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『俺がいいというまで、安静にしてろ。守れねえってなら、ベッドに縛り付けるぞ』
そうギーニアスさんこと、先生に凄まれた。蚤の心臓を持つ俺は、逆らうことなく素直にうなずき返す。
逆らえるわけがないだろう。ものすごく怖いんだから。
そんなわけで俺は、いまシーディスさんのところでお世話になっている。とてつもなく申し訳ないと思っているし、安静にするのなら自宅でもいいじゃないかとも思う。
だが先生の、『ここから動けば、分かっているよな?』という無言の圧力が怖くて、『家に帰ってもいいですか? 家で安静にしてますから』なんて怖すぎて言い出せない。
衣食住、すべて世話になってしまっている。着替えに用意される服は、やたらと質が良くて高そうだ。用意される食事も、なんだか高級レストランに出てきそうでもある。高そうだ、出てきそうだとあいまいなのは、俺が高級なものと無縁の生活を送っているからである。この世界で高級品に、関わることなんてなかったからすべてが想像の産物だ。
これは一泊幾らくらい、支払えばいいのだろうか。そう真面目に考えて、恐ろしくなった。だがそれよりもっと、恐ろしいことがあること気づく。
治療費だ。先生は光の適性を持つ。断言されたわけじゃないが、確定と考えていいだろう。
闇と同様に、光の術師についても資料は少ない。それでも分かっていることはある。というか風のうわさで聞いた。
光の術師は、めったなことでは他者に力をかさない。そして治療は小国なら、支払えば国が傾くレベルで高額だということだ。
噂、あくまで噂である。だがもしそれが本当ならば、俺が支払えるような額じゃない。下手すれば一生かかっても支払いきれないだろう。
―― この世界って、腎臓って売れるんだったか
思考が危ない方向に、向かったとき扉が開いた。
入ってきたのは、シーディスさんだ。自分も怪我を負ったのに、仕事をもう再開しているらしい。多忙を極めるだろうに、よく俺の様子を見に来てくれる。再開しているらしいというのは、先生が忌々しそうにつぶやいていたからで実際に見たわけではない。
「体調はどうだ? なにか不自由があれば、遠慮なくいうんだぞ」
「ありがとうございます」
今聞いてしまおうか。治療費は一体いくら掛かりますかと。
だがそれを聞く前に、解決しないといけない問題があった。問題はシーディスさんが、俺と視線を合わせないことだ。
意識が戻り、視線があったのは起きたシーディスさんと目が合った一度きりだ。それ以降は、なんか微妙に視線が合わない。
最初は、なに真に受けて図々しく居座っているんだ。そう思われているのかとも、考えた。だがどうも違う。シーディスさんからは、純粋な気遣いを感じる。心配してくれているのも、伝わってきた。
だからあまりよくない頭を捻りまくって、視線を微妙に逸らされる理由を考えた。そしてそうだろうなと、見当をつけたのが俺に奴隷だったと打ち明けたことだ。
それくらいしか思いつかない。
今もいつもはまっすぐに見てきた目が、逸らされていた。どこか気まずげなにして、声をかけずらそうにしている。後ろめたいそんなことを、思っているようにも見えた。
奴隷だった―― その過去を、俺は知っていた。だからそれでシーディスさんへの感情が、変化することはない。けれど当人からしたら、知られたくなかった過去だろう。それでも俺を行かせるために、打ち明けた。
覚悟がいったはずだ。隠したい過去を、口にするのは――だから俺も。きちんと伝えないといけない。
「今から生意気で、失礼なことを言うので先に謝っておきます。申し訳ありません」
「なんだ、どうした?」
深く腰を折って、頭を下げる。そしてゆっくりと上げてから、目を見据えた。
「俺はあなたが、奴隷だったことなんてどうでもいい。俺にとってあなたは、すごい人だ。ギルドの長もやっていて、自分で商売もしてる。俺みたいなやつのことも気にかけてくれる優しい人です。だからそんな自分を卑下するような顔をする必要なんかない。どうか胸を張ってください」
ひどいことを、言っている自覚はある。
奴隷だった。その過去を、シーディスさんは確実に気にしているはずだ。他人である俺に、どうでもいいと言い切られるほどシーディスさんの過去は軽いものじゃない。
どれだけ大変だったことだろう。俺が想像できないくらいに、つらい思いをしてきたはずだ。
でもだからこそ、あんな言葉はもう言ってほしくない。奴隷だったのだからと、だからいいのだと自分の命をどうでもいいもののように言ってほしくなかった。
過去を後ろめたく思う必要なんかない。努力して頑張って、いまのシーディスさんがいるのだから。どうか胸を張ってほしかった。
俺にとっては、面倒見のよい凄い人なのだから。……顔は少し怖いけれど。
「……ありがとうな」
怒られるのを、覚悟していた。嫌われても、仕方がないと思っていた。けれど返されたものは、穏やかな言葉だ。
泣きそうな、でも優しい目をして微笑みを向けてくれる。久しぶりに視線が、合った気がする。
「怒ってらっしゃらないのですか?」
「何で怒るんだよ。こんなに、嬉しいってのに……ありがとうな。お前には、救われてばかりだ」
「え?」
怒っていないのかと、問う俺に微笑んで笑みを濃くする。そして俺の肩に、額を当ててつぶやくように言葉を発した。だがその意味が、俺には理解できない。
『お前には、救われてばかりだ』
つぶやくような小さい声、だけれど確かに聞こえた。以前に俺が、シーディスさんを救ったことがあるような言い方だ。けれど彼とは数えるくらいしか、話したことはない。
「あのギルド長、違っていたら申し訳ありません。今おっしゃった意味は、どういう……」
「あー、いやいいか。もう奴隷だったって、知られちまったからな」
虚を突かれたような表情のあと、露骨にしまったというような顔をされる。自分の頭を、乱暴にかいたあとシーディスさんは苦笑いを浮かべた。
「お前は、覚えていないかもしれないが……昔助けられてるんだよ。路地裏で、倒れているときに、お前が声をかけてくれてな。土砂降りの日だ。あのときは薄汚れてて、やせ細ってた」
何時だった。そう言いはしなかったが、シーディスさんの言葉に俺の記憶がよみがえる。
―― 良かった
無事だったのか。
あの子供が、シーディスさんであったことの驚きより先に安堵を覚えた。
忘れようにも忘れない。ライトなBLファンタジーな世界―― そのはずの世界で、まったくライトじゃない体験をしたことがある。
骨と皮、そう表現しても間違っていない。それくらいやせ細った子供が、倒れていた。泥まみれで、本当にやせていて死体を発見したのかと焦った記憶がある。
ここはライトなBLファンタジーだと、自分に言い聞かせて鼓動の早くなる心臓を叱咤して声をかけた。
医者を呼ぶとしても、ここに放置するわけにもいかない。家に連れて行って、びしょびしょの体を拭いてベッドに寝かせよう。それから医者だ。
そう思って手を貸そうとしたが、その子は手を取らず自力でフラフラした状態で立ち上がった。何を言っても、手を借りようとしない。だからしょうがなく家まで、誘導した。そして家に入れようとしたのだが、玄関から入ってこない。
押し問答をしていても、しょうがない。とりあえず体温を奪うから、タオルをもってきて体を拭こう。
そう思ってすぐ戻ってくるから、そういってタオルを取りに行き戻ってきたときにはその子は――シーディスさんは、そこからいなくなっていた。
痕跡は、玄関に残っていた泥だけだ。今にも死んでしまいそうな、そんな子供を放っておけるはずもない。もしここから出て行っても、倒れているはずだ。そう思って辺りを、探し回ったのだが結局見つけることができなかった。その日以降も、しばらく探したけれど結局は行方知れずのまま時が経過した。
この世界が、ライトな世界だからきっと無事だろう。そんな何の根拠もない、希望にすがりその子の無事を願っていた。
―― 全く気付かなかった
あの時の子供と、シーディスさんがまったく重ならない。きっとあのときは、とてもやせていたからだろう。それに背も、だいぶ低かった。
「拭くものを取りに行っている間に、いなくなったちゃったから心配してたんですよ」
「悪い。服についた血でお前と家を、汚しちまうと思ってな。結構ひどい怪我だったろう? 上がれば、服についた血で確実に汚してた。……どうした?」
少し責めるような口調になってしまった。そんなつもりはないと、訂正しよう。そう思って口にする前に、シーディスさんの発した言葉に開けかけた口を閉じる羽目になった。
「あっいえ、なんでも、ありません」
―― おかしい
俺の記憶では、あの時見た子供は怪我などしていなかった。確かに汚れていたし、すごく痩せていて今にも倒れそうではあった。けれど血を流す怪我なんて、記憶にない。
でもそんなすぐにばれることを、シーディスさんが誇張して話すわけがない。
「……そのレイザード、安心してくれ。あのことは、誰にも口外していない。これからもする気はないから」
「ありがとうございます」
思わず礼を、返したが何のことを言われているのかが分からない。
あのことってなんだ。なんでシーディスさんは、声を落とて神妙な顔をしている。
―― やっぱり変だ
変なのはシーディスさんじゃない。きっと俺の記憶のほうだ。
血を流すほどの怪我を、負っていた。ならなんでそのことだけが、すっぽりと記憶から抜けているのか。
彼と出会ったことは、覚えている。ひどい雨の日だった。倒れている彼を、見つけて慌てて駆け寄ったことだってきちんと記憶にある。ずぶぬれだったシーディスさんを、家に招き入れようとした記憶も残っている。なのになんで、血を流すほどの怪我をしたことだけを覚えていないのか。
「顔色が、悪い。すまないな。まだ本調子じゃないってのに、長話につきあわちまった」
「あっ……いえ、ギルド長は何も悪くないです」
悪いのは俺の、機能していないらしい海馬だろう、なんで器用に、一部だけすっぽ抜けているのか。
「あー、そのなんだ。嫌じゃなかったら、名前で呼んでくれないか? 無理にとは言わない。ほかに、誰もいないときだけもいい。その無理にとは、言わない」
いつもは、自信に満ち溢れている。そんな姿ばかり見てきたから、気まずげに遠慮がちに言ってくる姿がなんだかほほえましく見える。
成人した大人に言うのもなんだが、なんというか子供のようでかわいらしく思えた。かなり失礼な感想だから、口が裂けても言えないけれど。
「失礼じゃなければ、名前で呼ばせていただきますね。立場上、ほかの人の目がないときだけになりますが」
「いいのか?」
「はい」
意外そうに、目を見開かれる。もしかして断られるとでも、思われていたのだろうか。
とてもお世話になっている人だ。今回なんてシーディスさんがいなければ、俺はあの世行きだったろう。お世話になるどころか、命の恩人である。
その恩人に、名前で呼んでくれと言われたら呼ぶだろう。まあ一介の屋台主が、ギルド長の名前を気安く呼ぶわけにもいかないから人目のない時の限定になるけれど。
「そうか」
なぜかものすごく嬉しそうな顔をされた。もしかして名前で呼ばれることに、飢えているのだろうか。立場上、名前で呼ばれることが少ないのだろう。俺もずっとギルド長と、呼んでいたしな。
たまには名前で、呼ばれたいのかもしれない。
もう一度、嬉しそうに微笑んでシーディスさんが、部屋から出ていく。ゆっくり休んでくれと言っていたが、そのまま返しそうになった。彼こそ仕事を、セーブしてゆっくり休むべきである。
俺は先生が怖くて、休みまくっているから問題はない。
―― 問題は、俺の頭のほうか……
前に頭の中で、変な声がした問題はあった。けれどどうやら記憶にも、欠陥があったらしい。
やっぱりモブだから、異常も放置されているのだろうか。
いくら考えても、シーディスさんが血まみれだった記憶がない。
モブゆえに、異常が放っておかれているのなら俺がどうこう考えても意味がない。
正直に、『怪我してましたっけ?』なんて聞くこともできない。なんでそこだけ覚えていないのか、訝しがらえてしまうだろう。
まあしょうがない。攻略キャラでも、ましてやサブキャラでもない。そんな俺の異常など、構わずに放っておかれるだけなのだろう。
前はいい加減にしてもらいたいと、怒りも沸いたが今回は盛大に怪我をしていろいろと消耗したせいか諦めが先に来る。
―― きっとそのうち、直るだろう
モブのバグだから、それがいつ直るかなんて期待できないけれど。
バグだ。それしかないはずなのに、なぜか引っかかりお覚えたままその違和感に蓋をしたところで――肝心の治療費について、聞き忘れたことを思い出す。
―― 分割支払いとか、できるのかな
先生の姿が脳裏に、浮かぶ。どう考えても、一括支払いしか受け付けてくれないような気がしてきた。
―― しょうがない
覚悟を決めた。今度、直接尋ねることにしよう。そう決意して、どうやったら早期に返せるか冷や汗を流しながら考え始めた。




