0.導入は始まりではない
荻野祐一は知っている。これは、異世界転生だ、と。
日本に住んでいた祐一には、その手の知識はある。別段珍しいことでもない。インターネットが普及して昨今、陰キャ陽キャに関わらず、娯楽に手を出したことのある人間であれば多少触れたことはあると思っている。
その中でも、祐一はその手の知識には明るいほうだった。まだ時間も十分にある学生時代、ネット小説を好んで読んでいた。社会人となった今だって、暇を見てはネットを見る習慣はついている。いわゆる「そういう」スラングにも強いほうだ。
その経験が言っていた。これは、異世界転生というやつに違いないと。
気が付いたら、知らない場所にいた。
それだけだったら、まだわからなかったと思う。
ただ、最初は混乱したものの、祐一は素早く状況を確認した。営業職として外歩きを担当していた祐一は、こういう時にちゃんと自分のことを鑑みることができる。
自分の名前は「荻野祐一」。23歳社会人。都会のそこそこ裕福な家に生まれた。頭はそんなに良くなかったかもしれないが、親の厳しい教育と努力の末、なんとか大手の会社に就職をした。
ただ、そこで何をやりたいかは特になかったが……、今はその回想は不要だろう。
それから毎日働いて、そういう、典型的な社会人だった。少しばかり社畜よりの自覚もあった。
この場所に覚えはない。広く大きな、石造りの部屋。
祐一はテレビで見たことしかないが、ヨーロッパのほうの遺跡とか、エジプトのピラミッドの中とか、そういう雰囲気がある、と印象付けた。空気は冷たくて、日の光はさしていないのに、どうしてかうっすらと壁全体に明るさがあり、薄暗いものの歩くのには困らなそうだということも確認する。
「そうだ、スマホ……!」
はたと気が付いてポケットに当たる位置に手を当てる。だが、そこには何も入っていない。見える範囲では、祐一は今スーツを着ている。仕事中だったんだっけか?とか思い返すが、すぐに思い立った。自分がここにいる「理由」。
「ひったくられたんだ……!それで」
仕事の帰り道だった。駅から自宅に向かう途中でバイクに鞄をひったくられた。慌てて走って追いかけて、けれどスマホはそのとき手に持っていた。ポケットからスマホを取り出して、警察に電話するか、少し悩んで、どのみちバイクを見失うわけにはいかなくて走った。そのせいで気が付かなかった。飛び出したそこが赤信号の交差点だったことに。
それで、トラックにひかれて、今に至る。
「やっぱり、間違いない」
そうだ。自分はトラックにはねられた、それは確かだ。その時にスマホも手放したのかもしれない。最後に見たのは何だったか忘れたが、遠くにサイレンが響いていた気もする。
もう一度周りを見渡す。歩き出せばカツンと、皮の靴底が石をたたく音がする。それに合わせて、自然と祐一の心臓も高鳴った。
仕事帰り、トラック、死んだはずの自分、見知らぬ場所。
もう絶対に疑いようがない。
「異世界転生だ……!」
ぽつりと、声に出した音は思ったよりも大きく響いた。とっさに周りを見渡してしまったが、周りにはただ建物が広がっているだけで反応するものはいない。
いくらなんでも突飛な考えすぎる、という考えも一瞬よぎったが、祐一はすぐに切り替えた。順応性は大事なのだ。
このパターンで、違うという可能性のほうが低いだろう。夢だという可能性もないことは無いが、事実、夢の中だと夢だと疑うことのほうが難しいものだ。夢の中では最初から、これは夢かもしれないという発想にすら思い当たらないものである。
だからここで、夢じゃないよな、と疑っている時点で、夢ではない。はずだ。現実なのだったら、もう「それ」しかない。
とはいえ、こういうものに定番である、神様的なものには会っていない。
こういうのは2パターンある。死んだあと神様とかいうのに色々説明を受けるか、なんの設定もないまま気が付くと異世界にいるか。
「これは後者のパターンか…?」
ぶつぶつ考えを整理しながら祐一は歩く。ここがいわゆる神様の領域というやつかとも思ったが、それにしては一向に誰も話しかけてこない。
なにより、そう、ここはダンジョン的な構成な気がする。だから、何の説明もなく放り込まれているパターンだ。
神様みたいなのが白い空間に立っていて、「あなたを手違いで殺してしまいました、お詫びに別の世界に転生させてあげます」と言われる方が祐一は好きだった。なぜなら大体そういう場合はチート的な能力をギフトとして与えられているから。
だが、そうでなくても何かしらの能力を授けられているのではないだろうか。なぜなら、何の理由もなく異世界に呼び出されるということはほぼ無いから。
劇的な能力ではない可能性もある。その場合は、いわゆる「はずれ」というやつだが、はずれならはずれなりに隠された使い道がある、そういうものだ。祐一は知っている。
「ひとまず、このダンジョンを攻略すればいい、とかか?」
祐一は現状確認を簡単に済ませて、意気揚々と歩き出そうとして、やめた。
ダメだ、自分が転生者だとして、このタイプの転生者はもっとこう、謙虚でないといけない。自分はただの会社員で、何の力も持っていなくて、身の程をわきまえていて、それでいて、なんとなく、自分でできることをそれとなくやるのだ。
自分に大それたことができると思ってはいけない。できることだけをやって、それで最後にこういうのだ。
「自分、なにかやっちゃいました?」
祐一はにやけそうになる己の頬を叩く。こういう態度もダメだ、こういうムーブは小物のライバルがやるムーブだ。求められているのは謙虚さで、調子に乗ったものは痛い目を見る。それもまた定石だ。
「ステータス!は、……でないか……」
とりあえず定石を一通り試すが、それらしいものは出なかった。ステータスが出るのは転移先が「プレイしていたゲーム」の場合だ。祐一は久しくゲームをしていないし、この世界に見覚えがないから、ゲームの中に入り込んだパターンではない。つまりステータス性ではない。
改めて、辺りを見回す。
ここは、ダンジョンというか、遺跡のような作りだった。天井はとにかく高く、部屋のようなエリアを、少し細い通路のようなものでつないでいる。すべて石造りで、ドアのようなものはない。
ただ、一部屋がそこそこ広いことと、通路が狭く明かりが通らないので、隣のエリアを覗き見ることはできないようだ。通路も時々曲がっており迷路のような構造をしている。
「地下都市、だった、とかか……?」
とはいえ、何をしたらいいのか、指針がないからいまいちわからない。
どうせならモンスターか何かと遭遇でもして、それを華麗に倒すとか、あとは美少女が絡まれているシーンに出くわすとか、そういうイベントでもあればいいのに。
そう思って歩いていたとき、ようやく目の前の視界に変化が現れた。
「お?」
延々と続くかと思われた通路の先、少し開けた場所があることに気が付いた。遺跡のダンジョンで言うなら、「次の部屋」というところだろうか。
祐一がそれに気づいたのは、そこに今までと違う明るさの違う人工的な明かりが灯っていたからだ。遺跡は全体的に青白い光に包まれているが、そこにはもっと黄色い、たいまつのようなものが灯っているのがわかる。
さらにはその奥から、何か、人の影のようなものが浮かび、声のようなものも聞こえる気がした。
「第一村人ならぬ、第一ダンジョン人か?!」
誰かいるのだろうかと、祐一は少し足を速める。いくらなんでもさすがに誰かに出会いたいと思っていたところだったので、そのままその明かりのついている部屋へと向かう。
聞こえてくる音の雰囲気に恐ろしさは感じなかった。そこで祐一はその部屋へと足を踏み入れる。そしてその先にいる人物を確認した。
「こんにちは~」
はたして、そこにいたのは。
「………あ?」
祐一の口から出たのはそんな一言、そして、そこにいたのは、たいそう体格のいい男だった。
祐一は178という平均的な身長であるが、それより一回り大きい、外国のアクション俳優のような、スキンヘッドの出で立ちの男。
冒険者、なのだろうか、筋肉質な腕には生傷のようなものがある。どちらかというとごろつきとかそういう名称のほうが似合っていそうなそんな風貌。
だが、問題はそこではなかった。
そんな、いかにも屈強そうな男が、血を吐きながら立っている。
その瞳は、どこか遠くを見ていて焦点が合っていない。
カラン、と、なった音は、その男が持っていた剣が真ん中から折れて、床に落ちる音。
「えっ……あ」
男の瞳は虚空を映していた。だが、顔の向きは祐一を向いている。
口からこぼれる血は尋常な量ではない。さらによく見れば、胸当てのように見えていた茶色いそれは、白いシャツを染め上げている血によるもので。
「ひっ」
祐一は言葉を失う。一歩下がって、何かに躓いてその場に尻もちをついた。
どうみたって、男は、死んでいる。
死んだ状態で、祐一を見て、それで、一歩、こちらに歩いてきた。ばたり、ばたりと。男が歩くたびに血が地面を叩く。
ぞろりと、内臓が零れ落ちる。
「あ、あぁあああああ」
その声が、誰から出たものかはわからない。自分だったのか、目の前のその男からなのか。
それは、祐一の知識で言えば「ゾンビ」とかそういう類のもので。
恐怖のあまり祐一は身体が上手く動かなかった。
理解と反応が遅れたことで逆に体が竦んでしまった。じりじりと、後ずさるような動きで祐一は体を必死に動かす。
かさりと、手が、先ほど躓いた何かに触れる。
そこには、別の人間の、首が、転がっていた。
「あああああああああああ!!!!!」
そこまで認識した瞬間、祐一は金縛りが解けたかのように走り出した。よろけながらも立ち上がり、来た道を駆け抜ける。だが、その先は行き止まりだ。祐一が目覚めた部屋は一本道の突き当りにあったのだから。
祐一は最初の部屋に戻って壁に手をついて振り返る。どういうわけか、男は正確に祐一を追いかけてきていた。走ってはこないが、一歩一歩確実に歩いてくる。どうする、どうしたらいい。
「や、やる……?」
やるのか。やらないといけないのか。
祐一は部屋を見渡す。当然ながら何もない。あれを倒すのか、それとも逃げるのか。
自分が今どの程度の戦闘力があるのかはわからない。逃げたほうがいいのでは。部屋は広いから、うまく、うまく逃げられれば。でも、あれだけなのか?ほかにゾンビはいないのか?
逃げた先でまた出会って、戦えるとは、思えなかった。
本で見る異世界転移とは感覚が違うのだと、今更ながら思った。
あれは目の前にその脅威が無いから簡単に読んでいた。実際、このゾンビを前にして、リアルに立ち向かえるかと言ったら話が違う。
ただの人間と思えばいいのかもしれない。だが、その時点でもう無理だった。体格が違う。そもそも暴漢に立ち向かったことだって、祐一にはなかったのだから。
しかも、ゾンビは死なない。対策を間違えたら自分も同じことになる。
異世界転移だと張り切っていた少し前の自分を鑑みる余裕さえ、祐一にはなかった。
ゾンビが部屋に入ってくる。もうダメだ、やるしか、やるしか。
そう思った時だった。
「待ちなさぁい!!」
はっきりとした高い声と共に、ガン、と何かが強く地面をたたく音。そして、そのゾンビの後ろから、何かが飛び出してきた。
それは、くるくると回転をしながらゾンビを飛び越えて祐一とゾンビの前に着地する。
「ひ、ひと…?!」
ひらりと祐一の前に降り立ったのは、明るい黄色い髪を上に一つに束ね、身軽そうな服を着た少女だった。ポニーテールがきれいに揺れる。足や胸には甲冑のような素材をまとっているが、へそが見えているその服装は、動きやすさが重視されているように見える。手には長い棒のようなものを持っていて、その先端は刃物が付いていた。槍だ、そう気づくのにワンテンポ時間がかかった。
少女は一瞬だけ祐一を見ると、すぐにくるりと振り返り、手にした長い得物、槍を構える。
先ほどはこれを地面にたたきつけ、棒高跳びの要領でゾンビを飛び越えてきたのだ。
「あんたの相手はこのソフィア様がしてあげるわよ」
ソフィアと名乗った少女は祐一を背にかばうようにゾンビに相対する。そして相手の様子を見て、不愉快そうに眉をしかめた。
「うわ、何よアンデッドじゃないの」
ソフィアは、そこで初めてその男が死んでいることを確認したようだった。しかし特別動揺をみせることはなくそのまま武器の構えを変える。
その態度からは祐一が抱いた動揺のようなものはかけらも見えない。彼女にとってゾンビ――少女はアンデッドと呼んでいた――は脅威ではないのかもしれない。ただ、少し構えを変えたように見える。祐一にわかったのはそれだけだった。
ソフィアは踏み込む。
「ふんっ」
そして一切のためらいもなく、その男の心臓を槍で一突きにした。祐一は、たまらず目を背ける。相手は人間の形をしているのに。それを、そんな。
祐一は口を押えて思わずしゃがみ込む。だめだ、こんな。こんな。
だが、祐一と違い、ソフィアは平然としていた。彼女の動きの意図が祐一にはわからなかったが、何かしらの確信を持っているようにも見える。一方でその攻撃は、アンデッドに大した意味がないようにも見える。明らかに心臓を突かれたその魔物は、なおも動いている。
だが、そのアンデッドが、己を貫いた槍をつかんでも、ソフィアは動じなかった。
「お、りゃぁああ!」
彼女はそこで足に力を籠めると、あろうことか槍を振り上げて、貫いたゾンビを空中に放り投げた。さすがにそれには祐一も目を見張る。あの少女の細腕のどこにそれだけの力が、ただ茫然とそれを眺めていたら、少女が叫んだ。
「クレイル!これアンデッド!!」
「そういうこと…?!」
そしてその声に呼応するように、入り口にもう一人、少年が立っていることに気が付く。
こちらは少女のものよりは少しくすんだ金髪で、青い目をした、ちょうど青年になりかけくらいの少年だった。ケープマントのようなものを肩にかけた、クレイルと呼ばれた少年。
彼は、その言葉に素早く腰から剣を抜くと、少女が放り投げたそのアンデッドにまっすぐに刃の先を向ける。そして息を大きく吸った。
「其れは激しく揺らめき不浄を燃やす。しかして人には優しく、灯れ、ライトフレイム!」
呪文だ。
祐一はすぐに理解をした。少年の叫びと共に、その手に握られた刃が赤く燃え、その炎がアンデッドを包み込む。
その炎は、この遺跡の中で、とてもまぶしく見えた。
祐一は呆然とそれを見送る。形容しがたい甲高い音を立てながら、その炎は空中でアンデッドを包み、そして、そのままそれらは空中で光の粒となって文字通り消えていった。
そこには、灰ひとつ残らない。祐一は、ただ茫然とそれを見送る。
そして少年はそれを確認して、それからすぐに祐一に駆け寄ってきた。
「ええと、大丈夫ですか?」
自分にかけられた言葉だというのに、少し理解が遅れて、祐一は呆然と少年を見送る。何と答えるべきなのか迷ってしまった。
大丈夫、なのだろうか。けがはない。ならば、助けてくれて、ありがとう、でいいのだろうか。この状況をどう説明したら。
すると、祐一をじっと見つめていた少年から、意外な言葉が放たれた。
「僕はクレイル。僕たちはあなたを保護しにきました」
「……保護?」
その言葉に、祐一が言葉をこぼす。どういうことだ。その言葉は、まるで、クレイルたちが、祐一がここにいるということを知っているかのような口ぶりだった。しかも、保護だという。
クレイルは大きく頷いて、ふわりと笑顔を向けた。人を安心させようという、そういう笑顔だった。
「はい、異世界転移されてきた方ですよね。僕たちはギルドから派遣されてきました、もう大丈夫ですよ」
その言葉を聞いた瞬間、祐一は理解した。
この世界では、自分のような、異世界から迷い込んでくる人間というやつは、前例のある存在なのだということを。
差し出された手を呆然と握り返す。
そして、目の前にいる少年、クレイルの動き、ソフィアのなんてことは無い表情を見て、自分がこの世界の、この物語の中心にいるわけではないのかもしれない、と、ふと思った。
もしかして、この世界において、自分は、特別な存在などでは、なかったのではないか。
「俺は、ここに迷い込んだだけ……?」
「あ、急に言われても困りますよね、順を追って説明します」
「あ、うん」
ぼんやりつぶやいた言葉は、クレイルに拾われた。
特別ではないからこそ、自分に説明をしてくれるのは神様とかじゃなくて、この世界で最初に会った人間なのだ。そう、残念に思う一方で、その思いに妙な安堵もあった。
先ほどの命のやり取りは、とてもではないが、自分ではできないと思ったから。
異世界転生をした人間が、無双もスローライフも送れない物語です。以降、本当の主人公は「クレイル」として展開します。




