第一話 断頭台の悪役令嬢
「時間だ」
錆びた音を立てて鉄格子が開かれる。着ているのは襤褸雑巾のような囚人服、手入れをされていない薄青色の髪は傷み、綺麗とは程遠い牢を歩く素足は、いつ切ったものか血を流していた。見るも無残な姿ではあるが、それでもクローディアは背をしゃんと伸ばした。
空は晴れ渡っていた。クローディアは数か月ぶりの太陽を見上げ、濃紺色の双眸を眇める。
今からクローディアは、断頭台で首を斬られる。
***
アリス・フローレスという男爵家の庶子は、一年前、稀有な光魔法の使い手であることが発覚した少女である。それまでは男爵家で使用人として働いていたそうだが、教会の後ろ盾を得て、一年かけて最低限度の礼儀作法だけを学び、貴族学園中等部一年に編入してきた。次期聖女候補である彼女は、教会の中でも上位の存在である。教会への配慮と他国への流出防止のために、同い年のクローディアが世話を焼くことになった。
「フローレス令嬢。これを申し上げるのは十二回目になりますけれども」
「ごっ、ごめんなさい......」
「謝罪は求めていなくてよ」
「ううっ......」
クローディアは扇の奥で密かに溜息を吐いた。
アリスの編入から一か月。クローディアはアリスの問題行動の対処に追われていた。
「いいこと。どんなに相手が間違っていたのだとしても、己を馬鹿にされたのだとしても、正直に対応してはなりません。その物言いでは、敵を作りかねませんわ」
「はい.......そうしようとは思っているんですけど、つい思ったことを口に出してしまって」
アリスは俯いた。貴族令嬢にしては短い、背中の中程にも届かない栗色の髪が揺れる。
「思っているだけで改善されないのならば、罰則でも設けましょうか」
「ば、罰則!? そんな、言い方ひとつだけで大袈裟ですよ!」
「大袈裟ではありません。あなたは教会の後ろ盾を得てここにいるのです。己の言動が教会にも影響を及ぼすことを自覚なさい」
アリスははい、と返事をしたものの、眉根を寄せ、唇を尖らせている。納得していないことは目に見えていた。
「……わたしは庶子です」
「……聞いております」
一夫一妻制のこの国で、庶子は眉を顰められる存在だ。第二王子であるエドワードが、庶子である第一王子を差し置いて立太子されたのもそのためである。
「今まで、ずっと使用人と同じ扱いを受けてきました。なのにいきなり光の魔法使いだって崇めて、そのくせ礼儀がなってないだの勉強ができないだの、わたしに色々求めすぎじゃないですか? わたし、そんないきなり何でもはできません!」
クローディアは己が今死んだ魚のような目をしていることを自覚していた。
彼女の訴えは道理である。使用人同様の扱いをされていた彼女が貴族のいろはを学ぶには、一年という期間はあまりにも短い。
だが、貴族社会に出てしまったのならば、身につけなければならないのだ。それは何よりも自己防衛となるのだから。
「――ではいつまでに治るのです」
「え? ええと、あと二か月くらいあれば........」
「結構。それまでにその悪癖を必ず治すように」
悪癖と言った瞬間、アリスはむうと頬を膨らませた。この娘はほんとうに己と同じ15歳だろうか、とクローディアは軽く年齢詐称を疑った。そこで侍女に耳打ちされ、ひとつ頷く。授業後に思わぬ時間を取られてしまったが、王妃教育のためにこの後王宮に参内しなければならない。
「それではごきげんよう」
骨の髄まで叩き込んだカーテシーは、ふくれっ面のアリスが呆けてしまうくらい、美しいものだった。
***
王妃教育は予定よりもだいぶ早く進んでいる。本来は高等部終了までを目安としていたが、中等部在籍中に終わるだろうというのが教師の総意であった。
「あぁ、クロエ。ちょうど終わったところかな?」
「エド」
王妃教育を恙なく終えて帰路についたところで話しかけてきたのは、婚約者のエドワードであった。窓から差し込む光を受けて、黄金色の髪がきらきらと輝いている。
「ええ、王妃殿下への挨拶も済んだから、今から帰るところよ」
「それでは、美しいご令嬢をエスコートする栄誉をいただけますか?」
エドワードがわざとらしく畏まって言う。クローディアは笑って差し出された手に己の手を重ねた。
エドワードとクローディアの婚約が結ばれたのは7歳の時。クローディアの方は一目惚れで、エドワードにぐいぐい迫っていたのだが、嫌がられていることを自覚してからは大人しくなった。なんでもエドワードはクローディアを幼馴染以上には見られないらしい。
そこで、クローディアも上手く自分の気持ちに折り合いをつけた。一方通行でないにしろ、重い愛が何をもたらすかは、第一王子に対する王妃の所業を見ればよく分かる。王妃のことを尊敬しているが、その嫉妬心と行動は目に余るものがあったから。
「――そういえば、光魔法使いが入学してそろそろひと月になるね。なんだか大変そうだとは聞いているけれど、実際どうなんだい?」
「大変よ。表情の制御ひとつまともにできない子供に貴族としての心構えを説くなんて。教会の後ろ盾を得ているということは、その行動ひとつにも教会の影響があると考えられかねない、と言っても理解してくれないの」
「まあ、彼女は元々使用人として育ったのだろう? なじみのない考え方に染まるのは大変だろう。クロエも私も当然と思っていることが、民には当然ではないように」
クローディアは黙り込んだ。それを言われたら返す言葉がないが、かといって苦言を呈さないでいられる立場でもないのだ。
「今度、私が注意してみるよ。いつもクロエばかり注意していたら、光魔法使いがクロエのことを嫌い始めるかもしれないからね」
「......では、お願いするわ」
クローディアがアリスに嫌われた場合、王家派と教会派の溝が更に深まりかねない。不承不承、エドワードに頼むことにした。
「何か気晴らしでもするかい? カフェに行くのなら、付き合うよ」
「行きつけのカフェも全メニュー制覇してしまったし......そうねえ、空に浮かぶ雲でも取ってきてちょうだい」
「とんでもない要求だなぁ。ちょっと前は、海に行くための瞬間移動魔道具を開発してほしい、じゃなかった?」
「学園を卒業したら、海のある国に外交で連れて行ってもらえることになったからいいの」
「海の次は空というわけか」
「そういうこと」
エドワードは歯を見せ、肩を揺らして笑う。幼い頃から変わらないその横顔が、クローディアは好きだった。
「外交と言えば、次の長期休みにアシュトラに行くことになったよ」
「あら、あちらの内乱以来初めてよね? 色々と条約も変わりそう」
「うー……今から胃が痛い」
「早すぎるわよ」
***
「遅れてしまうな……」
その日、エドワードは急いでいた。学園の図書館の書物が面白く、つい読み込んでしまったのだが、王宮での帝王学の講義の日だった。
「うーん……近道するか」
正規の道の方が安全性は優れているが、遅刻はしたくない。僅かに迷ったが、庭園を突っ切っていくことにした。
学園の庭園は広く、四季折々の花が品良く植えられている。王宮とはまた違った趣があって、気分転換にクローディアと散策することもあった。
「あ、紫陽花が咲き始めたのか」
青と紫が入り混じる花を見かけ、エドワードは小さく笑みを浮かべた。クローディアが自分の髪の色に似ていると言ってから、紫陽花を見るとクローディアが思い浮かぶようになってしまった。
明日にでも散策に、と思っていると、前方で光が爆ぜた。何事かと護衛が警戒態勢を敷く。しかし、いつまで経っても襲撃の気配がない。
エドワードは警戒を解かず、護衛の背後に隠れながら道を進んだ。
「ううう……」
やがて聞こえてきたのは、めそめそとした女子生徒の泣き声だ。背の高い護衛の背後から覗き込み、目を見開く。
「――フローレス令嬢?」
ぼろぼろと涙を零しながらこちらを向いたのは、光の魔法使いであるアリス・フローレスだった。人の涙を見ることなんてなかなかなかったので、エドワードは狼狽した。
「だ、大丈夫かい?」
「大丈夫じゃないっ!」
「え?」
「魔法はうまくできないし、この前のテストも赤点だったし、枢機卿さまには怒られるし……でもテスト勉強も沢山したし、魔法書も沢山読んだのにっ!」
滔々と語り、アリスは拳を握りしめた。その白い頬を、後から後から涙が伝う。
「なのに、なんでできないのぉ……」
アリスはしゃくりあげた。このままにしておくわけにもいかず、しかしこの状況を他者に見られるわけにもいかない。護衛に結界を張るように命じて、エドワードはしゃがみ込んだ。
「その、事情はよく分からないが……あまり、無理はしないで」
「無理しなきゃだめなの……!」
「そ、そうか……ええと、甘い物でも食べたらどうかな」
エドワードは慌ててポケットを探った。クローディアのご機嫌取り用に忍ばせている飴を差し出す。
「……何味?」
「いちごだよ」
「……食べる」
アリスは涙を流したまま、飴を受け取った。口に入れて、目を丸くする。ついでに涙が止まった。
「え、おいしい! どこで買ったの!?」
可愛らしい笑みまで浮かべるので、エドワードはたじろいだ。クローディアは、ご機嫌斜めな時にこの飴を舐めると機嫌を良くするが、味を変えても「悪くないわね」とか「もっとちょうだい」とか言うので。
「そ、それはよかった……えー、それはそのー、家にあったものだから、買った場所は分からないというか」
「あーそっか、お貴族様は自分で買い物しないもんね……って、わたしすごい失礼な口調で話してましたよね!? ごめんなさいっ!」
「あ、あぁ。かまわないよ」
「ええと、待ってください。今、貴族名鑑を思い出します……」
「それには載ってないかなぁ」
何しろ、爵位は賜っていないので。
アリスはきょとんと目を瞬かせる。
「え……載ってない? 貴族なら、ぜん、いん……」
言いかけて、アリスは真っ青になった。その場で叩頭する。
「おっ、王太子殿下!? も、申し訳ありませんっ!」
「あぁいや、大丈夫だよ」
久しぶりにそんな反応を見たので、逆に面白い。
「慣れないことばかりで大変だと思うけれど、頑張って」
「はっ、はい! ありがとうございます……!」
では、と立ち去ろうとした背に、あの、と慌てたような声がかけられた。
「飴、ありがとうございます!!」
アリスはほとんど直角に頭を下げた。軍のような礼を見て、小さく笑みが溢れる。
「――どういたしまして」




