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ヴェルベット・ヴェストパーレは今、幸せの絶頂にいた。
夫であるジキストールとの生活や、事業の成功など、今の彼女は満たされていた。復讐という空虚な生活はすでになく、復讐の怨嗟が彼女の中で呻くことはない。
ヴェルベットは今、心の底から笑みを浮かべていた。
「ジキス、素晴らしい曲ね」
ヴェストパーレの屋敷の庭でハープを弾いていた夫に賞賛を置くすヴェルベット。ジキストールはほほ笑んで賞賛を受け入れた。
「ありがとう、ヴェルベット。何かいいことでもあったかい?」
その声の調子から何かを感じ取ったジキストールが尋ねる。ヴェルベットはジキストールの座る椅子の隣に来ると、夫の手を握る。
「ええ、まあね」
ヴェルベットは笑って言った。
「キャシーは知ってるでしょう?彼女、結婚するらしいのよ」
「へえ、相手はあの?」
「ええ」
キャシーは数か月前から彼女の務める店の店長と交際していた。そして、つい先ほど結婚を報告された。
ヴェルベットとエリスの祝福を受けて、キャシーは泣いて喜んだ。
キャシーもつらい目にあってきた。彼女が幸せになることは、ヴェルベットにとっても喜ばしいことであった。
「式の方はまだ未定らしいけど、私たちからも何か送らないとね」
「そうだね」
二人は笑いあう。出会って間もなく結婚した二人であったが、その思いが薄れることはなく、日に日に互いへの思いは深まるばかりであった。
この二人を引き離すことはできないということを、多くの人間が感じていた。
ヴェルベットとしても、この大切なものを、もう失いまいと思っていた。
繋がれた手は強く握られていた。
王都のスラム街。
犯罪者の多くが一掃されてもなお、この地域では犯罪が発生していた。強盗や強姦は日常茶飯事で、ただ単に目に見えないだけであった。
その日もまた、男たちはある空き家へと忍び込み、少女を暴行していた。男たちは元は大きな犯罪組織の小間使いであったが、組織が壊滅したために、仕事を失くしスラムへと逃げ込んだのだ。
彼らはその鬱憤を晴らすように、毎日この少女を暴行していた。
「へへ、いい加減こいつにも飽きて来たな」
ある男がそう言い、ナイフを手にする。
「おいおい、殺すにはまだあれだろ?それに・・・・・・・・・」
「なんだ、『VENGEANCE』や憲兵が怖いのか?あんなの、恐れる必要なんかねえよ」
男はそう言い、恐怖にひきつる少女の首元にナイフを当てる。
「へへ、いい声で鳴いてくれよ」
男がそう言い、ナイフを突き刺そうとした瞬間、空き家の扉が大きな音を立てて開かれた。
男たちは一斉にそちらを振り返った。だが、人の姿はなかった。
男たちの一人がそちらに向かう。近くにあった鉄の棒を持ち、注意深く扉に向かった男。
その瞬間、何かが現れて、男の頭に向けて腕を突き出した。
ずぶり、という音と、鉄の匂いが充満した。
男たちは仲間の男を見た。男の後頭部からは何かが生えていた。鉄の鉤爪が三本。血糊と脳の欠片がそこから漏れ出る。男の死体が痙攣して、ピタリと止まった。
男の死体が地に落ちる。力なく落ちた身体から血が飛び散る。
男たちは武器を構えて、敵を見た。
それは一人の男だった。
長身の男はやつれた顔で、顎には無精ひげが伸び放題になっていた。その目は虚ろで、男たちを見ているようでその実見ていなかった。
両手には鉄の鉤爪の生えたグローブがはめられ、腰などにも何に使うかわからない鉄製の道具が下げられていた。
全身を黒い衣で包み込んでいた。
「な、なんだてめえ!」
「『VENGEANCE』か?!」
「あれは復讐の女神だろ、男ではないはず、だ」
男たちは騒ぐ。それを意に介さずに、侵入者は静かに口を開く。
「お前たちは、存在してはならない存在だ」
静かな声で、侵入者は男たちを見る。
「お前たちは、処分する」
「処分!?ふざけるなよ、俺らを・・・・・・・・・・」
男の一人の言葉が途切れる。仲間たちは彼を見た。彼の首はなく、血が噴き出した。
ストン、と音がした。壁に鉄の円盤が刺さっていた。血がついている。彼らは察した。あれが仲間の首を絶ったのだ、と。
侵入者は呆ける男たちに向かって走っていく。男たちは一瞬遅れて敵に向かっていくが、すでに遅かった。
男たちの首元に大柄のナイフが突き刺さり、爪が心臓を貫く。
血が空き家中に広がり、男たちの命が絶たれた。
少女は独り、その血の中で震えていた。そして、この状況を生み出した男を見た。男は殺した男たちも、少女も見ずにそこから去っていった。
その日を境に、王都にてある男の噂が立つようになった。
『VENGEANCE』なき今、新たな復讐者が王都に出現した、と。
その男はスラム街の住民、かつて犯罪に手を染めたものやチンピラなどが連続して殺されている、というのだ。
『VENGEANCE』の文字を残さないことや、目撃者の証言もあり、別人であることが断定されていた。
男は鉄製の武器を使って殺人をする。薬や女の武器を使う『VENGEANCE』とは違い、鍛え上げられた肉体のみで戦うという。
この新たな殺戮者の登場に、人々は恐怖した。
重たい雨が降る。ここ数日、王都は雨期の真っただ中であった。雨は連日降り注いでいた。
そんな中、シャッハ・グレイルは一人、墓の前に立っていた。
愛する家族の墓。父や母、そして妻と息子。一度にして彼は親戚もすべて失った。
雨の日だった。息子は五歳の誕生日を迎えるはずだったその日に、無慈悲に命を奪われた。犯人は、わからなかった。憲兵隊とシャッハの懸命の捜査でも、犯人の目星もつかなかった。
シャッハは家族の墓で手を握りしめた。自分の無力さと、世の理不尽を痛感していた。
その時、シャッハは思い出した。いつか、『VENGEANCE』が彼に言った言葉を。
『いつかあなたも知るわ、理不尽な世の中への怒りを。その時、あなたは第二の私になるわ』
その言葉を思い出した時、雷が鳴った。その時、シャッハの中に何かが目覚めた。
彼女の言っていたことは正しかった。そうだ、そうだったのだ。自分がなぜ、あれほどまでに彼女を捉えようとし、できなかったのかを。それを悟った。
彼は自身の中で蠢く、黒い感情に気づいた。
その感情は復讐。この理不尽な殺戮を引き起こした者たち、ひいては犯罪者全てに対する憎悪であった。
それに気づいた時、シャッハは家族の墓に誓いを立てた。
「俺は、復讐する。犯罪者を殺す。そうだ、生かしておくことが間違いなのだ。人が人を裁くことを、俺は恐れていた。だが、それは間違いだった。思い知らせてやらなければならない、命を持って」
シャッハは墓に背を向けると、静かに歩きだす。雨が彼の顔を殴り、全身を打つ。だが、しっかりとした足取りで歩く。彼の目は虚ろで、その奥底には静かな闘志が宿っていた。
「処分する。法で裁けぬならば、俺が裁く」
憲兵としてのシャッハ・グレイルはその日死んだ。そして、一人の復讐者が生まれた。
王宮で、キースは頭を抱えていた。
復讐の女神による犯罪の撲滅を諦め、憲兵による撲滅を推進していたキースにとって、この新たな復讐者は邪魔な存在であった。『VENGEANCE』は彼にとって都合のいいことにその活動を辞めてくれた。それは彼にとって非常に喜ばしいことであった。
結局のところ、法による支配こそが一番である、というのがキースの結論であり、恐怖による支配は効率的ではなく、またもろ刃の剣である、ということを彼は知ったのだ。
だからこそ、憲兵隊による正義の執行を望んだのだが、まさかこのような事態になるとは思わなかった。
キースはある情報を掴んでいた。憲兵のシャッハ・グレイルを襲った悲劇の詳細を。
その情報を掴んだ時には、すでに『彼』は復讐者となった後であった。
キースは復讐者が元憲兵であることを伏せ、憲兵隊に復讐者の調査を命令した。
「・・・・・・・・・・・・」
キースは静かに窓の外を見る。
雨はいまだ、止むことはなかった。




