SCARLET AVENGER 1
若い娘は檻の中で怯えていた。彼女は奴隷であった。不法入国をしたものの、強制送還されていたところを逃げ出したものの、彼女を待っていたのは奴隷という運命であった。
そして彼女は売られた。穏やかそうな若者に。その若者は優しげに自分を見ていた。
だから自分は助かった、と彼女は勘違いした。肉体の酷使も、奉仕もしなくていいに違いない、と希望を持って。
そんな彼女が見たのは、先に彼に買われた奴隷たちの最期であった。
男女一名ずつが大きな檻の中に入れられた。奴隷たちは怯えていた。泣きわめき、必死に叫ぶ。だが、彼らの主は穏やかに笑っていた。残忍な笑みを浮かべて。
大きな檻の中から猛獣の唸り声がした。
その瞬間、女の奴隷の身体は掻き消え、悲鳴と何かが砕けるような音、そう、獣が食べ物をかみ砕くような音。
びしゃりと何かが落ちた。朱いそれは、先ほどの女性だったものの残骸。
男は恐怖におののく。彼は目があった彼女に手を伸ばし。
腕だけを残して暗闇に喰われた。
大きな音と、血の匂いが彼女の感覚に伝わる。
彼女もここで死ぬのだ。得体の知れない怪物の手によって。
怪物の飼い主である男はただただ笑っていた。彼は自身のペットに異常な愛情を注いでいた。人間よりも、彼は動物を愛していた。
暗闇の中でそれは鳴く。もっと食わせろ、と。
まだだめだ、と男は呟くと立ち上がる。
楽しみはとっておくものだ、と言い女奴隷を怪物の檻から引き離し、残忍な笑みを浮かべて去っていった。
奴隷の少女は腕だけになった残骸を呆然と見ながら、静かに泣いていた。
誰か、助けて、と。
ヴェルベットは妹専属の教師兼護衛であるファイロ・ヴィンスからある報告をしてもらっていた。
それなりに頭のまわる男で、エリスほどではないが頼りになる存在であった。争いごとにも対応できるし、男での少ないヴェストパーレでは重宝されていた。
「それで、獣の餌として奴隷が変われている、と」
「はい」
ファイロはヴェルベットに資料を渡す。数枚の紙を少女は素早く読む。
「取引していた奴隷商が白状しましたよ。相当ですね、相手は」
ヴェルベットはその奴隷を買った男の絵を見る。見るからに温厚そうな若者。恐らくまだ二十代前半。
貴族で爵位は子爵。それなりに優秀で高等学院を出ているという。専攻は動物学。
「屋敷の場所は?」
「特定してますよ。恐らく地下に猛獣たちの檻でもあるんでしょうね」
ファイロはそう言うと、彼の雇い主を見る。
「それで、どうなさるんで?」
「決まっているわ」
そう言うと、紅い髪の少女はその瞳に強い光を宿してファイロに微笑んだ。ファイロは苦笑する。
この少女ならば、こういうとはわかりきっていたことだ。数週間もいれば、嫌でもそれはわかる。
「復讐を」
『VENGEANCE』は静かに笑った。
奴隷の少女は褐色の肌をぼろきれのみで包んでいた。首には鎖。彼女を買った男が少女の首の鎖を引く。
これから自分は喰われるのだ。あの、得体の知れない怪物に。
恐怖から震えは止まらない。歩きたくはなかったが、男は無理やり少女を引く。
そして檻の鍵を開けると、素早く少女を入れて鍵を閉め、自分は檻から遠ざかる。
少女はついに、自身の死の瞬間を自覚する。静かな地下の中で、何かの鳴く声が響く。恐るべき死の音色。
涙が止まらない。自由を得るために逃げてきた、それなのに、こんな地下で一人死んでいく。それが、とてつもなく悲しくて、怖い。
母も父も、自由を求めて死んだ。少女はそれでも自由を求めた。その結果がこれだ。
ああ、なんて運命は残酷だ。少女はへたり込んでいった。神がいるのならば、聞いてみたい。なんで、と。
死の足音がする。少しずつ、少女に近づいてくる。
もはや、抵抗の気力すらなかった。
少女の目に、獣の全貌が映る。それは巨大な猫らしきもの。少女はそれの名を知らなかった。
それは虎だった。王国には生息していない、大きな虎。それはこの屋敷の主が集めたコレクションの一つにして、最も愛する獣。
幾人もの血肉を貪った、猛獣。
血に飢えた獣は、鋭く光る牙をむき出しに、静かに近づいてくる。
少女は目を閉じた。死から逃れるために。
そんな時、彼女に何かがふれた。人の手。それは彼女を引っ張ると、閉じられていたはずの檻から少女を引きずり出す。
男の怒声が聞こえる。檻に突進する虎が鳴く。
少女はその手の主を見た。彼女が見たのは、この世のものとは思えぬほど美しい女性。
深紅のドレスに身を包み、同色の長い髪を揺らす美少女であった。
「誰だ、貴様!?」
男が叫ぶと、少女はその顔に似合わぬ異様な雰囲気を出していった。
「『VENGEANCE』」
「!?」
男が絶句した瞬間、何かが男の方に刺さる。光るそれは、ナイフだろうか。少女の右手がそれを投げたようだった。男は肩を抑えながらわめく。
「き、さまぁ~~~!!」
男が近くにあった檻の扉を開ける。そこから、二頭のドーベルマンが飛び出す。
「やれ!」
男の命令に二頭の犬は忠実に従った。素早く近づく二頭のドーベルマンに、復讐者は一切動じずに立っていた。
突如、犬の一体が倒れる。そして、もう一頭もまた急に動きが鈍くなる。その隙をついて少女のナイフがその首を跳ね飛ばす。そして、倒れたもう一頭の頭部を、そのヒールの踵で叩き潰す。犬の血が飛び散り、眼球や脳が散った。
「ゲリス、オードリぃぃいい!!」
犬の名を叫び、男は泣く。男は憎しみの目で復讐者を見た。
「許さんぞ、人間の分際で!!」
そう言うと、男は近くにあった檻を次々と開く。そこから出てくるのは、ここいらでは見ることのない動物ばかり。
男の膨大なコレクションが、復讐者の前に現れる。
「やれ、お前たち!仇を取るんだ」
「仇?笑っちゃうわね」
紅い少女はそう言うと、奴隷の少女を背に庇いながら薔薇の紋様の入ったナイフを片手に微笑んだ。
優雅に、だが力強い眼光に、動物たちは一瞬怯む。彼らは本能で感じたのだろう。この人間はただの人間ではない、と。
それでも彼らはそれを無視して突進してくる。
だが、動物たちはドーベルマン同様、動きが鈍く、復讐者に返り討ちにされていった。動物たちは血肉をえぐられ、絶命していく。
「な、なんだ・・・・・・・・?!」
男は言うと、微かに鼻につく匂いに気が付く。そして、復讐者が何をしたのかを悟った。
復讐者はこの地下に動物に効く毒を撒いていたのだ。人間以上に嗅覚の鋭い動物たちは、もろにその効果を受けてしまう。効果を受けない動物には、麻酔のついた毒針を投げているようだ。
次々と血祭りにあげられるコレクションを見て、血涙を流すかのような形相で男は復讐者をにらむ。
そんな彼の願いが効いたのか、一匹の蛇が少女のナイフを持つ手を縛り上げる。少女の手からナイフが落ちる。
「いまだ!」
男の号令に生き残った動物たちが走り出す。だが、復讐者はニヤリと笑った。その瞬間、スカートを翻すと、自由な左手をそこに突っ込む。そして、そこからナイフを数本取り出し、投げつけた。
それは動物たちの目を貫き、喉を突く。動物たちはやがて、苦しみながら死んでいった。
復讐者は自身の腕に絡みつく蛇を自身の口で噛む。すると、蛇はするりと落ちて、痙攣してやがて動かなくなった。
復讐者は動物たちの死体をまたいで男に近づいてきた。
男は後ろに逃げる。もはやこれまでか、と思った男は背中についた檻の中にいた猛獣を思い浮かべて笑った。まだ、彼の最愛のペットが生きている。こいつなら、あの女も殺せる。
「いけ」
そう言って、檻を開ける。虎が堂々と出てくる。それを見て、男は安心して命令を下した。
「さあ、殺せ!」
その瞬間、虎は跳びかかった。ただし、それは復讐者ではなく、自身を飼ってきた主に対してだった。
男は右腕を引きちぎられた。虎はそれをかみ砕き、飲み込む。男は血を流しながらわめく。
それきり興味を無くしたかのように男から離れると、虎は真紅の死神を見た。
そして、自身の餌となるはずだった奴隷を奪った彼女に向かって走り出した。
復讐者は背後にいた少女を檻の中に入れて、自身は虎に向かって走り出した。
復讐者は華麗に舞うと、虎の鋭い牙から逃れ、その皮を裂いた。猛獣は血を撒き散らしながら吠える。
死神のワルツは続く。ナイフの斬撃の前に、虎はその身に血の縞模様を浮かべる。
そして、ついに虎は地に倒れた。決して人間に敗けることなどないはずの獣は、無様に這いずる。
そんな獣に、無慈悲に死神はナイフを振り下ろした。
獣の顔面が半分に裂ける。何人もの人間を食した虎は、ついに絶命したのだった。
ヴェルベットは死に絶えた虎に背を向けると、片手を失くし倒れて泣き続ける男に近づく。
這いずる男の両足をナイフで突き刺す。
「うわああああああああああ?!!」
「逃がしはしない」
ヴェルベットはそう言うと、男の足を切り落とす。あっけなく落ちた足を見て、男は泣き笑う。気がふれたように。
「あ、あはは、あしが、ぼくのあしが、とれちゃった~」
正気を失い、言動すらおかしくなった男。彼の愛した動物は皆死んだ挙句、信じていた動物にすら、傷つけられた。そして死が間近になったことで、男は完全に壊れてしまった。
もう二度と正気に戻らないだろう。だが、だからといって復讐を辞めるわけではない。
彼が奪ってきた命は少なくとも数十はいるのだ。これしきで贖えるものではない。
紅い髪の死神のナイフが、壊れた男に振り下ろされた。
褐色の肌に、質素だが丈夫な服を着た少女は自身の祖国に帰っていく。
彼女を助けた女性は少なくはない金と服をくれた。そして、多くを語らずに彼女の前から去っていった。
その姿は、今まで見たどの女性よりも輝いていたように見えた。
あの人のように、私も強く生きていきたい。そう思いながら、少女は紅い髪の彼女がくれた一本のナイフを握りしめた。
そして、光の照らす道を歩き始めた。
後年、とある国で『SCARLET AVENGER』という物語が発表された。ある一人の女性をモデルにしたというその話は、庶民の間に広く流行したという。
その作品の著者は多くは語らなかったが、その昔、ある国で『彼女に助けられたことがあった、と話したという。
真実かどうかは、彼女とそれを救った復讐者のみが知ることだ。




