PM 5:45
肉付けにも種類がある。まさか、肉に骨がついてくるわけではないが、虚言と真実の場合はどちらもアリである。嘘を真実で固めるもよし。真実を嘘で固めるもよし。
一番手っ取り早いのは、真実を嘘で固めることだろう。自分にとって不都合な事実を良いように表面をペタペタと塗っていく。
だが、傷つければ、地肌が露呈する。厚く厚く虚言を重ね着しても深掘りすれば、やはり見つかってしまう。
何がいけないのだろうか?どうしてさらにさらに追求しようと他者を駆り立てるのか?
答えは簡単だ。
傷をつけた表面が、その内側にあるものと矛盾しているからだ。見つけた本人にとって、それは新大陸を発見したことと等しいくらいの喜びを得る。
・・・あー、嘘をついた。今のは訂正しよう。世界が滅びたかのような絶望を与えられることもあるからな。
どちらにせよ、探りをいれる者の心には何かしらの“揺らぎ”が生まれる。その“揺らぎ”こそ探求者を病みつきにさせるのだ。完璧なバランスをとっている存在を、表情・言動、それらがまるで砂の城のごとく崩していくのだ。
では、逆はどうなのか?つまり、嘘を真実で固めていく、という方法はどうなのか?
自分にとって都合のよい偽りの内容を核として周りを真実で覆い隠す。不思議なことに、いや何も可笑しなことなど無いのだが、これまた気づかれにくい。探りを入れたところで虚偽ではない。すなわち、“揺らぎ”を得ることがないのでそれ以上の探索をしなくなる。
だが、お気をつけ願いたい。『嘘から出た真』という諺があるように、あたかも真実だと思ってしまう。・・・あたかも、なのだ。真実ではないのだ。それでいて恐ろしいことは、自分自身もそうであるかのように錯覚をしてしまうことだ。そうではないにも関わらず・・・。