7話 精霊武器と人さらい
僕の家が建つ国境に近い土地には名前が無い。
それ故に、知り合いからは辺境の守護騎士なんて呼ばれたりもする。
まあ自分でも随分と不便な場所に住んでいる自覚はあるんだ。
だけど、ここ数年はローレンとの諍い、小競り合いが多発している。
何かあった時、すぐに駆けつけるにはもってこいの場所ではあった。
とは言っても、三年前にローレンと停戦協定を結ぶまで、あんなところに人が住むなんて考えられなかった。
もちろん今だって、隣国の脅威に備えて我が国境騎士団の要塞が建造されている。
その中に宿舎だってある訳だけど、どうにも副団長なんて言う役職にあると周りに気を遣われてしまって僕がしんどくなってしまうのだ。
と言う訳で、買い出しとなるとわざわざドラゴンの背に乗って、近場の街【エクソル】まで足を延ばす事になる。
「ね、ねぇセイレン。このレストランの食事はお高い感じに見えるのだけど?」
「ん? もしかして僕の財布を気にしてくれてるのか?」
「ま、まあ、だってあんな小さな家に住んでるくらいですからね。それでなくとも服まで買ってくれたのだし」
「なんだ、意外と殊勝な事も考えたりするんだな」
たまには僕だって言いかえしたくなったりするものだ。
あれだけ好き放題言われているんだから、少しくらい僕にもそんな権利があったっていいだろう。
「あら? いつ私がそんな心構えを持っていると勘違いしたのかしら?」
そう言うとアンズはテーブルに備え付けのベルを鳴らして店員を呼び出した。
「このページのここからここまで、それと飲み物はこの最上級の赤ワインを、食後には王室推薦フルーツ盛りをお願いね」
早口で淀みなくそう言った後「パタン」とメニューを閉じて僕を睨みつける。
「確かにあなたの財布が心配だったのだけど、それは注文した後で無銭飲食にならないかだけが気がかりだったのよ」
と、言って、コロコロ喉を鳴らして笑い転げていた。
まるでしてやったりと言わんばかりに楽しそうだった。
「お、おい、それはいいんだが……」
そんな量を食べきれるのか?
と言う台詞は、先の食欲を思い出して飲み込む事にした。
アンズが「ここからここまで」と言ったメニューは、一般的に四~五人程度で満腹になる数量である。
でも多分、この痩せの大食いであればペロっと平らげてしまうような気がした。
「注文したからには全部食えよ?」
「当然でしょ? セイレンの分なんて残らないのだから、あなたはあなたで好きな物を頼みなさいよね」
「いやそれ、支払いする奴が言っていい台詞だから……それよりもアンズって酒が飲めるのか?」
「まったく、素直に頷いていればいいのよ、まったく。アルコールは初めてね。元の世界じゃまだお酒を嗜める年齢じゃないもの。でもここでは十六歳から飲んでいいのよね?」
まさか酒を飲むのが初めてだったなんて思いもしなかった。
僕は「いける口なのか?」って意味で聞いたのだから。
こんなきちんとした店で酒の初体験をさせるのは、心無し不安な思いに駆られる。
騎士連中も十六になると、先輩たちの洗礼と銘打って、安酒場の麦酒をたらふく飲ませたりして鍛えたりするものだ。
酒盛りした後で、いつ敵襲があっても対処できるように、と言う意味でである。
そんな洗礼を受けた大半の新兵の騎士達は、胃袋から食道へと酒を逆流させるのがほとんどだった。
安酒場だから許容されていることだけど、この店でそんな醜態を晒したりでもしたら、僕はきっと出禁になるだろう。
だからアンズの酔い具合を終始観察しながら、僕は落ち着かない食事を済ませる事になった。
ほぼ一人で赤ワインを飲みほしたアンズであったけど、どうやら「いける口」のタイプだったようだ。
「ご馳走様、セイレン。このお店気に入ったわ」
「お、おう、そうかよ。そりゃよかった」
「何よ、もてなした相手が大満足だって言ってるのだからもっと嬉しそうにしなさいよ」
「あ、あははは、そうだよな、ほんと良かった、良かった」
まあ、酒が強いのにも驚いたのだけど、何よりあの量を本当に一人で完食してしまった。
もちろんアンズが満足してくれたのなら驕った甲斐もあるってものだが、それよりも僕は驚きの方が勝ってしまう。
それから支払いを済ませて、次なる目的地へと向かう。
「よし、じゃ最後に鍛冶屋へ行って僕の新たな愛剣を買いに行くか」
「セイレン、その事なんだけど。せっかくだからその剣は私からプレゼントするわよ」
「何言ってるんだ? 剣って言ってもピンキリだけど、一応僕はそれなりに業物の剣を買おうとしてるんだぞ? アンズって金持ってたのか?」
そう言った僕の手を握ると、アンズは通りから外れて人目のない裏路地に引っ張っていった。
「ここならいいわね」
「おい、どうしたんだよ? 鍛冶屋はこっちじゃないし、なんでこんな暗い路地まで引っ張ってきたんだ?」
そもそも、街中だからと言って隅々まで治安がいいとは言えない。
どこの街にだってスラムがあるし、僕たちがいるこの路地は丁度その境界線だった。
「だから言ったじゃない。私からあなたへ武器をプレゼントするって」
「そりゃ有りがたいけど、こんな場所に来ることはないだろう? ここから先は盗賊だったり奴隷商が出入りしている区画なんだ」
「あら、この世界にも奴隷なんて言う制度があるのね」
「まあな。制度って言うのとは違うけど、食うに食えない人たちが人身売買で命を繋げる事も案外普通にあったりするよ。だから早くここを離れよう」
やり手の奴隷商の中には、かなりの手練れを傭兵として雇っていたりもする。
ここエクソルじゃあまり活発じゃないみたいだけど、用心するに越したことはない。
「分かったわよ。あなたの武器を出したら戻りましょ」
「武器を出す? 何を……」
まったくもって、僕にはアンズの言っている意味が分からなかった。
なのだけど、次の瞬間、彼女の足元に色とりどりの魔法陣らしき紋様が浮き上がる。
「精霊武装術って言う能力よ。さあセイレン、あなたはどの属性が好みかしら?」
よく見ると、赤、青、黄、緑、白と五大精霊を象徴する色の魔法陣である。
もしや属性を宿した武器を具現化させる能力なのだろうか。
またしても僕は、アンズが持つ規格外の能力に唖然として言葉を失ってしまった。
「ねえどうしたのよ? セイレンが決められないなら私が選んであげる。えっと、じゃあこれね」
そう言うと、アンズは青い紋様の上に手を翳す。
すると魔法陣の中から、光に包まれた何かの武器らしきシルエットが出現し、次にはアンズの手に握られていた。
「はい、あなたに最適な武器、属性は氷で名前は【コキュートス】。剣ではなくて鎚だけど、盾と一体になっているからセイレンにぴったりのはずよ。精霊武器って自我があるからきちんとこの子に気に入られるように努力してね」
コキュートスと呼ばれるそれは、今までに見た事もないような形状をしていた。
とは言え、鎚と盾が合体したと言えばあっさりと説明出来てしまう。
十字盾の上部が少し伸びて、そこが鎚になっていると言えばより鮮明にイメージしやすいかも知れない。
鎚頭の片方は氷の棘がいくつも生えていて、逆側は円錐状に尖っている。
そしてグリップの部分は握りが二種類あって、盾を構える用と、鎚で攻撃する用に別れているのだろう。
一見するととても使いにくそうな印象を受けるのだけど、攻防一体で敵と相対せるのは守護騎士としてとても合理的なように思えた。。
それに何より、アンズの言葉通り、全体から煌びやかに光る氷の粒からは、まるで脈動しているかの如き生命力を感じた。
「さあ受けとってセイレン。私からあなたへせめてもの恩返しなのだから」
「あ、う、うん。ありがとうアンズ」
そうしてコキュートスをアンズから受け取る。
新たな相棒を手にした僕は、さっそく構えてみたい衝動を抑えられなくなって、柄を握りしめた。
その時だった。
『マスター登録されました。わたくしの名はコキュートスです。これからよろしくお願いいたしますセイレン様』
あまりにも突然の出来事に、僕はまたしても驚いてしまう。
もう今日だけでいったい僕はどれだけの驚きを体験しただろうか。
「なあアンズ、声が聞こえてきたんだが……この武器は喋るのか?」
「それは精霊の声よ。コキュートスはその中でも武装可能な上級精霊だから、自我もあるしあなた以上の知能だって持ち合わせているわ」
だそうだ。
飽くまでも僕の知能指数は控えめにしておきたいらしい。
「これからよろしくコキュートス」
『イエスマスター。あなたの命はわたくしが守ります』
なんと嬉しい事を言ってくれる。
こんな素直で従順な精霊を呼び出したのが、ひねくれ者のアンズって言うのが納得できないくらいだ。
「何ニヤついているのセイレン? 私に何か言いたいことでもあるかしら?」
「いっ、いや、ないよ、ないない。ほんとありがとうなアンズ」
こうして僕は、彼女からかけがえのない素晴らしい相棒を授けてもらう事となった。
がしかし、どうやら僕は少し有頂天になっていたようだ。
二重の意味で喜び勇んでいただけに、僕はこの時完全に周囲への警戒を疎かにしていた。
アンズの背後から足元へと、不自然な影が伸びていたのに気付いた時には遅かった。
「アンズっ!」
影から黒ずくめの男が飛び出したかと思ったら、アンズが悲鳴を上げる暇もなく口を抑えられ、瞬く間にそのまま影の中へと引きずり込まれていった。
「辺境の守護騎士が聞いて呆れるな~、精霊魔法の使い手は高く売れるっしょ~。けーっけっけっけ~」
黒ずくめの男は、影に飲まれる直前にそんな事を吐きながら僕を見て笑っていたのだった。