LEASE AND VINCE 2
リースは物静かな少女だった。言葉少な気に人の後についてくる、おとなしい少女。姉であるヴェルベットやエリスなど、館の女性たちには懐いているが、外に出ると怯えたようにしがみつき、怖がっていた。
もともとはヴェルベットの職場の上司の子供なのだそうだが、父親は死亡し、母親も死んでいるらしい。
それなりに愛されていたらしく、未だに両親のことを忘れられないらしい。
それも当然か、とファイロは思った。
妹たちも、そして自分も両親のことを忘れることなどできなかった。死んだ父も、去った母も、怨みこそしたが、結局のところ寂しかっただけなのだ。
なんとなく、少女の気持ちをファイロは理解していた。
ヴェルベットが自信を選んだ理由はわからないが、案外そういう経験をした自分だからなのかもしれない、と思った。
ヴェルベットなりに、この妹のことは愛しているらしい。仮にもヴェストパーレの養女。これから様々な問題も起きるだろう。その問題を対処するには、リースは幼い。荒事にも対応できるファイロはうってつけの人材だ。
ごろつきにしては頭の回転もよい。それに彼もヴェルベットに恩義を感じていた。妹たちに惨めな生活を送らせずに済むし、学校にすら通わせてくれているのだから。
冷徹な女貴族、といった印象を受けるが、その実、ロマンチストなのだとファイロは感じていた。
彼の雇い主は多くを言わなかった。教育に関しても護衛に関しても、すべてファイロに一任していた。
ファイロはヴェルベットの期待に応えようと、彼なりに考えていた。
そうして一週間が過ぎた。まだリースの態度はおどおどしていたが、時たまファイロを見て微笑んでくれる。
妹たちを見ているようで、彼も嬉しかった。
知らぬ間に、この少女に感情移入していた。守らなければならない、と。
純粋なこの少女を、自分が守らねばならない、と。
ある日のことだった。その日はリースきってのお願いで街に繰り出していたファイロとリース。
リースは二人きりで行きたい、といったためにヴェルベットも強くは言えず、護衛と言えるのはファイロただ一人であった。
流石のヴェルベットも真昼間から出歩きわけにもいかず、館で留守をしていた。
ファイロの手を引き、リースは街の中の店店を見て歩く。物干しそうな目をしながらも、決してねだらない彼女のために、ファイロは何か買ってやろう、と思いリースのクリーム色の髪を撫でて言う。
「ちょっと待ってろ。俺から君にプレゼントをあげるから」
そう言って、ここで待つように、と街中のベンチに座らせる。人通りも多いし、なにより、ここならば目も届く。ファイロはそう思って言うと、リースは言葉少なくうなずく。
ファイロは少女の頭を撫でる。少女は頬を赤くしながら、大切なクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
ファイロはおしゃれな店の中で品物を見る。女物には疎いし、あの年頃の少女が喜ぶものもわからない。
だが、ファイロは何か送ってやりたかった。あの健気な少女のために。
姉のために勉学も頑張っていた。少しでもあの人の役に立ちたい、と小さな声だが確かに少女は言っていた。ファイロは感心した。自分が同い年だった時、果たしてここまで確固たる意識があったか。
貴族であった時、少年時代の彼は尊大だった。平民を見下し、馬鹿にすらしていた。結局、そのバカにしていた平民以下にまで、成り下がった。
そんな自分が恥ずかしい。
ファイロがそんな風に物思いにふけっていると、ふと目についたものがあった。それはカチューシャだった。彼の雇い主のような薔薇の意匠がついている。ふと思い出す。リースも薔薇が好きだと言っていた。姉のようになりたい、といつか話していた。
これにしよう、とファイロは思った。プレゼントというにはあれだが、きっと喜んでくれる、そう思った。
店を出たファイロは少女の待つベンチに向かう。だが、そこに少女はいなかった。
そこにあったのは、黒いクマのぬいぐるみ。それは無残に腕が引きちぎられており、愛らしい顔からは綿がこぼれ出ていた。
ファイロは目を見開く。あんなにも守りたいと思っていた少女。それが今、いない。彼が目を離した間に。
ファイロは自身を責めた。
彼をどん底から救い出した紅い髪の少女に申し訳が立たない。こんなクズのような人間に、生きがいをくれたクリーム色の少女の笑顔が、脳裏に浮かぶ。
ファイロは自身を責めながらも、少女を探す。まだ時間はそんなに立ってはいないだろう。
誰かは知らないが、少女を取り戻す。ファイロは決意を胸に周囲の人々に話を聞き始める。
太陽は真上にあったはずなのに、もう沈もうとしている。
スラム街にファイロはいた。自身が過ごした、最悪な日々が蘇る。この場所に、リースはいる。
相手は貴族子女を攫って金を得る、クズ連中。だが、かつてはファイロ自身も関わったことがあった。
直接ではないが、犯行を助けた。連中が殺人すらいとわない奴らと知っていながらファイロは協力していた。生きるためには仕方ない、と自身を偽って。
いや、ただ断れなかっただけだ。弱い自分。ただそれだけだった。
前までなら、少女のことなど忘れて、ファイロは自分のためだけに生きただろう。だが、今は違う。
こんな自分でも、誰かのために何かをできるのだから。
リースを守る。ただそれだけ。
ヴェルベットから託されていたナイフ。たった一本のそれだけが武器。それでも、ファイロはいかなければならない。
もう自分から逃げるのはやめた。
「俺は今までの俺を超えてみせる」
そう言って、ファイロは男たちのいる空き家の中へと勢いよく入っていった。
そこで見たのは、大いに服を乱した守るべき少女と、それを前に欲望に満ちた目をした男たち。
気を失った少女を見て、ファイロは我を忘れた。
俺は、あの笑顔すら守れなかったのか。
そんな思いが奔り、身体が動き出す。油断しきった男を一人突き刺し、蹴り飛ばす。
男たちが一斉に殴りかかってくる。それの暴力の渦にのまれながらも、ファイロは戦い続けた。
殺しはしなかった。だが、殺したいほどにファイロは男たちを憎んだ。そして、それを防げなかった自分を。
夕日は落ちて、夜になった。
ファイロは一人、少女を抱きかかえて立っていた。男たちは息こそしていたが、全員重傷であった。ファイロも立っているのがやっとであった。
「リースお嬢様」
そう言って、少女を抱きしめる。怖い思いをさせた。一生忘れられないような傷を負ったろう。
声もなく、静かに泣くファイロ。その腕の中で、リースは意識を取り戻す。
「ファイロ・・・・・・・?」
「!お嬢様」
ファイロははっとして顔を上げ、涙をふく。少女にこんなみっともない姿は見せられない。
「ごめんね、あそこから動かないって約束したのに、私・・・・・・」
リースは目から涙をこぼし、傷だらけのファイロの胸の中に顔をうずめる。
「そんなことありません、お嬢様。すべては私が悪いんです」
そう言い、ファイロは力強くリースを抱きしめる。
「お嬢様、これから先何があろうと、私はあなたを守り抜きます」
ファイロは静かに、力強くそう言った。
「どんなことがあろうと、必ず」
「・・・・・・・・・約束、だよ?」
「はい」
クリーム色の髪の少女は顔を上げると、泣きながら笑った。
その笑顔を、二度とは奪わせはしない。たとえ、自分が死のうとも。
青年の決意は固く、何者であろうともその意志を捻じ曲げることは不可能であろう。
その後、ヴェルベットに事態を話したが、彼女は笑ってファイロを赦した。そして、紅い髪の少女は言った。
「リースは別に暴行は受けていないわ。だから、あなたがそこまで重く考える必要はないわ」
雇い主はそう言って、傷だらけのファイロの頬を撫でた。
「さ、過ぎたことは過ぎたことよ。これからも、妹をよろしくね」
そう言うと、ヴェルベットは自室から出ていこうとする。ファイロが言う。
「どこに行くんだ?お嬢様のそばに・・・・・・・・・・」
ヴェルベットは振り返ると笑った。どこか冷たい印象がした。
「それはナイト様に任せるわ。私はちょっと、お礼をしにいかなければならないの」
優雅に少女は笑っていたが、その目は笑っていない。初めて会った時のような、冷たい瞳をしていた。
お礼とはつまり、リースをさらった連中のことだろう。
ファイロはそれ以上の質問を辞める。ヴェルベットは真紅のドレスに身を包んで、優雅に去っていった。
次の日、ファイロは風の噂であの時の男たちが死の間際をさまよっていることを知った。
重傷こそ負っていたが死ぬほどではなかった。恐らく、あの紅い髪の少女がやったのだろう。
ファイロは苦笑いをしながら、自身の姫君を起こしに行くのであった。




