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9 将軍の願い


 しばらくの間沈黙が続いた。乃江流は答えに窮して黙りこくっていたが、将軍の強い視線に根負けし、やがて諦めたように息を吐いた。

「私が幸せを呼ぶ巫女かどうかは、人が判断することです。私自身は、自分が幸せを呼ぶ巫女だとは思っていませんし、そう名乗ったこともありません」

 将軍はふむ、と頷くと、ゆっくりと首を傾げた。

「お前は謙虚な女なのだな。これまでの四人は皆、自分は他とは違う、特別な能力のある巫女だと言っていたが」

 乃江流は四人の巫女達を脳裏に思い浮かべた。彼女たちならば言いそうだ。特に沙夜子が。

「……彼女たちは由緒ある神社の巫女ですから、自信があるのだと思います」

「お前は自信がないと言うのか?」

「私は巫女ですが、神と直接対話するわけではありません。ただ、祈りを捧げるだけです」

 心の底から祈っても、きっと神には届いていないのだろうと思っている。それなのに、なぜ人々に感謝されるのかわからなかった。もしかしたら祈りが神に届いているのかもしれないと思ったこともあるが、特別な力のある巫女は神や霊的なものと対話するのだと聞く。きっとあの四人はそうなのだろう。乃江流はそんな体験をしたことがないのだから、きっと特別な人間ではない。だから、彼女たちのような自信などない。

 ただ、一応有名な神社の巫女としてここにいる以上、全く自信がないとも言えず、乃江流は慎重に言葉を選んだ。

「私が祈りを捧げることで、救われる方がいますから……だから巫女をやっているだけです」

 人々が喜ぶ顔を見ることは喜びだった。自分が祈りを捧げることで、誰かの心を軽くしたり、活力を与えることができるのならそうすべきだと思っている。――たとえ何の力もなかったとしても。

「祈りを捧げる、か」

 将軍は長い息を吐いた。その瞳は祭壇を見つめている。

 将軍の表情は、何かを諦めたような、それでいてどこかに縋りたいと願っている、そんな顔だった。乃江流はこんな表情をした人間を何人も見てきた。

 これは――。

「将軍様は、何を願っておられるのですか」

 将軍は乃江流に視線を向けた。

「俺の願いは、愛せる女を見つけることだ」

 乃江流は目を瞬いて、将軍を見つめた。

「将軍様は、正妻様を愛していらっしゃるのですか?」

 乃江流が静かに聞くと、将軍は思いっきり顔を顰めた。

「お前はさっきの話を聞いていなかったのか?俺達は険悪なのだと言っている」

「それはお聞きしましたが、険悪な間柄でも愛があるなら、他の女性を見ようとはしないでしょう。お話を聞いている限り、将軍様はどんな美人でも手を付けようとなさらないのでしょう?正妻様との関係を改善したいという気持ちがあるからなのでは?」

 乃江流は、将軍が何か根本的な問題を抱えているように思えた。

 もし乃江流が男なら、正妻が嫌なら他に愛する女性を探すだろう。まだ若いのだし、それが許される立場にあるのに、誰にも手を付けずにいるのはどうかしている。

「もし私が男だったら絶対さゆりさんに惚れてます。あんな可愛い子は他にいません」

 ぽろりと本音を漏らすと、将軍は一瞬呆けた顔をした。

「さゆり?……ああ、あの恐山の巫女のことか?確かに滅多にないほど美しい女だったが、あれは既婚者だぞ」

 今度は乃江流が呆ける番だった。

「ええぇっ?うそ!」

「嘘なものか。わたくし結婚しているので貴方様の側室にはなれませんわ、と言い放ったからな」

 乃江流は大きな衝撃を受けた。さゆりが既に人妻だったとは。確かに清楚さと一緒に色気も持ち合わせていたが、それは人妻故だったのか。

「あの女、誰に聞いたのか知らんが何もかも知っていたからな。説明する手間が省けて俺としては楽だったが……」

 誰というか、例のごとく霊にでも聞いたのだろう。乃江流は細長い溜息を吐いた。

「それからはいかに旦那が良い男かについて延々と聞かせられた。一晩中惚気話を聞かせられそうだったから早々に自室に戻ったくらいだ。あれは大物だ。この俺に惚気話とはな。あんなのが妻だったら俺は嫌だ」

 一体何を聞かせられたのか、将軍は心底うんざりしたように言った。乃江流はそうですか、と気の抜けた声で答えた。

「心から言うが、俺は妻のことを愛してなどいないし、関係を改善したいとも思っていない。俺が女に手を付けようとしないのは、あえて言うなら、面倒だからだ。俺の父である先代将軍は、今はもう亡くなったが、かなりの好色でな。側室を何人も置いては子を儲けたんだが、女の争いやら世継ぎ争いやらで大奥はかなり荒れた。俺は側室の子で、元々は正妻の息子が将軍になるはずだったんだ。だが突然病で亡くなってな。それからは側室の息子のうち誰が将軍になるかで揉めに揉めた。俺が将軍になってからも、異母兄弟たちとの関係はあまり良くなくてな。とにかく大奥は権力争いの場になるし、面倒で御免だ」

「なるほど。側室を置くのがが御嫌なら、それならやはり正妻様との関係を改善するしかないのでは?歩み寄ることは出来ないのですか?」

「無理だな。正妻の頼子は現老中の娘なんだが、惚れた男がいるにも関わらず親に強制されて俺と結婚した。嫁いできたその日からそれはもう刺々しい態度でな、俺も頼子を好きにはなれなかったんだ。世継ぎを作れと言われるが、向こうは俺に逢う事すら拒否する。頼子の惚れた男というのがなかなか腕の立つ武士で、この城にも出入りしているんだが、奴等はよく逢っているらしいぞ」

 将軍は淡々と言った。本当に興味がなさそうな口ぶりだ。

「奥さんが浮気していてもいいんですか?子どもとかできたら……」

「世間体は悪いだろうが、愛してもいないし、あまり話したこともない女だからな、どうでもいい。もし子どもが出来てそれが男児だったとしても、優秀なら次の将軍にしてもいいと思っている。そもそも俺は血の繋がりをそこまで重視していない。将軍職を務めるのに重要なのは人格だろう」

 臣下の老人たちはそう思っていないがな、と苦笑する将軍を見て、乃江流は感嘆の溜息を吐いた。

 こうして話をしていると、若いのに冷静でしっかりとした、頭の良い人だと思う。多くの子の中から将軍に選ばれたのも納得できる。しかし、恋愛に関しては淡々とし過ぎているようにも思えた。

「それじゃあ、正妻様との関係はこれまでと変わりなくて構わないんですね?」

「ああ」

「……将軍様。つかぬことをお聞きしますが、女性はお好きなんですよね?」

 将軍は眉を上げて怪訝な顔をした。

「女は好きだぞ?さっきお前にも口づけをしただろう」

「っそのことは言わないでください!じゃあ、これまで特別気に入った女性とかいなかったんですか?」

「んん……美人だと思う女はいても、妻にしたいとか側に置きたいとは思わなかったな」

 乃江流は眉を顰める。

「……本当に男色家じゃないんですよね?」

「違うと言っているだろうが。そんな趣味はない。お前、無礼だな」

 将軍の気を悪くした顔を見て、乃江流は失礼しました、と投げやりに言った。

 正直、将軍の心が良くわからない。女は好きだというし、接吻には慣れているようなのに、それ以上のことをする気にはならないなんて、男として変だ。乃江流はこれまでの人生経験から、男は多かれ少なかれ、みんな美人に好意を持つと思ってきた。好意があるということは、機会さえあれば男女の関係になりたいとかずっと側に置いておきたいということに繋がるのではないのだろうか。

「将軍様、どんな女性なら側に置きたいと思うんですか?」

「どんな?」

 将軍は少し考え込んだ後、口を開いた。

「そうだな、俺を一人の人間として愛してくれる女かな」

 乃江流はその答えで理解した。どうやら将軍は、将軍という役職に惹かれて自分に近づいてくる女たちを信用することができないようだ。自分を一人の男として見てくれる女性と結婚したいのだろう。

「なるほど。将軍様は理想が高過ぎるんですね」

「なんだと?」

 将軍はぴくりと片眉を上げた。乃江流は肩を竦める。

「私、本当に好きな相手と結婚できる人は稀だと思ってます。多くの人が自分の意思で結婚相手を選べるわけじゃありませんし。私のところには、夫婦生活が上手くいかないって悩んでいる人が数え切れないほど来ました。結婚したけど相手のことがどうしても愛せないとか、ちょっとしたことで相手が嫌いになって離縁したいとか、他の人のことが好きになったとか」

 将軍は黙って乃江流に視線を向けた。

「好きあって結婚しても、離縁する人もいます。順調そうに見えても、皆いろいろ不満を抱えて、それでも我慢したり受け入れたりしてなんとか生活していってるんですよ」

 微かに眉を顰めた将軍を見て、乃江流は微笑んだ。

「恋愛とか結婚って、どうなるかわからない真っ暗な迷路みたいなものなんですよね。手を離したら、そのまま離れ離れの道に分かれてしまうこともある。けど、それでも皆前に進もうとがんばってるんです。理想ばかり追いかけていてもどうしようもありません。どこかで妥協しなければ。案外幸せになれるかもしれませんよ」

「……俺に妥協しろと言うのか?」

「そうです。貴方様が将軍であることは変えようがありませんし、その肩書きに惹かれる女性がいるのは仕方がないことです。その辺は諦めてください。側室を迎えるか、正妻様と関係を改善するか、そのどちらかしかありません。夢ばかり見ていないで妥協してください」

 乃江流がはっきり言い切ると、将軍は黙りこくった。

 不機嫌そうな表情で、しばらくの間考え込んでいた将軍は、やがてぽつりと言った。

「……考えてみよう」


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