第九話:南紀白浜温泉(和歌山県)
食中毒未遂事件の後、彩乃のお店は変わらずに営業を再開していた。
彩乃はいつも通り注文を作る。彼女のお腹はみるみると大きくなっていた。
その日のお昼の営業を終え、彩乃は娘のお迎えに向かった。
「ただいま……」
玄関で彩乃が上がろうとして倒れる。
「ママ、どうしたの?」
好乃が母親にそう訊く。
「好乃……ゴメン。パパ呼んできて……」
倒れている彩乃は力を振り絞り、そう言う。
「わかった! パパー、ママがたおれてる!」
それから、好乃がお店の中で大声を出した。
「え?」
事務所にいた晴斗は好乃の声ですぐに玄関に向かった。玄関に彩乃が倒れていた。
「ママ、大丈夫?」
それから、晴斗が彼女に訊いた。
「貧血みたいなの……」と、彼女は小さな声で言った。
「またか!」
晴斗は四年前のことを思い出した。四年前、好乃が産まれる前も同じようなことがあった。
「ねえ……お水ちょうだい」
それから、彩乃がそう言った。
「分かった」
晴斗はそう言い、すぐに厨房へ行き、コップ一杯の水を持ってくる。
「はい」
「あなた、ありがとう」
彩乃はその水を一気に飲んだ。
「すぐに病院へ行こう!」
それから、晴斗は言った。
「ええ、分かったわ」と、彩乃が頷く。
それから晴斗は事務所へ行き、そこに居た従業員たちに「ちょっと彩乃を病院に連れて行く。五時には戻るから」と伝えて晴斗は彩乃と好乃を連れ、車で病院へ向かった。
診察の結果、やはり「貧血」であった。お腹に赤ちゃんがいることも分かった。医師からは水分や鉄分をたくさん摂りなさいと言われ、お薬を処方された。
「昼の営業は控えた方がいいかもしれない……。」
車に戻り、晴斗はぽつりと言った。
「え?」と、彩乃は驚く。それから、「……やっぱりやめた方がいい?」と彼女は訊く。
「うん。しばらくはね」
晴斗がそう言うと、「そう……分かったわ。そうする」と彩乃は言った。
「昼、夜は、俺とシェフたちで何とか回す。けど、土日は……」
そう言って晴斗は言い淀む。
「土日だけだったら、お昼だけとかでも出ようか?」
それから、彩乃がそう言った。
「うん。まあ、無理しない程度に出て欲しい」
晴斗がそう言うと、「じゃあ、そうする」と彼女は笑顔で答えた。
「うん。じゃあ、それで!」
晴斗はそう言って車のエンジンを入れる。
「「ねえ」」
それから、晴斗と彩乃が同時に口を開く。それを聞いて、好乃が笑う。
「ん?」
「何?」
「お腹空かない?」と、晴斗が言った。
「私も今、同じこと訊こうとしてた」と、彩乃が言って笑う。晴斗も笑う。
「お腹空いた」と、彩乃が言った。
それから、「よしのも!」と好乃が言う。
「パパも。じゃあ……」
「ファミレスでも行かない?」と、彩乃が二人に言う。
「ファミレス~ファミレス~」と、好乃が嬉しそうに言った。
「オッケー。じゃあ、出発!」と晴斗は言って、車を近くのファミレスまで走らせた。
少し走ったところにファミレスがあり、三人はそこでご飯を食べた。食べ終わった頃には、四時半を過ぎていた。その後、晴斗は二人を家まで送り、それからお店に戻った。
午後五時前に、晴斗はお店に着いた。晴斗はエプロンに着替えると、すぐに厨房に入った。
その翌週の土曜日。
晴斗たちは車で和歌山県へ向かう。和歌山には南紀白浜温泉という温泉が有名らしい。三人はそこへ向かった。
「日本三大古湯の一つなんだって……」
助手席にいる彩乃がスマホを見ながら言った。これから行く白浜温泉のことらしい。
「へー、そうなんだ」と、晴斗は頷く。
「因みに、あと二つは何か分かる?」
それから、彩乃が晴斗にそう訊く。
「有馬温泉とか?」
「そう! あと一つは?」
「うーん、草津温泉? いや、熱海温泉かな?」
「ブー。正解は道後温泉でした」と、彩乃はにやりと笑う。
「道後温泉か」と、晴斗は納得する。
それから、晴斗はまだその二つの温泉に行っていないことに気付いた。有馬温泉も、道後温泉も行ってみたいなと晴斗は思った。
車を四時間ほど走らせて、ようやくその日に泊まるホテルに到着した。
晴斗は早速、受付でチェックインを済ませる。
エレベーターに乗り、三人は部屋の階まで上がる。
客室は和洋室であった。窓からは白浜の海が一望できた。水面はキラキラしていて、優しい潮騒も見られた。
そのホテルの温泉は四つあった。眺望の湯という露天風呂に、磯部の湯という露天と半露天風呂。貸切風呂と、それから、大浴場であった。
晴斗たちは早速、露天風呂へ行くことにした。
好乃は今回、パパと入ると言ったので、晴斗は好乃と一緒に入ることにした。今の時間、男湯は眺望の湯であるようだった。
「わー、すごい」と、好乃が感嘆を上げた。
「ねー、きれいだね」と、晴斗もその景色を見て言う。
その温泉からは白良浜を一望でき、まるで海と空が一体化したように感じられた。
すぐに二人はその温泉に入る。温泉は気持ちが良かった。景色も相まって最高であった。
好乃が熱いと言ったので、そこで晴斗は出ることにした。
着替えて、ロビーで晴斗たちは彩乃が出るのを待ちながら二人は冷たい飲み物を飲んでいた。
「お待たせ」
少しして、彩乃がやって来た。
「けしき、すごいきれいだったよ!」
好乃がママに「眺望の湯」の様子を伝える。
「ホント! 良かったね!」と、彩乃が言った。
「うん」
「後でママも入るね」
それから、彩乃は笑顔で言った。「こっちのお風呂も雰囲気良かったよ。落ち着いていたの」と、彼女は「磯部の湯」の様子を話した。
「へー、そっちも気になるな」と、晴斗は言う。
この後、男女の湯が入れ替わる。晴斗は後でその温泉に入ろうと思った。
しばらくして、三人は部屋へ戻った。夕食までゆっくりしていた。
夕食はお食事処で行われた。
晴斗たちは空いている席に着くと、料理が運ばれた。
「わー!」
「おー、すごい!」
伊勢海老の乗った会席料理に晴斗と彩乃は思わず声を上げる。
それから、地域の食材や季節を盛り込んだ料理がたくさんあった。
「こちらは、お子様ランチになります」
少しして、女性のスタッフが好乃の前にそれを置いた。
「わー」と、好乃もパパやママを真似るように言った。
「へー、お子様ランチか!」と晴斗は言い、「好乃、良かったね」と彩乃が笑った。
そのお子様ランチはオムレツにエビフライ、ポテトやミートボールなどが乗っていた。
「お飲み物はどうなさいますか?」
それから、女性スタッフがそう訊いた。「日本酒や梅酒もございます」と、女性スタッフが笑顔で言う。
「梅酒かぁ~。いいねえ」と、彩乃が笑顔で言った。
晴斗も梅酒は好きである。せっかくここへきたなら、飲もうかと晴斗も思った。
「じゃあ、梅酒を二つ」と、晴斗は言う。
「私はいいわよ」と、彩乃が言う。
それから、晴斗は彩乃が妊娠中だということに気付く。
「ああ、そっか。そしたら、一つで」
「飲み方はどうなさいますか?」
女性スタッフにそう訊かれ、「ロックで」と晴斗は言った。
「ロックがおひとつですね」
「私は烏龍茶で」と、彩乃が言う。
「はい」
「あと、オレンジジュースはある?」と、晴斗が訊く。
「ございますよ」
「それじゃあ、それも一つ」
「かしこまりました」
そう言って、その女性スタッフはそこを離れる。少しして、梅酒ロックを一つと烏龍茶、それから、瓶のオレンジジュースを持って来てくれた。
早速、三人は乾杯する。そして、いただきますと三人は手を合わせ、それぞれの料理を食べた。
「好乃、おいしいか?」
晴斗が訊いた。
「うん、おいしい」と、オムライスを一口食べた好乃が笑顔で答える。
「そっか。ママのオムライスとそれと、どっちがおいしい?」
それから晴斗がそう訊くと、「ママのオムライスの方がおいしいよ」と好乃は言った。
「やっぱり」と、晴斗は笑う。
確かに彩乃の作るオムライスはおいしいのだ。彼女の作るオムライスは、フランス本場で彼女が学んだオムライスだから間違いないだろうと晴斗は思った。
「うん」と、好乃は照れ臭そうに笑う。
「そう。それはママ嬉しいな」
それから、彩乃はにやりと笑って言った。
夕食を食べ終えて、三人は部屋へ戻った。少しゆっくりした後、三人は温泉へ行くことにした。
晴斗は今度、磯部の湯へ入ることにした。彩乃と好乃は一緒に眺望の湯へ入った。
翌朝、晴斗たちは朝食前に大浴場へ入った。
朝食もお食事処で行われた。
朝食は御膳であった。メニューは和歌山県産の海の幸や野菜などの食材を使ったものと、それから、紀州梅のお粥であった。そのお粥は梅の酸味が感じられながらも、さっぱりしたお粥で朝食に最高であった。
朝食を済ませて三人は部屋に戻り、帰る支度をした。エレベーターを下りてロビー前のショップでお土産を買い、チェックアウトをする。
駐車場まで歩き、三人は車に乗る。晴斗はエンジンを掛け、車を走らせた。
車を走らせながら晴斗は考える。日本三大古湯の一つである「白浜温泉」。その温泉はとてもいい温泉であった。あと二つは、有馬温泉と道後温泉である。
次は、どの温泉へ入ろうか。次は、有馬か。いや、道後が先か。




