39<シーディス視点>
「…………」
やたらと重い瞼を、開けると雲一つない青空が広がっているのが見えた。
重だるく感じるのは、瞼だけじゃない。指一つ動かすのに、やたらと時間がかかった。
霞がかかったような意識が、清明になったとき痛みを無視して起き上がる。
「レイザード!」
意識せずに、声が出た。
全身が悲鳴を上げている。だが今そんなことに、かまっちゃいられなかった。
「レイザード……」
すぐ横で仰向けに倒れているレイザードの、状態を確認する。
――生きている
浅い呼吸が確認できた。
全身から力が抜けそうになるのを、足に力を入れて堪える。横抱きにして、抱きかかえる。予想していたよりは、状態は酷くない。だが治療が必要な状況だ。
抱きかかえると熱傷により傷が、強い痛みを発する。
―― こんなもの、どうってことないだろう
痛みを感じているということは、生きている証拠だ。過去に何度も、自分に言い聞かせた言葉を心中で繰り返す。死ねば痛みさえ感じることが出来なくなる。ならばまだ最悪ではない。
生きている。彼も俺も生きているのだから、ならば死なぬようにもがくだけだ。
普段から軽くはない足取りが、足枷をつけられたかのように重い。だがあの頃よりマシだ。あの頃は俺に、希望など欠片もなかったのだから。
利によって動く。そんな俺が、一つの光を心の拠り所にして生きてきたと知られたのなら周りはどんな反応をするのだろうか。
そんなどうでもいいことを、考えて痛みを誤魔化し重い体を引きずるように街を目指した。
「ギルド長!? どうされたのですか!」
「今日会う予定の、客はまだいるか?」
騒ぎになるのは、レイザードにとっても良くない。裏口から入ると、ギルドの職員が目を見開き駆け寄ってくる。
答えている時間すら惜しい。聞きたいことを伝えると、うなずき返してくる。
「はい時間通りにいらっしゃって、まだお待ち頂いていますが」
「そうか……今見たことは、内密にしろ。上にも来るなよ。命令だ」
「わかりました」
そこそこ務めて長い職員だ。命令と口にすると、表情を引き締めて了承の意を示してくる。
―― 帰ってなくてよかった
約束の時間を、とうに過ぎている。機嫌を損ねて、帰っていてもおかしくない。
あいつが止まっている宿と、ギルドどちらにいるかは賭けのようなものだった。だがどうやら俺は、賭けに勝てたらしい。
「ギーニアス!」
両の腕は彼を、支えているためドアノブを開けることが出来ない。かといって彼を、床に下ろす選択肢はなかった。
蹴破る勢いで、扉を開ける。露骨な嫌悪をといぶかし気な表情が、珍しく驚愕に染まったのが見えた。
短い押し問答を繰り返した後に、ギーニアスは部屋を出ていく。ここで横になることができるのは、来客用のソファしかない。
だから治療のために、ベッドの置いてある部屋に行かせた。
あいつの腕は、確かだ。任せておけば、彼は大丈夫だろう。
皮のソファに倒れこむように、体を預ける。
―― もう少しで、失うところだった
浅い息を繰り返し、抱き上げながら名を呼び続けても目が開くことはなかった。
震える手を、きつく握りしめる。
恐怖を感じたのは、何年ぶりだろうか。
―― 恐ろしかった
彼を、失うかと考えたら恐ろしくてたまらなかった。
―― 体が重いな
そういや俺も怪我を、負っていたんだったか。
死なない程度に、回復させて先に彼の怪我の治癒を優先させた。だからまだ痛みはある。
「どうして生きてる?」
ふと湧いた疑問が、口から出る。
ドラゴンの攻撃を受けて、行使した術も破られた。それでもなんとかあの子だけはと、覆いかぶさって―― なんでこの程度で、済んでいる。
熱による火傷だろう。皮膚がただれていた。そして堪えがたい痛みが、存在していた。ブレスで焼かれた痛みは、確かに存在している。
だが普通ならドラゴンのブレスを浴びて、痛みのある程度の火傷で済むわけがない。だというのに俺の痛覚は、しっかりと機能していた。いくら術で防御したからと言って、あまりにも程度が軽すぎる。
事態が飲み込めない。助かる筈のない攻撃だった。なのになぜ俺は、軽傷で済んでいる。
―― まさかあの状況で……
きっとそうなのだろう。またあの子に助けられた。でなければ生きていられるはずがない。
―― 知らない振りを、するべきなんだろうな
あの子が、他者に知られたがっているようには思えない。きっと俺を助けるために、してくれたのだろう。ならば問うべきじゃない。
あの子が望まぬことを、するつもりなどない。何を敵に回すことになろうが、誰と敵対することになろうがだ。
大して強くない俺は、力をもってあの子を守ることはできないだろう。だが金とそこそこの権力は有している。その力をもって、あの子の為になろう。
あの子があの子の望む、幸せを手に入れられるように
―― それを彼が、望むとは限らないけれどな
重くなった気分と共に、息を吐く。綺麗ごとだけでは、通用しない世界で生きてきた。そんな世界でのし上がってきた俺の、力に頼るのを彼は望まないだろう。
体の重さと比例して、気分が下がっていく。
今の状態じゃしょうがねえのは、わかっちゃいるが体が重くてしょうがねえ。
ああだが――そんなことは、どうでもいい。あの子が無事なら、それで構わなかった。嫌われようが、必要とされなかろうがあの子が生きている。それだけで十分だ。
言い聞かせるようにして、横になったまま目を閉じる。
―― そういや痕が残るか?
ふと閉じきる前の視界に移った、皮膚に気がいってまた目を開ける。
熱傷による外傷だ。痕は残るだろうが、どうでもいい。傷なんぞ、数えきれないくらい刻まれている。ギーニアスの術を使えば、傷など何もなかったように消えるだろう。けれどわざわざ、そこまで力を使わせる必要もない。
傷が残らないようにするのは、商談の時に相手に悪印象を与えないように服で隠れないところだけでかまわないだろう。
ああでもレイザードが、気に病んだりしないように消したほうがいいだろうか。
そういえば、彼を怒らせてしまった。あとで謝って、おかないとな。
『なにふざけたことを、言っているんですか?』
奴隷だった。置いていけ。そう言った俺に、あの子は怒りをあらわにした。表情はわずかに、眉間にしわが寄った程度だ。けれど声には、怒気が含まれていた。
―― 優しい子だ
奴隷だと知っても、助けようとしてくれた。ふざけるなと怒ってくれた。
ずっと奴隷であったことを、知られることを恐れていた。なのにあの子は、何でもないようにそんな事をと言いきった。
―― なんといって、謝るべきか……
商談の時なら、考えなくとも出てくる最適な言葉が思い浮かばない。熱で脳みそまで、ゆだって役に立たないらしい。
だが役立たずの頭を使って、彼への謝罪を考えないと不味い。
―― なさけねえな
嫌われようが、構わない。そんな強がりを吐いたところで、結局はそうなるのが怖いらしい。臆病で滑稽だ。
「おい考え込むのは、あとにしろ。お前の治療は、まだ完璧じゃないだよ。治療を、再開するぞ」
無遠慮にノックもなしに、扉が開く。この場所で、そんなことをするやつはこいつくらいだ。
傷む体を動かして、声の下方向に顔を向けるとまるで心の中を読んだような呆れを滲ませた顔をさせたギーニアスが溜息をついた。




