緑色と、明灰色
「……お待たせ」
背後から聞こえた、少しだけ息を弾ませた声。
振り返ると、暗がりの中に、落ち着いた色合いの浴衣を着た彼女が立っていた。メインの鑑賞エリアから少し離れた、人の気配がほとんどない堤防の裏手だ。
彼女は俺の隣に並ぶと、呆れたような、でもどこか楽しげなため息をついて、手元に小さな包みを差し出してきた。
「はい、これ。お願いされてたウェットティッシュ」
「サンキュ。助かったわ」
俺はそれを受け取り、ラムネの糖分でベタベタになった手と、甚平の胸元を丁寧に拭き取る。
「もう。いくら二人きりにさせるための口実とはいえ、本当に炭酸被るなんて馬鹿じゃないの?」
「しょうがねえだろ。あのポンコツで鈍感な親友を完全に信じ込ませるには、これくらい身体張らねえと疑われるからな。俺の迫真の自爆演技、悪くなかっただろ?」
「ええ、完璧だったわ。まさか本当にやるとは思わなかったけど」
俺がニヤリと笑うと、彼女はクスクスと上品に肩を揺らした。
すべては、鈍感な親友と、その無邪気な幼馴染を二人きりにするためのシナリオだ。炭酸をこぼして俺が先に離脱し、後から彼女が急な電話を装って消える。あらかじめ裏で示し合わせていた通り、見事に成功したというわけだ。
ベタつきを拭き終えたところで、俺たちは同時にスマホを取り出した。
「一応、あいつらに連絡入れとくか。いくら何でも、ずっと戻らないと不自然だし、無駄に心配させる」
「そうね。私は『急用が長引いてはぐれちゃったから帰る』って送っておくわ」
「俺は適当にブラブラして帰るってことにしとく。……まあ、あいつのことだから、俺たちが裏で組んでこんな所にいるなんて、微塵も気づいてねえだろうな」
「本当にね。今頃、突然二人きりになってドギマギしてるんじゃない?」
「違いない。それに、最初にはぐれさせたあの不器用な二人の方も、今頃ちゃんと意地張らずに話せてるといいけどな」
「あっちの二人も、本当に素直じゃないものね」
送信ボタンを押し、スマホをポケットにしまう。
これで、今日のお邪魔虫としての、そして共犯者としての役割はすべて終了だ。あいつらに見せる『ただの大学の良き友人』という仮面は、今日はもう必要ない。
ドーンッ、と。
少し離れた夜空に、特大の花火が打ち上がった。
人混みの喧騒は遠く、ここには花火の重低音と、夏の夜風の音しか届かない。あいつらには内緒の、俺たちだけの秘密の特等席だ。
花火の鮮やかな光が、隣に立つ彼女の横顔を照らし出す。
初めて出会ってから、二年。
こうして共に過ごす夏祭りは、これが二回目だ。
他の奴らには一切見せないように誤魔化しながら、それでも確かに二人だけでひっそりと紡いできた、二年の時間。
「……綺麗だな」
「ええ、本当に」
空を見上げていた彼女が、ふとこちらを振り向いた。
夜の暗がりと花火の閃光が交錯する中、彼女の頬が、打ち上がる火球よりもほんのりと赤く染まっているのがわかった。俺の顔も、きっと同じように熱を持っていたはずだ。
どちらからともなく、ほんの数ミリの距離を詰める。
夜空に大輪の華が咲き、大きな音が周囲のすべてを掻き消したその瞬間。
顔を染めた俺たちは、誰にも見られることのない影の中で、ゆっくりと互いの唇を重ねた―――。




