第2章 その16 白い魔女フランカと、コマラパ
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「まさか……沙織? 沙織なのか!?」
コマラパは、前世で死別した妻の名前を叫んだ。
「あなたにも黙っていたけど、わたしは前世でも『白い魔女』だったの。だから、自分の死期はわかってた。延命することもできたけど、自然に反することだから、何もしなかった。そのときは納得していたけど。それでよかったのかどうか……今でも迷っているわ。あなたと香織と、早くに別れることになってしまった。心残りは、それね。まだ消えていくことができない、未練ね」
彼女は回廊の突き当たりを、指さした。
「あの壁は隠し扉になっていて地下へ降りる階段がある。今、大広間では殺戮が始まっている頃だわ。でも、それは回避しようがないこと。これはあの子の過去の記憶だから。でも、『ルナ』を助けることはできるわ。あなた方なら」
「沙織! いや、白き魔女フランカ! いつから前世に気づいていた? わたしと夫婦だったことを。もっと昔に、言ってくれたら」
レギオン王国首都アステルシアの白き魔女フランカは、華やかに笑った。
「前世を思い出したのは、あの子がお腹に宿ってからなの。あなたは、すぐに迎えに来ると言ってくれていたけど。前途有望な若者の未来を潰したくなかったし。子どもを授かっただけで満ち足りていたから。まさかガルデルに召し上げられるなんて思わなかった。そうなってからは軟禁状態で、連絡もとれなかったの」
「もしかしたら。わたしたちは今世で、親子三人で一緒に暮らせたのだろうか?」
「そうだったら、よかったわね」
儚く微笑む。
「でもいいの。あなたは今、助けに来てくれた。それに、わたしたちの香織には、この世界で、愛する伴侶がいるんでしょう? ねえ、きみ。クイブロって言ったわね?」
「は、はい」
この人の声も、物言いも、仕草も。なんてカオリに似ているんだろう。いや、カオリが、この人に生き写しなのか。
などと、とりとめのないことを思っていたクイブロは、突然にカルナックの実の母だという美女に話しかけられて、緊張する。
「あなたは、とても純粋で、力強い、きれいな魂をしている」
うっとりと、ながめやった美女は、表情をあらためて。
「お願い、助け出して。『ルナ』を。わたしと、この人の、大切な子どもを」
「はい!」
決意を込めて、クイブロは答えた。
「頼んだわね」
前世で、コマラパの妻だった、沙織は。
クイブロの耳に唇を寄せた。
「あの子の心は、あなたのものよ。ガルデルも気がつかなかったけど、あの子、半分は、女の子なんだから」
「え! え? そ、それってどういう……」
「もう少し育ったら、今よりよくわかるはずよ。そのときが来たら、できるだけ優しくしてやってね?」
大混乱に陥ったクイブロに、コマラパと似たようなことを言い残して。
幽霊美女は、姿を消した。
あとには窓から差し込む月光だけが残った。
「進もう。時間が無い」
コマラパは、いまだ困惑しているクイブロの背を、軽く押した。
月の差す小部屋を振り返り、呟いて。
「行ってくるよ、沙織。わたしたちの子どもを助けに」
※
フランカの幽霊と別れた二人は、長い回廊の突き当たりの石壁までたどり着いた。
コマラパとクイブロが前に立つと、壁は軋みながら内側へ引っ込んでいき、入り口が開いた。
真の闇に閉ざされた階段を、手探りで石壁に触れながら、ゆっくりと降りる。
足下がおぼつかないせいか、階段はひどく長く感じた。
「コマラパ、おれの義理のお父さんだったんだな」
真っ暗な中、ふいにクイブロが言う。
「なんだいきなり。……そうだな。おまえは、わたしにとって、たった一人の我が子の婿だということになるな」
「今までいろいろ、ごめん。コマラパは、おれの大切な可愛い嫁の、親父さんなんだなって思って」
「謝るようなことをしたか?」
コマラパはとぼける。
「うん。出会ったその日に嫁にくれって言ったり、その、足の裏に触ったり……」
キスもしたが、そのことは言わなかった。
「あれには確かに驚いたが。ルナを助け出せたら、あの子にやらかしたいろいろなことは帳消しにしてやる。まあ、もう婿なんだしな。期待しているぞ」
「がんばるよ。お義父さん」
「やめろ! むずがゆい。そ、そのうちな。おいおい呼んでくれると……」
照れてしまうコマラパである。
クイブロも思わず笑った。
そのひとときだけは、二人とも緊張がゆるみ、肩の力を抜いた。
「コマラパが結婚しなかったわけが、わかったよ。きれいな人だったなぁ」
「そこは突っ込むな」
ばしっと音を立ててクイブロの頭がはたかれた。暗くて見えないがコマラパの顔は真っ赤になっていた。
「はい……」
階段を降りきって地下に着く。
再び、長い回廊が目の前に広がっていた。
ところどころに松明が掲げられているものの、光は隅々までは行き渡らない。
「さて、ここからどうするかだが」
「えっ? わからないのかよ」
思わず呟いたクイブロの頭を、すかさずコマラパは叩く。
「わたしが昔、調べたときには、ここはすでに廃墟になっていたのだ。一応、地下の構造も頭に入ってはいるが、今どこに閉じ込められているのかが、わからん。思うに妖しいのは迷宮の最奥か……」
そのとき、ぼうっと、暗がりに白い光が現れた。
よく見ればそれは、小さな四つ足の動物だった。
「あれ? ユキだ! コマラパ、あそこに」
カルナック(ルナ)が可愛がっている白ウサギ、ユキが、回廊の先に、ちょこんと座っている。彼らがその存在に気づくと、腰をあげて。
ぴょん、と、飛び出した。
どんどん奥へと走って行く。
「案内してくれてるんだ!」
「そうか、ここは限りなく現実に近いが、過去の世界そのものではない。カルナックの魂の中だ。ユキがいて、導いてくれるということは……」
「ルナは、見つけてほしいんだ!」
クイブロは足を速めた。
どこをどう走っているのか。そんなことも、どうでもいい。ユキの姿を見失わずに走ることに懸命になっていた。
※
入り組んだ壁がいたるところに立ちはだかる迷宮の、その最深部に。
小さな部屋があった。
扉は取り付けられていない。
獣脂ロウソクが、ときおり大量の煤を吐いて、暗い炎を立ち上らせる。
それだけが、部屋を照らす灯りだ。
部屋の中央には、天井から鎖でつり下げられた檻があった。
それは通常の、罪人を入れるような頑丈なものとはまったく趣が違っていた。
僅かな灯りを受けて銀色に光る細い格子。全体に蔦の葉や枝が絡みつくような装飾がされている。まるで大きな鳥かごのようなつくりだ。
籠の底だけは板張りになっていた。
そして、中には。
ぐったりと死んだように横たわる、カルナックがいた。
四歳か、五歳くらい。髪はまだ、背中の半ばくらいの長さで、日に当たったこともないだろう肌の色は、透き通るように白い。
檻はクイブロの肩くらいの高さに吊られていた。
ここまで道案内をしてきたユキが、コマラパの首のあたりに飛び乗った。ユキから放たれる青白い光が、部屋の中を照らし出す。
床に、血が滴っている。
浅い切り傷が、カルナックの身体じゅうに付けられていて。中にはまだ血を噴き出している傷もあり、どくどくと流れ出ているのだった。
「ルナ!」
クイブロは思わず駆け寄って叫んだ。
「目を覚ましてくれ、ルナ!」
その呼び声に。
カルナックの目が、ゆっくりと開いた。
漆黒の瞳だった。




