エピローグ
あれから数週間後――
「はいっ! 生姜焼き定食と野菜炒め定食です!」
私とおばあちゃんは無事にお店の営業を再開し、客足も少しずつ戻っていった。
久和蛇との問題は解決出来たと、おばあちゃんに説明したら「二度と無茶だけはしないで」とこっぴどく叱られちゃった。
それに銀行にも事情を説明し、残りの返済については計画を見直してもらった。
「待ってましたよ!」
「やっぱこの街じゃ、ここの料理が一番だ! いただきまーす!!」
常連さんの笑顔を見ながら、厨房へ戻る。
「おばあちゃん、洗い物はやっとくね」
「はいよぉ。じゃあお料理どんどん作るからねぇ」
「うんっ……! お願いねっ!」
またおばあちゃんと一緒に働ける。それだけで充分幸せだった。
その時、店内のテレビから聞き覚えのあるニュースが流れた。
『違法な高金利で融資を行い、債務者から土地を不正に取得したとして――』
「……もしかして」
テレビの前へ向かうと、顔を酷く腫らした久和蛇と部下達が連行される姿が映っていた。
「っ……」
私はとっさに右手をさすった。
あの日、彼を殴ったのは私だ。今でも鮮明に覚えている。
「結局……謝ってくれませんでしたね」
心の奥底で、なにかが蠢いていた。
「アザミちゃーん! 次のお料理出来たわよぉー!」
「あっ、はーい! 今行くー!!」
おばあちゃんに声をかけられ、駆け足で戻る。
……そういえば。
「黒澤さん、どうしたのかな……」
あの日から音信不通になっている。借金をどう返すのかさえ、まだ話せていなかったのだ。
そうして夜も更け、最後のお客さんを見送った頃――
「アザミちゃん、のれんをしまってちょうだいー」
「はーい!」
もう今日は店じまいだ。店先に掛けてあるのれんを片付けて、明日の準備をしないと……。
「みぃ〜つけたぁ♡」
がばっ!
「きゃぁ!! なに、なに!?」
急に後ろから抱きつかれた!? 待って怖い! 警察を……!
「……あれ、この香水……まさか!?」
心当たりのある匂いに、ゆっくり振り向くと――
「会いたかったよぉ、白流ちゃぁん♡ ひっく」
そこにいたのは、顔を真っ赤にした黒澤さんその人だった。
◇
「ん〜うまいっ♪ そしてお酒もすすむぅ〜♡ んぐんぐっ♡」
おばあちゃんが持ってきてくれた今日の残り物を肴に、黒澤さんはさっそく晩酌を始めていた。
言いたいことや聞きたいことはたくさんあるけど、これは言っておかないと。
「……久和蛇の件、本当にありがとうございました。おかげでなんとかお店は続けられそうです」
「とぉんでもない! おかげで美味しいお料理とお酒にまたありつけて、最高なのれす♡」
「……黒澤さんに、そう言っていただけてよかった」
「んぇー?」
「最初は二度と顔も見たくないと思ってました。でも最後には、私の気持ちを分かってくれたんだって……本当に嬉しかったんです」
「……あー」
「だから、本当にありがとうございます!! 今後の返済についても、きちんとご相談を――」
「別に、お店とかおばあさまの事は関係ないよっ♪」
……ん? 今、なんて。
「そぉだ、忘れるところだったぁ。おばあさま! お勘定!! お釣りはいらないからねぇ〜♪」
黒澤さんは、財布から取り出したお札を机に置く。
「おばあさま〜、白流ちゃんと大事なお話があるのでお持ち帰りしまぁ〜す♡」
「ちょっ、何言って……うわぁ!!」
すると黒澤さんにお姫様抱っこで抱え上げられ、身動きが取れなくなってしまった。
「はぁいよ。夜中だからご近所さんの迷惑にならないようにねぇ」
「はぁ〜い♡」
はぁ〜い♡ じゃない!! おばあちゃん、私達が遊びに行くと思ってない!?
「ちょっ、黒澤さん! 離し……」
すると、黒澤さんは私の耳元へ顔を寄せて――
「もう逃がさないからねっ、白流ちゃん♡」
恍惚とした笑みを浮かべていた。
「ひぅ……!!」
だっ、誰か! 私の貞操が!!
うわーーーーん!!!
◇
「……あれっ、ここ……って」
「そーだよぉ! 見て見てぇ、お掃除頑張ったんだからぁ♪」
連れてこられたのは黒澤さんの事務所だった。
辺りを見回すと――
「綺麗になってる……?」
前に来た時は、足元にお酒の缶とか瓶が転がっていて、足の踏み場も無かったはずだけど。
「でしょでしょ〜!! あとねぇ、じゃーん!♡ 臨時収入がたぁくさんあったから、良いの買っちゃった♡」
そして黒澤さんの机の横には、かなりお高そうな真新しい机が置いてあった。
「ずいぶん綺麗ですね。どなたかを雇ったんですか?」
「ううーんっ、まだぁ」
「まだ……? なら募集でも始めるんですか?」
「……そうですね」
黒澤さんはゆっくり瞬きをした。
次の瞬間、先ほどまでのだらしない表情が消え、鋭い赤眼が私を見据えた。
「さて、本題に入りましょう」
彼女は自身の椅子に座り、足を組んだ。
「私が買い取った貴女の一千万円の借金。返済については、どうお考えでしょうか?」
「……大変申し訳ないのですが、今すぐの返済は……できません」
「そうですか」
その一言は、酷く冷たく吐き捨てられたように聞こえた。
「なら当然利息はいただきます。今の貴女では、元本までたどり着けるかも怪しいですがねぇ?」
「……っ!」
「……そこで、提案があります」
「提……案?」
すると黒澤さんは、引き出しから一枚の紙を取り出し、机の上に置いた。
「白流アザミさん。ここで働きませんか?」
「……へっ?」
その紙には、「雇用契約書」と書かれていた。
借金の話をしていたはずだった……よね?
「そしたら、利息は免除。お渡しする給与の一部を、元本の返済に充てていただいて構いません。それに、今のお店もそのまま続けてもらって――」
「まっ……待ってください! 私は一般人ですよ!? 闇金なんて向いてないですし、利息を免除してもらうなんて都合が良すぎます!」
「なら今すぐ、一千万円の返済を求めます」
「だっ……だから、今すぐには……」
「そうですよね? ではっ」
黒澤さんは立ち上がって私のそばまで来ると、頬に触れた。
「やはりお店の土地を返済に充てていただいて――」
その言葉を聞き終わる前に――
「……ほぉ?」
私はこの女の首に両手をかけ、その赤い目をまっすぐ見つめた。
「おばあちゃんとお店を使って、私を脅さないで」
まだ力は入れてない。変なことを言えば今すぐにでも。
「……ああぁ、その目です……!」
「っ!?」
一瞬にして私の両手は振りほどかれる。
逆に両手首を押さえつけられ、そのまま先ほどの新しい机へ押し倒されてしまった。
「……白流アザミさん。私はねぇ、貴女が欲しくてたまらないんです」
「……はっ……?」
「自分を傷付ける事しか出来なかった貴女が、大切なものを守る為なら他人に牙を剥く。簡単に線を越えてしまえる、その美しさに!! 私は惚れてしまいましたぁ……!」
「……あの、何を言って……」
「ええ、貴女は分からなくて良い……。ですがねぇ?」
私を食らいそうな勢いで顔を近づけ、その赤眼を見開いた。
「おばあさまでも、店でもない。貴女自身に一千万の価値があると思ったんですよ……!」
「……だからあの日、お店に……?」
「はい。貴女を確かめるために……ね」
「……そん、な……」
私を助けた事さえ、あの時からこの人の狙い通りだったなんて……。
黒澤さんは私の手首を離し、起き上がる。
私も、ゆっくりと体を起こす。
「さぁ、改めて答えを聞かせてください」
すると黒澤さんは右耳の耳飾りを外し、私に投げつけた。
「私の隣で働きながら借金を返済するか。お高い利息を払いながら死ぬまで返済し続けるか。さぁ、どうしますか?」
「……っ!」
私は投げつけられた深紅の宝石をあしらった耳飾り――イヤリングを見つめる。
こんなもの今すぐにでも握りつぶして捨ててしまいたかった。
「……わかりましたよ」
私は手にしたイヤリングを右耳に付け、髪をかき上げ黒澤さんに見せつける。
「貴女の隣で働いて、一千万円を返します。そして……絶対に貴女と縁を切ってやる!!」
「……そこまで言われてしまうとは。面白い」
黒澤さんは片手で口元を隠していたが、こぼれる笑みまでは隠しきれていなかった。
「……あれ。そしたら、黒澤社長と呼べばいいんですかね?」
「……貴女って人は、こんな時でも真面目なのですね。でしたら――」
黒澤さんは、少しだけ表情を緩めた。
「私のことは『ユリ』と呼んでください。黒澤ユリ、これが私の本名です」
「……どうして私に名前を? クライアントには名乗らないって……」
「貴女はもう、私のですから」
「……そう、ですか」
その赤い目には、もう私しか映ってないようだった。
「じゃあ……よろしくお願いします……ユリ」
「ええ、こちらこそよろしくお願いしますね。アザミさん」
――こうして借金一千万で買われた私は、このへべれけ闇金女社長の隣で働くことになった。
「……そういえばこの耳飾り、ずっとピアスかと思ってました」
「ああ、ピアスは嫌いです。穴を開けるなんて、痛そうじゃないですか。私には無理ですねっ」
「ええ……」
なんだか、少しだけ納得がいかなかった。
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