第四話 発火
「.......なんですって?」
その時、クローディアは王宮に参内していた。王妃教育も大詰めで、春休みに入ってからはほとんど毎日、王宮に朝から晩まで滞在していたのだ。昼食後、王妃とお茶を飲みながら談笑していると、突然’影’が現れた。人払いがされた王妃の部屋とはいえ、突然のことに王妃も驚いているようだった。
影からの報告を聞いた王妃は瞬時に表情を険しくした。何があったのか、と不安に思うクローディアの前で、王妃はきゅっと唇を噛みしめた。
「.......クローディア」
「はい、妃殿下」
「エドワードを、殴りなさい。わたくしが許すわ」
「はい?」
面食らうクローディアに、王妃は事の次第を語った。馬車の事故、と聞いた途端、ざあっと血の気が引いた。その先の出来事が、聞かずとも分かってしまったからだ。
「暫くは教会が囀るでしょう。堪えられますね?」
「はい。必ずや」
よりにもよってこの日に、と王妃が思っていることは容易に知れた。握り締めた扇は、メキメキと嫌な音を立てている。
「……万一の時は、覚悟なさい」
クローディアはわずかに息を止め、畏まりました、と頭を下げた。
影に遅れて帰ってきたエドワードは、真っ青だった。流石に事の重大さを分かっているらしい。
「......すべて聞いたわ」
「済まない。ほんとうに済まない――」
「謝罪で済むことではないわ。今後教会がどう出てくるか、あなたにも予想できるでしょう」
「......あぁ」
「せめてフローレス令嬢の魔法を止めてくれたら。少し離れているけれど、療養院もあったでしょう」
「......それでは間に合わないと。血が多く出ていて、死んでしまうと」
クローディアはひとつ溜息を吐いた。
ひとりの民の命さえも慮る、この王子は清く正しい。完璧主義なところが苦手なのだと、婚約者に馬鹿正直に告げるくらいなのだから。これはエドワードだけの責とも言えない。そうあれかしと育てたのは、この王宮の人々だ。
そういうところが好ましくて、同時に苦々しく思っていた。
「学園内でもそれ以外でも、今後一切フローレス令嬢に接触しないで。これ以上、わたくしを貶めたくないのなら」
「分かっている。君を傷つけることはしないと約束する」
クローディアは項垂れるエドワードの旋毛を眺め、強く扇を握りしめた。
もう、その約束は守られていないのに。
***
「ねぇ、お聞きになりまして? 王太子殿下と光魔法使いの恋の話!」
「勿論ですわ。まるで物語のよう」
「思えば、世話係をお引き受けになってから、親しくされておられましたものね」
「悪くないのではありませんこと? 稀少な光魔法の使い手と、王太子殿下と」
春休みが明け、学園が再開した頃には、その噂を知らない貴族はひとりもいなかった。
王太子と聖女、恋物語のような組み合わせに、誰も彼もが興味深そうな視線を向けていた。
「申し訳ありません、シャーウッド様.......!」
「.......男爵令嬢が、土下座などするものではありません」
話題の渦中にある聖女ことアリスは、従者伝いに面会を求めてきた。人払いを済ませた、学園内のサロンに赴くと、アリスはまるでお手本のような土下座をしてみせたのだ。
クローディアは溜息を吐きながらアリスを助け起こす。アリスは悄然とした顔をした。
「ですが、ここ最近、ずっと嫌な噂ばかり.......シャーウッド様に申し訳なくて」
「申し訳ないと思うのならばこそ、普段通りに過ごしなさい。言わずとも分かるとは思いますが、エドワードには決して近づかないこと」
「はい」
アリスは俯いた。どれほど力が込められているのか、膝の前で握られた拳は、指先が白く染まっていた。
けれど、おやめなさい、と言うことが、クローディアにはどうしても出来なかった。
「もう.......絶対に、シャーウッド様にご迷惑をおかけしません」
そうしてちょうだい、と言い捨ててクローディアはサロンを出た。溜息が再びこぼれそうになるのを、なんとか堪えた。
アリスに悪気はない。興奮した民衆に取り囲まれて、さぞや恐ろしかっただろう。傍らにいる知己に助けを求めてしまうのも、無理のないことだ。
けれど――
クローディアは歩きながら窓の外を眺めた。春も盛りの今、庭園は色とりどりの花で溢れている。
庭師に整えられた花は、決して屋外では咲けまい。虫も踏み荒らす人の手も知らぬ花々は、その過酷な環境に耐えられない。
――切り捨てるという選択肢を求めるには、彼らはあまりにも無垢に過ぎたのだろう。
「あら、シャーウッド様」
呼びかけられて視線を戻すと、教会派の侯爵令嬢が扇を翳して立っていた。
「ごきげんよう、ウェイン令嬢」
夕陽が差し込み、彼女の赤毛を照らしている。
「王宮に参内なされますの?」
「ええ」
「流石ですわ。シャーウッド様は大変優秀と評判ですものね」
「お褒め頂くほどのことではありませんわ」
「まあ、謙遜なんておよしになって。皆、分かっていることですもの。シャーウッド様以上に優れたご令嬢はいらっしゃらないと」
こちらを讃えておきながら、侯爵令嬢の瞳には嘲りの色が強い。光栄ですわ、とクローディアは笑みを浮かべた。
「今は学園内が少し騒がしいですけれど.......きっとすぐに鎮まるでしょう。どちらが王太子妃に相応しいか、見るまでもないことですから」
たとえ、と侯爵令嬢は口角を吊り上げる。
「それが殿下のお心に叶わないのだとしても」
クローディアは笑みを保った。僅かたりとも揺らがぬ笑みであった。
――そんなことは、言われなくても知っているから。
「ウェイン令嬢は殿下のお心が分かるのですね。素晴らしいこと」
ふふ、とクローディアは笑い、あら、とわざとらしく小首を傾げた。
「そういえば、ウェイン令嬢は殿下がクグロフを苦手ということもご存知でなかったのに、いつの間に殿下と親しくなられましたの?」
「.......それは」
「二日に一度のお茶会で、殿下から色々とお話を伺っていましたのに........明日にでも、殿下に聞いてみますわね」
クローディアが言い切ると、ウェイン令嬢はほんの一瞬、眉を寄せた。
「.......クラスメイトとして、殿下のお心を推し量っただけですわ」
「あら、そうでしたのね。安心いたしました」
にこにこと笑みを絶やさずにクローディアは言う。
「それでは、ごきげんよう」
「........お気をつけて」
かつかつと靴音を響かせて廊下を進む。ぎりっと歯を食いしばる音が微かに聞こえた。
徐々に、学園内でも王家派と教会派の対立が露呈し始めた。
身分違いの恋を叶えようと暗躍する教会派の貴族が、クローディアとエドワードを引き離し、アリスの元に誘導したのである。
これに対し王家派の貴族――主にクローディアの友人が憤慨し、教会派に苦言を呈すれば、嫉妬しているだのみっともないだの騒ぎ立てる。王家派が更に怒り、教会派は煽り立てる。この負の循環によって、学園内でもふたつの派閥の対立は深まっていった。
「シャーウッド様、少しお時間宜しいですか?」
「.......何かしら、クロウリー令息。この後は予定があるのだけれど」
二日に一度の、エドワードとの食事の日だ。だが、教会派の重鎮の息子である令息は引き下がらない。
「そうお時間はいただきません。お見せしたいものがあるのです」
クローディアは侍女に言付けを頼み、不承不承令息の後に従う。友人がふたり、わたくしたちもついていってよろしいですね? と言ってついてきてくれた。
「どちらに行かれますの?」
「庭園です。見事な花が咲いておりまして。以前、シャーウッド令嬢がお好きだと言っていたことを思い出しまして、これは是非お目にかけねばと」
「左様ですか」
上機嫌な令息は、ずんずんと早足で庭園を進む。クローディアは兎も角も、ついてきている友人のうちひとりはあまり体力がない。もう少しゆっくり、と言いかけたところで、視界が開けた。天使像が置かれた噴水が、しゃああ、と勢いよく水を噴き出す。
クローディアは目を見開き、その前に佇む男女を見つめた。
勿論、並び立っているわけではない。だが、向かい合っているだけの状況さえも許しがたいふたりだった。
おやまあ、とわざとらしく令息は仰け反る。お邪魔をしてしまったようですな、といっそ晴れ晴れとした口調で言い放った。
令息越しに、目があった。翡翠の瞳が見開かれる。
「――クロエも呼ばれていたのだな。どうやら皆で未来の王太子夫妻を歓待してくれる心づもりらしい。そうだろう、ウェイン令嬢?」
彼らの背後に佇むのは、教会派の貴族だった。クロエはかつ、と音を立てて一歩踏み出す。舞踏会の時のように、エドワードの傍に立った。
「え、ええ。今は庭園が美しいですから」
「そうか。とはいえ、昼ご飯をここで食べるわけにもいくまい。侍従を食堂に遣わして、料理を運ばせようか」
「良いお考えですね、殿下。春爛漫を味わえることでしょう――クロウリー令息、ウェイン令嬢。案内ご苦労。下がっていいわ。レティシア、アイリーン、ここまでついてきてくれたのにごめんなさい」
「構わないわ。王太子殿下との待ち合わせなら、クロウリー令息が言うべきだったもの」
「ええ。それでは昼餉を楽しんで」
友人たちは笑顔を、令息は引き攣った笑みを浮かべて庭園から出て行く。では従者を、と言っている間に、距離を取っていたアリスがわざとらしく声を上げる。
「エインズワース様、ここまでお連れくださってありがとうございました! とても素敵な景色を見られて嬉しかったです。ですが王太子殿下とシャーウッド様がこちらでお食事をとられるみたいですから、わたしたちは戻らないと」
「え、ええ。そうね」
失礼いたします、と頭を下げて、アリスと令嬢の姿が消える。クローディアは目を細めてその後ろ姿を見ていた。
「........すまな」
「謝らないで――これ以上、わたくしを惨めにさせないで」
エドワードはぐっと唇を噛みしめた。クローディアは拳を握りしめた。
もう――もう、たくさんだ。




