7-21 舞台裏の後片付けと追憶の整理(13)
お久しぶりです。
10月事『神無月見舞い』を申し上げます。
まだ『巫女姫』様の思い出話の回ですが、よろしくお願いいたします。
苦手な方は、ブラウザを御閉じください。
よろしくお願いいたします。
――どこまで、思い出していただろうか…そうだ。
…駄目だな。
先程の無月夫婦との“別れ”に対して、引きずっている…後戻りなど『不可能』だというのに未練がましく思い出に浸ってしまっている。
悪い事ではない、が…良い事でもない。
生きている内は、必ず発生してしまう現象だ。
気にするな――…そんな言葉を言われても“気にしてしまう”のが、性分だ。
決して、忘れる事など不可能だが…気にしないか『フリ』ならば、出来る。
現実という名の“舞台”に立つ“役者”として、不器用な演技を振舞えばいい。
――あ、思い出した。
冬霞殿が、初めての蒸気機関車に乗って…嫌な場面を目撃したところまで…思い出していたのだった。
改めて…思い出に耽るとしよう――。
そんな嫌な場面を目の当たりにしたが、成すすべが無いため『見て見ぬふり』をするしかなかった…冬霞殿達は「ごめんなさい」と、心で謝罪するしかなかった。
そう思っていると『ピィーッ!』という、発進を知らせる駅員さんが加えている汽笛の音の次にしたかと思ったら『ポォオーッ!』という、爆音がしたと思ったら煙突からモクモクと白煙が立ち上った。
そして、暫くすると『ゴトンッ…』と、金属が擦るような轟音が鳴った。
蒸気機関車が、動き出したのだ。
――ゴトン…ゴトン…ゴトン…。
聴き慣れない金属音に冬霞殿は、またソワソワしているのを“いのり”は、気づいたが…敢えて気づかないふりをした。
また冬霞殿が『大人のフリ』をしてしまうからだ。
しかし、思わず“いのり(姉)”は、微笑んでしまった。
大袈裟かもしれないが…本当に冬霞殿は、子供心を直ぐに手放そうとする事に躊躇など一切しない――…大人の事情が原因で、引き起こした戦争にて『生き残るため』に必死に大人の真似事をしていたからだ。
いくら「もう大丈夫」と、言われても…直ぐに『信用と信頼』を得るわけではない。
たった数日間だが“いのり(姉)”は、孤児院に居た他の子供たちより冬霞殿が『心配』だったのだ…致し方ないだろう。
しかし…今の冬霞殿は、窓の外から覗く進行する風景に好奇心に満ちた目をした“普通の子供”と、変わりない少女の姿になっていた。
この時の“いのり(姉)”は、冬霞殿の様子を見るや否や…ホッとしながら気づかれないように微笑んだ。
その後――…二人は、昼時になったため…出発前に買った駅弁とガラス瓶に入った緑茶を楽しみながら『今後』を話し合っていたそうだ。
当時の駅弁は、とてもシンプルに…粽にも使用されている竹の皮で包んだ、塩おにぎり2~3個と一口分ずつの沢庵と柴漬けの二種類を添えた香の物だった。
こちらも今現代なら駅弁だけでなくスーパーやコンビニ、専門店等で売られている、お弁当の小さなスペースに『当たり前』に添えられているが…戦後時は、食糧難による辛うじて沢庵しか手に入らなかった。
しかし、まだまだ少しずつであるが…物流が、落ち着いた頃でもあった。
そのお陰で、塩や酢と酒粕も手に入るようになり…沢庵の他に赤紫蘇を加えた柴漬け等の漬物を作れるようになっていた。
おにぎりの中身は、今現代では幅広いが…当時は、戦後だったせいもあり梅干しすら手に入りづらい時期であった。
各駅によって、おにぎりの形が違っていたそうだ。
三角おにぎりや俵型のおにぎり、小判型のおにぎりといった三種類が、売られていた。
そして、作り手さんによるが…ご飯に沢庵を粗みじん切りや細切りにし混ぜ込まれた、おにぎりにして売られていたり、ゴマ塩を振っただけのおにぎりも売られていた。
いくら本や人聞きによる情報を知っていたといっても…何もかもが“初めて”の貴重な体験と経験をした事に喜びを噛みしめていた冬霞殿は、本人が気づかない内に…いつの間にか『へにゃ』と、綻ばしていた。
冬霞殿の様子に…またしても“いのり(姉)”は、気づかないフリをするのに必死だったのは、言うまでもない。
しかし、そんな楽しい昼食と長距離の移動は、あっという間に終わりを告げる――…まるで、長編の分厚い小説を読み終えるような不思議な錯覚に陥るものだった。
そして、一刻一刻と旅の終わりが近づくにつれ…寂しさから来る儚さが、あるものの“いのり(姉)”と共に始まる『新たな生活』に冬霞殿の心の中では“温かな灯”が、ゆらゆらと小波のように小さく擽るように優しく踊っていた。
冬霞殿にとっては、めったにない“冒険の一ページ”を体験した事に喜びを噛みしめていた――…二人は『紅染村』に辿り着いた。
紅染村の独自なのだろう…その“美しさ”の圧巻に息を吞んだ。
村に着くと、先に目にするのは――…蒸気機関車の窓から覗いた戦後による復興作業の真っ只中の各地の村と違って、武家屋敷と思わせる立派な家宅が立ち並んでいた。
しかし、一点だけ異なる“代物”が『存在』している。
――電信柱だ。
今現在の技術によって、村の美しさに惚れ込んだ当時の市長の『鶴の一声』によって、風景の良さを半減している電信柱を撤去工事を行い…水道・ガスと同じ電気(電線)のライフラインの全ては、土の中だ。
時折、点検工事を執り行われるが…更なる『安心・安全』に使えるようになるので、住人の方々は素直に従っている。
しかし…まだ当時は“未知なる技術”だった。
何度目かだが――…戦後だった事もあり、電信柱による風景の阻害など後回しではなく『無くてはならない代物』という概念が、強かった。
何より風景よりも第一に“情報”が、逸早く欲しかったからだろう。
当り前であり、仕方のない事だ。
しかし…冬霞殿は、不思議で仕方がなかったそうだ。
それもそのはず――…まるで、まだ『被害に遭っていない戦前のように』時が、止まっているかのようだった。
その言葉しか、当て嵌まっていなかった。
綺麗な家宅。
綺麗な道路。
綺麗な田畑。
――その筈だ。
土地神“無月”が…亡き父が、息子のために手塩に掛けて残してくれた何よりも『大事』な遺産だからだ。
戦争で、キレた土地神様が“一切、村に気づかれないように”術を『無意識』に発動したから無事だったのだ。
本来であれば、許されない行為だ――…何故なら“土地神”は『見守る』しか、許されなかったからだ。
しかし、許された。
何故か――…答えは、簡単だ。
歴代の“土地神”よりも『無月』自身の“力”と『土地神の力』が、異常であり偉大であったからだ。
そのため『彼』にクレームとブーイングなんかすれば…返り討ちどころか“絶望”と“不幸”が、情け容赦なく…何も知らずに暮らしている人に悪災という名の大影響を受けてしまう。




