8 全ての真実
乃江流は男女の事柄には疎い方だが、夜伽という言葉くらいは知っている。
男女が床を共にすること。
だが、なぜ巫女が将軍の夜伽をしなければならないのかさっぱりわからない。わかりたくない。
立ち尽くしたままの乃江流を面白そうに見遣って、将軍はその場に胡坐をかいて座った。
「お前、鈍いんだな。他の巫女達は気付いていたが」
「嘘!」
乃江流は将軍への敬意や畏怖など彼方に葬って叫んだ。
「嘘など吐いてどうする」
将軍は気を悪くした様子もなく、クッと笑った。
乃江流はふと、さゆりの言葉を思い出した。さゆりが言っていたのはこのことだったのだ。だから行くなと言ったのだ。
――さゆりさん、それならそうとはっきり言ってよ!
知っていたらこんなところには来なかったのに、と内心で恨み言を言ったが、果たして知っていても断れただろうかとも思う。将軍の命に従わなければ首が飛ぶのだから。乃江流は複雑な思いで唇を噛む。
「そ、れじゃあ……皆と……?」
「当然だ。そのために呼んだんだからな」
将軍の言葉に、ぞっとした。
嫌だ、と思った。なんで好きでもない、夫でもない男と一夜を共にしなければならないのか。冗談じゃない。いくら相手が将軍だろうと、断固拒否したい。
でも、ここで死ぬの?こんなところで?
両親はさぞかし悲しむだろう。無事に帰りたかった。もう一度故郷に。
一晩だけ将軍の相手をすれば帰れるはずだ。さゆりは帰ってきた。きっと皆こんな思いをして、それでも我慢したんだろう。一晩だけ我慢すればいい。どうせ結婚の予定もないのだから。
乃江流は涙目になりそうだったが、感情を見せまいと必死で唇を噛んだ。
将軍は乃江流の顔を見上げて、意地の悪い笑みを引っ込めた。そして苦笑する。
「いや、悪かった。今のは冗談だ。だから泣くな」
乃江流は顔を顰めた。
どこからが冗談なのか。最初からだったのなら、とんだ悪趣味だ。人として最悪だ。
「巫女達とは誰とも寝ていないし、お前にも手を出す気はないよ」
人の唇を奪っておいて、説得力の欠片もない。先ほどの事は手を出したということにならないのかと、乃江流は納得のいかない表情をした。
将軍は苦笑しながら、乃江流に座るように促した。乃江流は仕方なく将軍と少し距離を取って座った。
「悪かった。最初から話そう。お前には真実を知る権利がある」
将軍は先ほどより穏やかな表情で話し出した。
「そもそも今回の巫女日本一決定戦とやらは、臣下たちが勝手に始めたことだ」
「……ど、どうしてですか?」
「俺に女を近づけるためだ」
一体どういうことかと首を傾げた乃江流に、将軍は遠い目をして言った。
「俺には結婚して四年になる正妻がいるんだが、この妻とは仲が悪くてな。床を共にしたこともないのだ」
「えっ?」
乃江流は声を上げ、慌てて自分の口を塞いだ。将軍はあっけらかんと笑う。
「驚くだろうな。政略結婚や見合いでもうまくやってる夫婦はいるんだろうが、俺達の場合はまったくウマが合わなくてな、お互いに全く興味がない。妻には別に想っている男がいるようだしな」
乃江流は口を押さえたまま、呼吸も止めていた。
今自分はとんでもないことを聞いてしまっている気がする。
「だから当然跡継ぎもないわけだ。だが将軍家が途絶えるのはまずい。だから側近達は側室を娶るようにと、俺が将軍の職についてからは死に物狂いになっているんだが、乗り気になれなくてな」
将軍は疲れたように溜息を吐いた。
「あまりに女気がないもので、城内では俺に男色の気があるとまで言われているくらいだ。そんな話が城下に広まる前に、なんとか側室を迎えようと、これまでも美しい女を女中に召し上げては俺に近づけたりと画策してな。それでも俺が手をつけないものだから、考えを拗らせたのか人外の力に頼り始めた。西から有名な陰陽師を呼び寄せ、俺が女に興味を持って側室を娶るようにしてくれと。あの時は妙な儀式に参加させられてうんざりした。他にも有名な霊能力者だのなんだのを何人も呼んでいた」
乃江流はぽかんと口を開いて将軍の話を聞いていた。将軍は笑う。
「祈祷師達がどうにもできなかったから、今度は巫女だ。巫女なら祈祷ついでに俺の相手もできると踏んだんだろう。で、こんな夜半に俺と逢わせたわけだ」
つまり、全国から名のある巫女を呼び集めて美人を選び、祈祷という名目で将軍の側に置き、あわよくばそのうちの誰かに将軍が手を付ければいいと考えたわけだ。日本一の巫女とか一切関係がなかったのだ。
だからあんな意味のわからない試験だったのか。乃江流以外の四人が超がつくほどの美少女だったのも頷ける。乃江流はやっと納得出来た。
「……でも、お嫌なのでしたら止めさせれば良かったのでは?」
将軍は側室を迎えることに乗り気でないようだし、馬鹿げた考えだと一蹴すればよかったのだ。将軍は髭のないつるりとした顎を撫で、どこか遠い目をする。
「奴等が名案を思いついたとあまりに楽しそうにするものでな。まあ優秀な巫女なら祈祷してもらえばいいし、俺が手を付けなければ済む問題だから放置した」
「だからって!皆長旅をしてきたんですよ?あんな意味不明な試験で落とされて、本気で日本一になるつもりだった巫女が可哀想です」
そう言いながら、乃江流は沙夜子のことを思い出した。これを聞いたなら、さぞかしがっかりしたのではないのだろうか。いや、他の巫女達は気付いていたと言っていたから、彼女も気付いていたのか。
「そもそも巫女の日本一など決めようがないだろう。神のお告げを聞いたら日本一か?俺の望みをかなえたら日本一か。そんなことは誰にも決められないだろう」
「それは、そうでしょうけど……」
「今回の試験の本意は、側近たちが美しい巫女を品定めして俺に宛がいたかっただけだ。巫女たちには確かに悪かったとは思うがな。せめてもの詫びとして旅費と謝礼は出してやった。お前も帰りに受け取ればいい」
一応謝礼はくれるのか。やさしいのか身勝手なのかわからなくなってきたが、とりあえず礼を言った。
「まあ、そういうわけだ。他に質問はあるか?」
将軍はもうすっかり話し終えた気でいるらしいが、乃江流には納得いかないことがまだある。
「あの……どうして私が最後まで残ったのでしょう」
「ああ。確かにお前を残すことについては意見が割れていたが、お前は最近幸せを呼ぶとかで有名な巫女なんだろう?江戸にも噂が届いていてな、俺の側近の中にお前を押す声があった」
「そんな噂が?」
「ああ。たぶん伊達家の人間だろう。だから最初の試験では一応残そうってことになったらしい」
乃江流はがっくり肩を落とした。乃江流の生まれ故郷は伊達家の分家が収める領地だが、まさか伊達家の人間が江戸にまで乃江流の噂を持ち込んでいたとは。
「じゃあ二つめの試験はなんだったんですか?」
「あれも別に深い意味はない。俺が最近墨画を描くことに凝っていてな。趣味の合う女のほうがいいと思ったんだろう。適当に上手く描いてあるものを選んだだけだ。一応俺も選考には参加したが、ほとんど臣下が選んだ」
「はあ……それならどうして……私、物凄く下手だったと思うんですが……」
将軍は何かを思い出したようにくくっと笑った。
「そうだ。お前の画は壊滅的に下手だった。お前あれ何描いたんだ?牛か?」
「っ違います!犬、です」
昔実家で飼っていた犬だ。もう何年も前に亡くなってしまったが、賢くて大人しい大型犬だった。
犬だとを聞いた途端、将軍はげらげらと笑い出した。乃江流は将軍がこんな風に大声で笑うものなのかと驚いて、怒りも忘れて目を瞠った。
しかし一向に笑いが収まらない。数分も経つと段々と腹がたってくる。
「……将軍様」
「……ああ、悪い悪いっ」
怒りの篭った声に、将軍はようやく笑いを収めて乃江流を見た。
「あれなぁ、なんだかよくわからなかったんだが、五つになった甥が描いたのとそっくりだったもんだから、ついつい笑ってしまったんだ。今回呼び寄せたのは十四歳以上の巫女だけなのにと思うと可笑しくてな。そしたら側近たちが、俺がそれを気に入ったと思ったらしくてな」
つまり、乃江流の画は五歳児と同等だったわけだ。乃江流は怒りと羞恥で顔を真っ赤にした。
「……やっぱり白紙で出せばよかった……」
下手なら落ちると思っていたのに、下手すぎて興味を引くとは、やっぱり神は意地が悪い。乃江流は両手で顔を覆った。
「まあそう言うな。結果的に俺を喜ばせたんだ。褒美を遣わそう」
「結構です。もうお暇いたします」
いろいろと真実を知って安堵したせいか、眠気が襲ってきた。もう帰って眠りたい。いつもならとっくに眠りについている時間だ。乃江流は将軍に向かって言った。
「私はもう用済みですよね?」
「まあな。だが待て。その前に、お前に一つ聞きたいことがある」
乃江流は首を傾げた。
「お前は幸せを呼ぶ巫女なのだろう?本当に幸せを呼べるのか?そういう力が備わっているのか?」
将軍はさきほど爆笑していた時とは違い、真剣な眼差しを向けてきた。あまりに真剣な瞳に、乃江流はごくりと喉を鳴らして将軍を見つめ返した。




