LEASE AND VINCE 3
朝起きると、そこにはヴィンスがいた。顔は傷だらけ。それは私せいで負った傷。
それでも、彼は私を責めずに、ただ笑った。笑って、抱きしめてくれた。
死んでしまった父様に抱いた気持ちとは、どこか違った。暖かい、けれども、なぜか胸の鼓動がうるさい。彼の燃えるような、オレンジ色の瞳を直視できない。砂のような色の髪を、ちらちらと見るだけ。
おかしな子、そう思われていないか不安だった。
そんな私のことも気にせずに、彼は私を起こすと、部屋を出る。さすがに着替えを見るわけにはいかない、と言って。
私もそれは気恥ずかしかった。自分よりも十歳年上のヴィンス。父、とは言えず、かといって兄、とも言えぬ微妙な存在。裸を見られるのは抵抗があった。
着替えながら、私はベッドを見る。さっきはヴィンスのことで頭がいっぱいだったが、気づいた。
あの、大切にしていた黒いクマのぬいぐるみが、そこにないことに。
母と父の思い出。それがあのクマのぬいぐるみ。あれがなくなったら、私は二人のことを忘れてしまいそうで怖かった。
今、私は幸せだ。姉さまやエリスさん、キャシーさん。いろんな人が私のために世話を焼いてくれる。
だからこそ、私は怖かった。この幸せの中で、両親のことを忘れてしまうことを。
私はそんな自分が嫌だった。だから、あのクマをそばに置いて、いつまでも忘れないように。そう思っていたはずなのに。
あったはずのそれを掴もうとした私の手は空しく空を切った。
「父様、母様」
廊下にいるヴィンスに聞こえないように、静かにベッドで泣いた。
翌日、私は無理やり笑みを浮かべるが、あの人形のことが頭から離れなかったし、ヴィンスの顔を見るのがつらかった。
彼も、姉さまも私を責めはしなかった。それが、私にはつらかった。
その日はほとんど部屋に閉じこもっていた。ヴィンスは戸惑っていた。申し訳ないけれども、今顔を合わせたら、私は泣いてしまう。
扉をたたく音がした。そのあとから聞こえたのは、ヴェルベット姉さまの声。
「リース、入るわよ」
「ま、まって、姉さま・・・・・・・・!」
けれども、姉さまは私の部屋に入ってきてしまった。私は目元の涙をぬぐうと、すぐに笑みを浮かべる。
うまく、笑えているかな、という心配をする私をよそに、姉さまは私に寄ってくる。
「馬鹿ね、リース。無理なんかするものではないわ」
姉さまはそう言うと、私を抱きしめる。姉さまの、暖かな身体と脈打つ血のような紅い髪が、私を包み込む。
「姉さま」
「リース。怖かったでしょう。今だけは泣いていいのよ」
「ねえ、さま」
私は泣いた。赤ん坊のように。
「リース、あなたは賢い子よ。でもね、あなたはまだ子供なのよ。甘えていいのよ」
姉さまは私が姉さまたちに抱く、遠慮を見抜いていたようだった。
甘えていないわけではないが、心の底から甘えていたわけではない。どこか一線を張っていたのだ。
姉さまの目は、誤魔化せないようだった。
なぜわかったのか、と私は目で問うと、姉さまは笑って私の頭をやさしく撫でた。
「馬鹿ね、あなたが大切な妹だからよ」
姉さまの言葉に、私は沈黙した。
母様も父様も死んだとき、誰も手を差し伸べてくれなかった時、この人だけは手を差し伸べてくれた。
あの時から、私は彼女に憧れていた。強い女性として、人間として、姉として。
「リース。過ちから学んでいけばいいのよ。焦らなくていいの。人はそうやって少しずつ大人になるのだから」
姉さまはそう言い、私の崩れた髪を整え、涙の後をやさしく拭う。
「さ、ファイロにも、顔を見せてあげなさい」
「でも」
「彼も心配しているわよ。申し訳ないと思っているなら、とびきりの笑顔を見せてあげなさい。それで、彼は許してくれるから」
そう言い、ヴェルベット姉さまは笑った。
「私が言うんだから、間違いはないわよ」
さあ、と言って私の背を押す姉さま。その顔は、慈愛に満ちていた。
姉さまの言葉を受けて、私は廊下にいるであろうヴィンスに笑顔を向けるために気持ちを切り替えていた。
「あのね、ヴィンス」
そう言って飛び出した私を、ヴィンスは驚いてみていた。彼のオレンジ色の瞳には、私はどう映っているのだろうか。
私は、多分ぎこちない笑みを浮かべていたと思う。今思えば、笑っちゃうような。
それでも、ヴィンスはそんな私を見て、うれしそうに笑った。そして、私の頭を撫でて、何かをつけた。
「?」
「プレゼント、約束したでしょ?」
そう言い、私の頭にカチューシャをつけてくれた。薔薇の飾りのついた、それ。
多分その時の私の顔は真っ赤であっただろう。
そして、そんな私に追い打ちをするように彼は私の腕の中に、何かを置いた。
「あと、すみません。うまく直らなくて・・・・・・・」
苦笑いするヴィンス。私の手の中にあるのは、クマのぬいぐるみ。両親との絆。腕と顔はお世辞にも上手に治っているとは言えないが、彼なりに直そうとしてくれた努力がうかがえた。
なにより、こうして人形が戻ってきてくれたことがうれしかった。
私は泣いてしまった。泣くのは、姉さまの前だけ、と思ったのに。
そんな私をヴィンスは抱きしめてくれた。
暖かい、だけど、姉さまとは違い、胸の鼓動が妙にうるさかった。
「お嬢様、あなたを、全てから守ります」
「・・・・・・・・・・・・うん」
「約束です」
「約束、だね」
胸に抱きしめるクマのぬいぐるみ。それは両親との絆であったが、今は違う。
両親と、ヴィンスとの絆だ。
あれから、数年がった。それでも、未だにあのクマの人形は私のそばにあったし、私の頭の上には、鮮やかなバラが咲いている。
彼は決して約束を違えなかった。どんな時も私のそばにいて、支えてくれた。
時には喧嘩もしたけれど、その絆が切れることは決してなかった。
私は、彼に恋心を抱いている。あの後、胸の鼓動のことを聞いたら、姉さまは笑って言った。
これが「恋」なのか、と真っ赤になっていた私に、姉さまは言った。
「絶対に、その手を離さないようにね、リース」
姉さまは、素敵な笑顔で私に言った。
姉さまの言葉通り、私はその手を離さなかったし、離すつもりはない。
この先、死が二人を分かつ時までともにいたい。
ファイロは、私のモーションになかなか答えてくれないが、いつかは頷かせてみせる。
私の名前はリース・ヴェストパーレ。ヴェストパーレ家の養女にして、ヴェルベット・ヴェストパーレの妹。
薔薇のように凛と咲き誇る、ヴェストパーレの女。
「とんだお転婆娘になってしまったわね」
ヴェルベットはコーヒーを飲むながら呟いた。幼いころのおどおどした少女の面影はない。ヴェルベットは幼き日の自分を見ているような錯覚に陥っていた。
「まあ、ヴェルの妹、だからね」
そう言ってエリスは笑った。
「ファイロも大変ね」
ヴェルベットは他人事のように言った。そんな大変な事態に陥らせるきっかけとなった自分のことは棚に上げて。




