が、更に深い夜の色に染まる。
「おいで。わたしは、おまえの本当の父親なんだ」
「えっ……?」
コマラパが声をかけたとき、カルナックの表情に、ほんの刹那、光が差した。
だがすぐに、首を大きく振って、叫ぶ。
「うそだ! 大人は、うそつきだ」
かぶりを振り拒絶するカルナック。
次にクイブロが呼びかけた。
「じゃあ、おれは? おれのこと覚えてるだろ」
真っ黒な目が、じっとクイブロを凝視する。
やがて、ゆっくりとかぶりを振る。
「しらない」
「おれだよ。クイブロだ。精霊様に誓ったおまえの伴侶だ! 助けにきたんだ! ルナ!」
「はんりょってなんだよ! せいれいってなに? おまえなんかしらない。うるさいうるさい! だれもしんじない!」
「ルナ。おれのルナ。目覚めるんだ」
「なんだよそれ。そんなふうに呼ぶな。おれは」
クイブロがつけた名前を呼ぶたびに、カルナックの中で動揺が大きくなっていく。けれども心は閉ざされたままだ。
「ルナ。今助けてやる。檻から出してやるよ」
「むりだ。おりは、こわれない」
助けてやると言われたとき、カルナックの表情に、明るい光が差したようだった。けれど、すぐに、光は消えてしまう。
「ルナ。初めて出会ったときのこと覚えてるか。おまえは山で、鳥の魔物に襲われてた。おれが助けたんだぞ」
「そんなの、しらない……そとなんて、でたことない」
拒絶の言葉は、しだいに弱々しくなっていた。
「今、出してやるから。おまえは、檻の格子にすがっていろ! いいか動くなよ!」
「いったいどうするつもりだ」
コマラパが問う。
「おれ、考えがあるんだ」
クイブロは、腰帯に手をやった。
現実と同じだ。
腰には帯がわりに投石紐を巻き付けてある。
「ここはルナの心の中。思う力が強ければ、おれだって、働きかけられるはず」
クイブロは腰から投石紐を外した。
小物袋には、ワラカで投げるための小石と、同じような大きさにこしらえてある火薬玉が入っていた。
「やっぱり、あった。おれがしっかり思い描ければ、現実になるんだ」
火薬玉を投石紐の中央に挟み込み、クイブロは構えた。
強く、思う。
「初めて会ったときにも言った。おれは投石紐の名手だって。だから、おれは、できる。ちょうどいいところに狙って弾を飛ばせる! ルナが怪我をしないで、抜け出せるくらいの穴を、開けるんだ!」
穴の大きさや形を、強くイメージして。
投石紐を右手で握り、勢いよく振り回す。
びゅんっ。と、投石紐が空気を奮わせた。
クイブロは自らそう名乗ったように、確かに投石紐の名手だった。
誤たずに火薬玉は飛んでいき。
檻底に張られた木の板を、ぶち抜いた。
現実なら激しい爆発になり、木の板は微塵に砕けてルナは下に落ちたかもしれない。
だが、クイブロの思いが強く反映されたのか、檻の底板には、きれいに丸く大きな穴が開いた。
その穴にコマラパが頭を入れる。肩から上がすっぽり入って、ゆとりがある。
「いやだ、くるな」
逃げるカルナックに大きな手を差し伸べた
カルナックは檻の端に逃げていたが、コマラパの肩に乗っている白ウサギに、目を引きつけられた。
「ユキ。あの子のところに行ってやってくれ」
頼みを聞き入れたように、ユキはカルナックに駆け寄った。
「……うわあ。かわいい! なに? これなに? やわらかい!」
「それはウサギだよ。おまえが可愛がっていて、ユキと名付けた。呼んでごらん」
「ユキ?」
おそるおそる、呼ぶ。
白ウサギはカルナックの膝にのって、ふわふわの白い毛に包まれた身体をすり寄せる。その温もりが、閉じていた心を和らげる。
「ユキ……? おれの、なの?」
「そうだよ」
「じゃあ。おまえは、だれ?」
白ウサギを抱きしめて、カルナックはコマラパを、ひた、と見つめた。
「わたしは、おまえの本当の父親だ。やっとわかったんだ。おまえを育てていたのも、本当のお母さんではない」
「え。おかあさんは、ちがうの? ガルデルも、ちがうの?」
「そうだよ、おいで」
コマラパの腕に、カルナックは、おずおずと、しがみついた。
「おとうさん? ほんとうに?」
「助けにきたんだ。おまえをここから連れ出しに」
わっと、カルナックは泣き出した。
泣きながらコマラパの首にしがみついた。
「あ、でも、おれがだきついたら、ふくに血がついちゃうよ」
カルナックは裸だ。
身体中につけられた傷から、絶えず血が流れ出ている。
「そんなの気にすることは無い。かまうものか。だが、血は止めておいたほうがいいな。痛いだろう?」
コマラパは血を流している新しい傷口に、指を当てた。
精霊と女神に祈りを捧げる。すうっと血が止まり、傷口が渇いていく。
「さあ、ここから出て行こう」
カルナックを肩に乗せてコマラパは腰を落とした。
「やったな。コマラパ! ルナ、よかった! 出られて」
「おまえだれ」
檻の中から出られたのはいいが、カルナックはやはりクイブロのことを思い出さない。
「もしかしてミツル?」
「ちがう。なんだよミツルって」
「わかんないけど。すごくつらいとき、おれのなかで、だれかがいうんだ。いつかきっと、たすけにきてくれるって。パパと、ミツルが。だれのことかわからないけど」
「パパというのは、わたしのことだな。おまえは昔、わたしをそう呼んでいた」
コマラパはカルナックを胸に抱きかかえたままだ。
「ぱぱ? じゃあ、そっちのおまえはミツル?」
「ちがう。おれはクイブロ」
「ふうん」
きょとんとしている。
つぎに、笑った。
「でも、おまえさっき、かっこよかったぞ。なんか、ひもで。なげたの」
「えっそう?」
クイブロは少し気を取り直した。
「うん。どうやったの? おれもやりたい。おしえてくれる?」
「う、うん。教えるよ。今も、教えていたところだったんだからな」
「そうなのか?」
花が咲いたように、笑う。
その笑顔はクイブロの胸をわしづかみにした。
「小さい頃もやっぱり可愛かったんだな」
「?」
「さて。どうすればここから出て行けるのかだが」
「ぱぱ。ぱぱ! ユキ!」
カルナックは激しくコマラパに懐いていた。
「いいなぁ。ルナ、おれには、抱っこは?」
「やだ。ぱぱがいい!」
そう言ってカルナックがしがみつくとコマラパは上機嫌になる。
「よしよし! パパと暮らそうか!」
「なに言ってんのコマラパ! おれは? っていうか、どうやったらここ出られるんだよ」
『そこはラスボス? っていうの? それを倒すことになっているようね』
突然、ユキから、声が聞こえてきた。
「ええええええ!? ユキがしゃべった!」
動転するクイブロ。
「ラスボス? 攻略ゲームか?」
『そう。セレナンの大いなる意思は、そう言ってるわ』
ユキのすぐそばに、銀色のもやが集まっていき、幼い少女の姿が現れた。
青みを帯びた銀色の髪、アクアマリンのような透き通った瞳をした、十四、五歳の少女。
カルナックを保護し育てた精霊の姉、ラト・ナ・ルアが。
「だれ? きれいなひと」
ぼうっとカルナックはラト・ナ・ルアに見とれている。
『長くはここにいられないから単刀直入に言うわ。カルナックが最も恐れている相手と戦って、倒して。そうしたら目覚めるわ。二人は、この子を助けてあげて!』
「最も恐れている相手って」
ガルデルのことかと、コマラパとクイブロは内心思ったが、互いに口にはしなかった。
ぎゅっと、カルナックは強くコマラパにしがみつく。
「ぱぱ。たすけて」
コマラパは力強く、幼い子どもを抱きしめる。
「助けてやる。わたしはおまえに約束したのだからな。もしもそこにわたしがいたら、必ず、おまえを連れ出してやると。あいつの手から」
『もうじきやってくるわ。大広間の人間を全て殺した、あの怪物が』
美しい精霊の少女は、眉をひそめた。
『あたしには何も手を貸してあげられない。がんばって。コマラパ、クイブロ。カルナックの記憶にある過去の、小さなレニウス・レギオンを、助けて!』




