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7 最悪な夜の始まり

 昼間は江戸観光をし、夜は高級旅館でまったり過ごしていた乃江流だったが、あっという間に4日が経ってしまった。

「お嬢様、今日はいよいよ祈祷の日ですね」

 月子が巫女装束を出し、埃がついていないか入念にチェックしている。乃江流はお茶を飲みながら溜め息を吐いた。まだ陽が高い。迎えは夕方にならないと来ないようなので、乃江流は紺の浴衣のままでだらけていた。

 他の巫女達とは一度も会っていない。城には用がなければ入れないし、町で会うような偶然もなかった。皆祈祷を真面目に終えたのだろうと思うと憂鬱だった。

「一晩中祈祷するのかなぁ。それってすっごいきついな」

 やっぱり少し昼寝をしなければ、一晩中起きていられる自信がない。そう思った時、障子の外から聞き慣れた声がした。

「乃江流?私。さゆりだけど、ちょっといいかしら」

 乃江流は飛び上がった。間違いなくさゆりの声だ。慌てて障子を開けると、さゆりの整った美しい顔が見えた。

「さゆりさん!びっくりした!」

 黄色の鮮やかな着物を纏ったさゆりは、乃江流の姿を見て眉を顰めた。

「まだそんな格好してるの?」

「まだお昼過ぎたばっかりだよ。それよりどうしたの?よくここだってわかったね」

「まあね。――そこで待っていて」

 廊下にいた付き人の女性に声を掛け、さゆりは静かに部屋の中に入ってきた。月子が気を利かせて部屋を出て行く。二人が座ると、障子が閉められた。それを横目で確認して、さゆりが口を開く。

「乃江流。今夜は行かないほうがいいわ」

「え」

 突然の発言の真意がわからず、乃江流はぽかんと口を開けた。

「な、なに?どういうこと?」

 さゆりは眉を顰め、真剣な表情で言う。

「今回私たちが集められたのは、日本一の巫女を決めるためなんかじゃない。貴女は他の子達と違って何も気付いていないみたいだから――」

 話の途中で、どたどたと慌しい足音が聞こえ、勢いよく障子が開かれた。バンッと木と木がぶつかる音が響く。驚いて見ると、体格の良い武士達が何人も立っていた。皆ひどく厳しい表情をしている。

「さゆり殿。他の巫女との接触は禁じるときつく言い置いたはずですが」

「あら、ごめんなさい。乃江流とはお友達だから良いかと思って」

 何事かと青ざめた乃江流とは対照的に、さゆりは何事もなかったかのように立ち上がって綺麗に笑った。

「そんな怖い顔しないでいただきたいわ。世間話をしていただけなのに」

「決まりごとですので。参りましょう」

 さゆりは武士たちに腕を取られ、そのまま出て行った。最後に乃江流に物言いたげな視線を投げて。

 乃江流はその場に座ったまま、動くことが出来なかった。



「お嬢様?大丈夫ですか?」

 騒ぎを聞きつけたのか部屋に入ってきた月子を乃江流は見た。

「月子さん、他の巫女と会ってはいけないの?」

「え、ええ。そう聞いています。内容を明かさないためだと。他の巫女と接触しないよう、日中出掛ける時も見張りがついていると聞きました」

「どうして?内容なら聞いたのに!祈祷するんじゃないの?」

 知らず口調が強くなる。月子は困惑したような顔で黙った。先ほどのさゆりの言葉が甦る。

「……今回集められたのは、日本一の巫女を決めるためじゃないの?」

 さゆりは一体何を言おうとしたのか。今夜行かないほうがいいと言った。祈祷でなければ、一体何が行われるのか。乃江流にはわからない。だが不吉な予感がする。

「私、逃げたほうがいいの……?」

「まさか!逃げるなんてとんでもございません!将軍様の命に逆らえばどうなるか!」

「そ、そうですよね。でも……」

「失礼いたします。宮坂乃江流様、城からお迎えが来ておりますが」

 旅館の女中が障子の向こうで告げた。

「な、早すぎます!まだ約束の時間ではございませんし、準備などできておりません!」

 月子が焦った声で言ったが、女中は色のない声で、ではお早くお願いします、と答えた。乃江流は逃げることもできないまま、巫女装束に着替えさせられ、城へと運ばれた。

 

 

 城では湯浴みをさせられ、女中たちに丹念に身体を洗われた。他人に身体を洗われるなど初めてのことで、乃江流は必死に拒否したが聞き入れられなかった。祈祷の前に身体を清潔にするのはわかるが、なぜか香油まで塗りこめられた。

 そうこうしているうちにあっという間に夕刻になり、豪勢な食事を出された。焼き魚や刺身、茶碗蒸しなど、非常に美味しそうではあるが、緊張のせいか喉を通らない。片付けに来た女中に怪訝な顔をされた。

「あまり食べていらっしゃらないようですね。お具合でも?」

「……いえ。祈祷の前はあまり物を口に入れないようにしていますので」

 大嘘だった。乃江流は普段、祈祷の前でも一切関係なく食べるものは食べる。

 しかし今は緊張を表に出したくなかった。祈祷の際は、一切の感情を表に出さないようにと幼い頃から厳しく言われてきた。こんな異様な状況下でもそれが出来ていることに気付き、乃江流は内心安堵した。

 大丈夫だ、ちゃんと『幸せを呼ぶ巫女』をやれる。何が起こるかはわからないけれど。









 辺りが闇に染まった頃、やっと祈祷場に案内された。板の間に大きな赤い鳥居が立ち、その奥に祭壇がある。城の中に本格的な鳥居まであることに驚いたが、どうやらここでいつも神事を行っているようだ。一礼して鳥居を潜り、奥の祭壇の前まで歩くと、案内役の女中は退室した。一人になった乃江流は、周囲を見回す。誰もいない広い板の間は、しんと静まり返っていた。祭壇の周りに灯された蝋燭の炎が照らす中、乃江流は神棚を確認した。

 壇上には小型の神社を模した宮形の神棚が設置され、神具や神饌も全て揃えられていた。御神札を確認し、玉串を手に取る。何も問題はなさそうだ。あとは祈祷を行うだけ。

 乃江流は玉串を置き、ゆっくりと祭壇の前に座った。木の板はひんやりとしていて少し冷たい。今夜は少しだけ肌寒かった。小さく身震いして、後ろを振り返ってみるが、誰もいない。誰もいないまま祈祷を初めてもいいのだろうか。

「こんな祭壇を用意してるんだから、祈祷するんだよね・・?」

 神様がいるなら是非とも答えてほしいものだ。乃江流は心細さを感じながら神棚を見つめた。

 さゆりはとても深刻な表情だった。生贄にでもされるのかと一瞬思ったが、さゆりは無事に帰ってきているから、命を取られることはないだろう。

「でも、じゃあなんなんだろ……?」

 腕を組んで唸っていると、ふいに蝋燭の炎が揺らめいた。少し風が吹き込んできたのだろう。

 ―――風?どこから?

 乃江流は後ろを振り向いた。鳥居をくぐり、ゆっくりと歩いてくる人がいる。

「お前が今夜の巫女か?」

 男の声だった。乃江流はすばやく立ち上がる。

 あっという間に近づいてきたその男は、まだ若い。二十歳前後といったところだろう。顔貌の整った背の高い男だが、着物を着崩して気だるそうにしている。

 乃江流は何も言えずにただ男を見上げた。男は少しの間乃江流を見つめ、眉を顰めたあと、思い出したように言った。

「俺が徳川幕府将軍、徳川秀尊だ。お前の名は?」

 将軍、徳川秀尊。

この国で一番偉いお方だ。

 乃江流はさっと我に返って、頭を深く下げた。

「私は華道川神社の巫女、宮坂乃江流と申します。将軍様がお一人でいらっしゃるとは思わず、御無礼をいたしました。どうかお許しください」

「ああ、気にするな。面を上げよ」

 本当に怒っていないような声だった。恐る恐る頭を上げる。

 若い将軍だとは聞いていたが、本当に若い。そして精悍な顔立ちの男性だった。鼻がスッと高く、眉は薄い。二重で少し切れ長の目元は涼しげで、唇は薄めだ。口元にはほくろがひとつあった。着物は着崩しているものの、どこか気品が漂っている。故郷の同世代の若者とは偉い違いだ。

 少しの間見惚れていた乃江流の顎を、将軍は何の前触れもなく掴んだ。そのまま乃江流の顔を品定めするかのようにじろじろ眺める。

 なんて失礼な男だろう、いきなり女性の顔に触れるとは。

 乃江流は顎を掴む手を外させようと手を伸ばしかけたが、動きを止めた。なにせ相手はただの男ではない。将軍だ。怒らせたら首が飛ぶ。口答えもできず、乃江流は仕方なく目を逸らすだけに留めて何も言わずにいた。将軍は思う存分乃江流の顔を検分した後、怪訝そうに眉を寄せた。

「……普通だな。昨日までが美人すぎたのか」

「……なっ……」

 将軍の言葉に、乃江流はカッとして頬を赤くした。

 それは確かに真実だが、率直に言われると腹が立つ。もっと言い様があるだろうに。抗議の言葉を吐こうとした瞬間、顔を何かで覆われた。唇に何かやわらかなものが触れる。

 ――――え?

 疑問符を浮かべてすぐ、それが何かに気付いた。目を開けているのに、近すぎて何も見えない。考えるより先に身体が動いた。

「ぃやっ!」

 両手で将軍を押すと、彼はあっけなく離れた。唇を押さえて真っ赤になる乃江流を見て、将軍は小さく笑う。

「なんだ、接吻くらいで。随分と初々しいな」

「せっ……!」

 そんなことを言われても、乃江流には男性とお付き合いした経験もないのだから仕方がない。当然口づけなど初めてだ。そもそもそういうことは、夫婦の誓いを交わした相手とするもののはずだ。まさか初対面の男、しかも将軍に奪われるなどとは思いもしない。

「な、なにを!なにするんですか!」

「……なんだ。お前は何も知らないのか?」

 将軍は意外そうな顔をした後、低く笑って祭壇を指差した。乃江流は困惑したまま祭壇を見る。

「今夜、真面目に祈祷するつもりで来たのか?」

「え?だって、祈祷するようにって……」

「祈祷なんかするわけないだろう。これまでの試験も、おかしいと思わなかったのか?」

 おかしいとはもちろん思った。が、やっと真面目な試験になったのかと思ったのだ。乃江流はむっとして口を開く。

「なんなんですか?祈祷じゃないなら、一体?」

 将軍は可笑しそうに喉の奥で笑って、言った。

「本当に気付いてなかったのか。いいだろう、教えてやる。今回巫女を集めてこんなふざけた試験をしたのはな、俺の夜伽をさせるためだ」

 引き締めていた口元が緩んで、下へと下がった。

 口を半開きにしたまま固まった乃江流を見て、将軍はいよいよ盛大に笑った。



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