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ヴェルベットは自室である物を手に座っていた。それはヴェストパーレの屋敷に投函された差出人不明の封筒。特に変わった様子のない、普通の封筒であった。
少女はそれが甲斐のある物でないことを確かめて開ける。そこから出てくるのは一枚の羊皮紙。その中心には、大きく文字が書かれていた。
『呪われし子、ヴェルベット・ヴェストパーレに死を』
ヴェルベットはその手紙を握りつぶす。その手紙からは、悪意が感じられた。そして、彼女は確信していた。
これは、彼女の家族を殺したあの男たちの背後にいたものによるものだ、と。
呪われし子。手紙ではヴェルベットはそう呼ばれている。その理由はわからないが、犯人は今度こそ、彼女を殺そうとしているらしい。
少女はバラの紋様のナイフを握りしめる。なぜ狙われるのかはわからない。ヴェストパーレの政敵か、それとも怨みを持つ者の仕業か、それはわからないがヴェルベットには関係ない。
望むは復讐。いずれ、相手も仕掛けてくるだろう。
誰にも手を振れさせはしない。ジキストール、エリス、リース。大切な人たちを、これ以上は奪わせはしない。
決着をつける。少女は強い意志で、窓の外を眺める。
嵐の予感がした。
アルミラはある人物と茶を共にしていた。それは彼女の愛する夫ではない。
伯爵令嬢は本来ならば恐縮すべき立場にもかかわらず、いつも通り堂々としたたたずまいであった。
優雅に茶を飲み、アルミラは相手を見る。
「それで、次期国王様が一体何の用で?」
「うるさいな、アルミラ。茶化すのはやめろ」
相手のキースは、うんざりとした顔で言うが、アルミラはそれを無視して茶を飲んだ。
二人はいわゆる幼なじみだ。本来ならば許嫁にしようと考えてアルミラを近づけたにもかかわらず、もくろみは失敗。キースにとってアルミラは悪友、というポジションに収まってしまった。現国王やその側近でさえ、この若き伯爵令嬢は手に負えないじゃじゃ馬であった。
「用、か。わかっているはずだが?」
キースがそう言いアルミラを見ると、アルミラは意地悪く笑う。
「ええ。ヴェルベット・ヴェストパーレについて、でしょう?」
少女はそう言うと、カップを置いて、真剣なまなざしでキースを見る。キースもまた、先ほどまでの薄笑いを消し、真剣な瞳で彼女を見返していた。
「ローゼルテシアの件。確かに、何人かの貴族がかかわっていた証拠を見つけた。うち、数名は彼女に殺されているがね」
「四人、でしたわね」
アルミラはそう言い、キースを睨む。
「頼りないわね、彼女より先に見つけ出せなかったの?」
「彼女は君が思う以上に優秀で、手の付けられない女性だよ」
そう言い、キースは腕を組む。
「犯人のうち、一人はこちらで捕まえたが、残る三人は行方不明だ」
「・・・・・・・つまり?」
「始末された、と見るべきかな」
そう言うと、キースは懐から書類を取り出し、アルミラに渡す。アルミラはその書類を見る。それは逮捕された男についての情報であった。
「殺される?」
「そう言って、自分から罪の告白をしてきた。匿ってくれってね」
「・・・・・・・・・・」
アルミラは沈黙する。仮にもこの男も貴族だ。そんなことを告白したら、ただでは済まないことは知っている。にもかかわらず憲兵の下に駆け込んできた。それほどまでに、深刻な状況、ということなのだろう。
男の実家はそれなりの力を持っている。そんな男が怯える相手。
「まさか、この事件の裏には、もっと権力の持つ相手が隠れている、とでも?」
「間違いないだろうな」
キースはアルミラの言葉に肯定の意を返す。
「当初から徹底して、この事件は隠蔽されてきたからね。はっきり言って、王都での犯罪組織の撲滅がなければ、事件のことも闇に葬られただろう」
偶然手に入れた事件についての書類。そこから、事件にかかわった犯人たちの名もわかった。
書類の内容からして、この国の高官が関与しているのだろう。
そして、書類に書かれていたのは、ローゼルテシア領主夫妻の殺害と、その娘ヴェルベットの始末であった。
「ヴェストパーレ家に対する私怨、でしょうか?」
「その割には手が込みすぎている。ヴェルベット・ローゼルテシアはそのまま行けば一地方の領主の娘として人生を終える予定だったのだ。私怨ならば、シメオンを狙えばよかろう」
キースがそう言うと、アルミラも口を閉ざす。
「君から、ヴェルベットにそれとなく聞いてみてはくれないか?これは彼女の協力が必要だろう」
「・・・・・・・・あなたがなさったら?」
「私では無理だよ」
キースは言う。どこか遠い目をしていた。
「私は、彼女とは相いれない存在だからね」
「・・・・・・・・・まあいいわ。私はあの方のお友達ですからね」
そう言って、アルミラは立ち上がる。
去り行く幼なじみの背を見送りながらキースは考える。
(もしかしたら、ヴェルベットが狙われるのは、ヴェストパーレの血筋である、という理由ではないかもしれない)
キースはそう考えて、ある一枚の絵を見る。
それは王家の集合写真であり、40年ほど前に描かれたもの。若き父とその兄、そして妹の姿が描かれていた。
つい先日、王宮の図書室で見つけたそれに映る王妹の顔。それはあまりにある人物にそっくりであった。
紅い髪。美しきその顔。すべてが同じというわけではない。髪の色は真紅というほどではないし、瞳の色も違う。だが。
その顔は、あまりにもヴェルベットと似通っていた。
(まさかな)
そう思いながらも、否定はできない。少なくとも、少女の真の母親はわからないのだから。
だからこそ、アルミラに探りを入れさせたのだ。ヴェルベット本人が知っているとは思えないが、それでも何か情報があるかもしれない。
先代ヴェストパーレ伯が生きてさえいれば、とキースは唇を噛んだ。
王宮の離れから、窓の外を見た。青い空に、灰色の雲がさしかかる。
「厭な色の雲だ」
キースの囁きは誰に聞かれることなく、空気に溶け込んだ。
エリスはどことなく、嫌な雰囲気を館の周囲に感じていた。悪意に近い何か、嫌らしい何かがいる気がする。
彼女の夫のクロウドや、ファイロ・ヴィンスらもそれを感じているらしく、皆気を張っている。
館の主であるヴェルベットも、やはり気を張っている感じがした。表情こそいつもと変わらないが、エリスにはわかった。
彼女の手は、服の下にあるナイフをいつでも取り出せるように、と構えられていたからだ。
「ヴェル」
エリスは今も、自室で書類を片付けながらも外へと気を向けている親友に声をかける。
「なに、エリス」
「無理、しないでね」
「無理なんて・・・・・・・・・・」
「嘘よ」
そう言い、エリスはヴェルベットを見る。ヴェルベットは気まずげに視線をそらす。
「お願いだから、無理だけはしないで。あなたには、私たちがいるんだから」
「・・・・・・・・・・そうね」
そう言い、ヴェルベットは書類に向かう。それでも、彼女の様子は変わりはしなかった。
ヴェルベットは、手紙の件を相談しようか迷ったが、結局それはやめた。
これは彼女の復讐だ。エリスを、ほかの皆を巻き込むわけにはいかない。
服の下に忍ばせるナイフを撫でる。バラの紋様が、彼女の指に触れた。
脳裏に浮かぶのは、彼女に生きるすべを教えてくれた、師の言葉であった。
『ヴェルベット。誇り高き血を引く者よ。汝に、祝福あれ』
終わらせよう、復讐を。そして、私はその時、ようやく私はただのヴェルベットになれるのだ。




