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第1章 その16 カルナックは精霊火を喚ぶ


           16


 晴れ着をまとい、クイブロと並んで座ることになったカルナックは、この宴の場を、見渡した。


 ご馳走を囲み、酒を酌み交わして、楽しげに歓談している、大勢の村人たち。

 彼らはカルナックが一族に加わることを共に喜び合っているのだ。


「どうしよう。嫁じゃないって、とても言えない……こんなに喜んでくれているのに」

 いつものカルナックなら断れたかもしれない。

 だが、クイブロの母親に会って、その温かさに触れたカルナックは、躊躇いを覚えてしまった。


「小僧。おまえ、家に連れてくればこうなることを予想していたのではないか。それで連れて帰れば嫁にできると思って、わざと」

 コマラパはクイブロを詰問した。


「ち、違うよ! まさか今夜、祝いの席が始まるなんて思うわけないだろ。そりゃあ、母ちゃんや姉ちゃんや、家族に紹介したかったけど……ごめん。でも、もし、いやじゃなかったら。おれの家族になってくれないか」


「クイブロ。そこは『嫁になれ』と言うところだろう」

 姉のカントゥータが煽る。かなり酒を飲んでいたが酔ってはいない。


「よ、よ、嫁に……なっ……て、くれる、か?」


 焦っているのはクイブロも同じだった。

 あまりに性急なことをすれば、かえって嫌われるかもしれないのだ。

 その可能性を考えなかったわけではない。


「なんだどうした。辛気くさい顔をして。クイブロ。いったいどうやってこんな綺麗な嫁さんを見つけてきたんだ」

 話しかけてきたのは、人の良さそうな中年の男。クイブロの父カリートである。


「父ちゃん、もうどれくらい飲んでるんだよ。恥ずかしいなあ」

 クイブロは、酒臭い息から顔をそむけた。

 陽気で優しい父のことは大好きだが、普段から酒の量を過ごしやすいことは、心配事の一つだった。


「祝い事があれば、おおっぴらに飲めるからな。村の皆の衆は喜んでるぞ」

 カリートは、次にコマラパの前に立った。

「ようこそ、お客人。可愛い花嫁の親父どの。大森林から来られたコマラパどのとか。もしや深緑の大賢者コマラパどのでは?」


「大賢者などではありませんが。わたしは大森林に生まれ育ち、住みやすく、安全な地域にするため、尽くしてきましたのは確かです」


「それはそれは。嬉しいですなあ。そんなお方と親戚になれますのは。ささ、どうぞどうぞ、この酒は弱く、悪酔いなどしませんからな」


「いや……」

(わたしは親戚になるわけでは。しかし精霊の養い親から託されたのだから、わたしも親がわりなのか? カルナックは嫁にはなれない、男の子だからと、いつ打ち明けるべきだろうか)


 カリートは、濁り酒を強くすすめてくる。

 断り切れなくなり、コマラパは杯を受けた。一口、すする。

 久しぶりの酒だった。むろんごく弱い酒なので酔いは感じない。飲んで初めて、のどが渇いていたことに気づいた。


「さあ、嫁御も、杯を」


 カルナックは、杯を手に持った。

 酒が、満たされていく。

 できるなら。これを飲み干せたら、どんなにいいだろう。

 この、心の温かい人たちと、末永く、めでたい縁を結べるなら。自分が、普通の人間であったなら。

 そう思わずにはいられなかった。


 けれども、それは、決して、かなうことではない。


「ごめん、なさい」

 うつむいて、カルナックは、かすれた声を絞り出した。

「こんなに、ご馳走を用意してもらって。きれいな服を着せてくれて。喜んでもらって。……ごめんなさい」


「お嬢さん」

 近づいてきたのは、クイブロの母親、ローサだった。

「わたしらが、早合点をして、追い詰めてしまったのかね。うちのバカ息子が、こんなすてきなお嬢さんを嫁にだなんて」


「ちがうんだ」

 カルナックはかぶりを振った。


「クイブロのことは、きらいじゃない。鳥の魔物から助けてもらったし、親切にしてもらった。でも、ごめんなさい。杯は受けられない。だって……」

 酒杯を持った手が震える。


「カルナック。わたしがいけなかった。きっぱり断ればよかったのだ。一夜の宿を乞おうなどと、わたしが甘い考えを持っていたから、うやむやにしてしまったんだ。村の皆の衆、すまない。この子は……精霊からの預かり子なんだ」

 コマラパが立ち上がり、皆に向かって頭を深々と下げた。


 賑やかな宴が、急に、静かになってしまった。

 なんだ、嫁取りじゃないのかと誰かが呟く。

 こんなきれいな嫁が来るものかと囁く声も聞こえた。


「ごめん、おれが勝手に、嫁だって言ったから」


「そうじゃ、ない。クイブロ。おれ……いや、わたし、は。ものを食べたり、飲んだり、できないんだ」

 隣に座っていたクイブロの手をとって。


「わたしは、人間じゃ、ないから……」


 クイブロから手を離すと、カルナックは、両手を開いて、目の前にかかげた。

 小さく鳴いて、白ウサギの「ユキ」が、カルナックの肩に駆け上る。


「おおお!」

 感嘆と驚きの声をあげたのはカリートだった。


 カルナックの両手の間に、大人の頭ほどもある光の球体が出現したのだ。

 そしてそれは、一つだけではなかった。

 いくつも、いくつも。手のひらの間にしみ出てくる。


精霊火スーリーファだ!」

 カントゥータも、度を失ったように叫んだ。


「精霊の御霊みたまが!」

 他の村人たちも、驚きの声をあげる。


 だいたい、力業頼み、筋肉頼みの者たちほど、縁起をかつぐものなのだ。

 だから、この『欠けた月』の一族たちは全員が信心深く、この世界を統べる大いなる力、精霊セレナンたちの存在に、多大なる畏怖と敬意をはらっていたのだった。



「わたしは人間じゃない。もう数十年も昔に父親に殺されて、『魔の月』に捧げられたにえだった。一度死んだ、わたしは精霊に助けられて、精霊の森にかくまわれていた。いっそ、ずっとそうしていたらよかった。外に出たいなんて。人間の世界を見たいなんて、思うべきじゃなかった。どうしたって、もう、人には、なれないのに」



 言葉を紡ぐごとに、精霊火はカルナックの身体からにじみ出て、増えていく。

 もともと室内は、獣脂のあかりが点っているとはいえ、昼間ほどには明るくなかった。その室内が、おびただしい数の精霊火に満ちて、青白い光に包まれている。


「誰だってこんなのが近くにいたら、いやだよね? 気持ち悪いよね?」


 精霊の火に包まれたカルナックは、泣いているような顔をしていた。

「姉さん、兄さん……迎えにきて。人の間には、いられない。精霊の森に……還る」


 精霊火が、姿を変え始める。

 数限りなく集まった青白い光の球体が、ひとつに溶け合い。

 銀色の靄になって、カルナックを包んでいく。


「カルナック! 待て、早まるな!」

 コマラパが手をのばすが、すでにカルナックの身体は形を喪おうとしていた。のばした手は、カルナックの髪にも顔にも触れられずに、すり抜けてしまう。


「行くな!」

 叫んだのは、クイブロだった。


「おれに、名前を教えてくれた。将来は嫁になってくれって言ったら、断らなかった!」

 クイブロは、カルナックを包む銀色の靄に、身体ごとぶつかっていった。


 銀色の靄の中に、ほのかに見えた、晴れ着の袖を、腰を、掴んで引き寄せた。

 その衣装をまとっている身体の主と共に。


「精霊だってなんだって、おまえは、おれの嫁だろ?」


「え?」


「おれは精霊火は怖くない。何も悪さはしないし、夜道を照らしてくれたこともあるんだ。おれは、大好きだからな!」


「……え?」


 ローサが用意してくれた晴れ着に身を包んだカルナックを、強く抱きしめる。


「…………え?」


 カルナックは、呆然としていた。

 人の世界への執着を捨て、精霊の森に還るはずだった。それを人間に引き戻されるなんて思いもしなかったのだ。


「でかしたぞ小僧!」

 思わず叫んだが、コマラパはふと、(本当にこれでよかったのだろうか?)と自問自答してしまう。

 カルナックが人間よりも精霊に近い存在であり、飲みも食いもできないことには変わらない。それに男の子なのだが。

(クイブロは、そこには気がついていないのか? それとも、それでも構わないというのか?)

 前世で日本人の壮年男性だったコマラパには、困惑するしかない。


 しかし。

「おお! めでたい! なんと素晴らしい!」

 村人たちは、大歓声をあげていた。


「プーマ家の末っ子クイブロに、精霊様が、嫁に来た」

「精霊様だ!」

「精霊様が、おいでになられた!」


 かなり酒も入っていた、陽気な酔っ払いたちは。

 美しい少女の姿をした精霊が、村に降臨したと、大喜びだった。



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